
2010年の掲載
縒りを戻す・・・
もとの関係に戻すことである。
外交や数値にある軍事力を恐れたり、経済力を歓迎したりする一過性の問題をおいて、もとに戻すことである。
それは自身を知るために内観することに似て、絞り出す苦渋の念、爽やかな童の心、相互扶助の感謝、煩いとなった遠因、色々あるだろう。
いまは尖閣、環境汚染、軍拡、資源があり、我国も対米追従、政治の朝令暮改、などあげつらい争論となりその種は尽きないようだが、一旦、現世利益を擱いて日中問題を内観したらどうだろうかと考えてみたい。
よく、舅、小姑、姑など家族関係の中にある。
援けてもらったり、煩わしい関係になったり、厄介な問題を発生させることがある。
国家であれば、思想圏、経済圏 色別圏などに分けられた囲いで優劣を競っていたが、いまは色別に棲み分けられた場所で必然的に発生した宗教が、いちばん鮮明な分別となっているようだ。思想圏であれば一時は社会主義、資本主義と大別していたが、喰う為には思想は二の次になり、志操さえなくしてしまった。
それは経済圏でもいえることで計画統制経済、自由主義経済と選別されているが、日本も満州では商工省の若手官僚と軍官吏によって計画統制経済を試みて大きな成果を得ている。
戦後の成長経済もその試行をもととして大きな成果を挙げている。そこに付随するのが思想統制だが、食い扶持と繁栄国家の看板がそれさえも吸収して大きな成果を挙げ、別物の煩いや憂いを発生させた。
これも老子やエントロピーの法則をなぞれば高峰の成長の谷には、環境汚染、犯罪、虞犯などが堆積して、海浜埋め立て地のように地盤は軟弱になっている。
よく経済の基礎的条件が云々されるが、社会の基礎的条件である情緒性の枯渇、人情薄弱、連帯の分離など、成長そのものが蜃気楼のようにみえるようになる。つまり虚ろになる。
人は安逸に流れる、というが、文化の模倣もその一つだろう。
とくに経済繁栄において眩しいくらいに輝いていたアメリカの影響は異文化に多くの影響を与えた。それは負けたことのない、敵わない国への倣いのようなものだった。
それは力のある国の文化模倣として至極当然なことだった。
ただ、倣ううちはよかったが、習わせる意図が圧倒的パワーを用いて積極さを増したとき、哀しくも、淋しくも、あるいは倣うことの疑問が湧き出してきた。
アメリカについては自由主義経済圏の一群への影響だが、それが虚構な情報の発信と管理という自由への疑義として憂いに似た関係に陥っているのが現在だろう。

さて、中国だが、あの田中総理が周恩来総理に「これほど色々な民族が大勢集まっている社会をまとめるには大変なことだ。便宜共産主義も理解できる・・・」
まさに民族下座と歴史俯瞰を含んだ正鵠をえた応答である。
筆者は時おり人前で駄弁を弄すことがある。ある大学でのこと・・
「漢民族の恐れは地政学的に侵入は北方である。元、清もそうだった。戦後間もなくはソ連だった。その看板は共産主義、中国の歴史にはない主義という代物だった。中国民衆に合うかどうかは分らないが、まず北方の強国に擦り寄った。敵の敵は味方だった。
蒋介石の子息、後の中華民国総統になった経国氏や敵方共産党の周恩来もモスクワに留学している。そして学んだが異質で合わないことも知っていた。
ただ、砂の民と称されまとまりのない人々を集約するには都合のいい主義だった。
掲げる理想は中華の「大同思想」に似ていた。それも孔孟と同じ実利のないハナシの類だということも分っていた。ただ曲がりなりにも民衆という群れを統制するには共産のスローガンは夢を与えることができた。そして解放という言葉を添えた。

佐藤慎一郎氏
佐藤慎一郎氏も香港で毛沢東の先生に会っているが、マルクスやレーニンの論文は知ってはいたが、熟知してはいなかった。歴代皇帝や袁世凱、孫文でさえ特有な民癖をまとめ国家として成さしめるために、選択として専制を思い描いている。
安寧や太平にある人々の営みを理想として、自然な自由を認知はしても人が群れになったときの混沌は国家として成さしめない苦汁があった。
もともと権力を奪い民衆を搾取して栄華を意図するものではないが、民衆にある「力」に対する考え方と、その「力」をもつ長(おさ)を天上(神)として具象化し、推戴する機能の形式を慣習として、社会生活の陋規にある掟、習慣、人情を人の繋ぎとしている国柄を認めた上で共産という主義を色付けしたのだ。
ことさら、毛沢東をはじめとする政治家や外に現れた現象を共産党に包むと理解不能になるのは、それを理解しない人たちの知得習性でもあろう。
彼等は日本人の民癖も熟知している。その中の良なるものがあっても棲み分けられた大地では、到底生きていけないことも知っている。
米国の力に依存したり、経済では中国の労働力やその量に食指を動かす阿諛迎合性は、似合わない文化を入れて消化不良を起こしている人々の心の問題を、あの光明と憧れた明治の日本人を観照して嘆かわしく感じているはずだ。
砂の民は共産党という囲いなり、自制をうっとうしいと思っているが、その必要性も理解している。
また、自由を超えて色、食、財という本性が放埓になると「力」が異なった結果を導くことも分っている。
ただ流れが止まらないのである。その無尽な欲望が猛威を振るったら他民族との軋轢を起こすことも分っているが、政治もそれを制御するすべを失いつつある。その砂の嵐は異民族のひだににも入り込み、人間の欲望を喚起して同化の誘いを起こしている。
゛あんたの言うことは聞く、税金も払う、でも俺達の自由を邪魔しないでくれ゛
それが砂の民の心根でもあり、すべてが実利の世界なのだ。

CHINAを狙う列強
あの清朝が衰え外国の草刈場となり、同じアジアの日本もあの頃の日本人と異質の顔をして同調してきた。
国は欧米の利権によって分断し、香港、マカオがもどってきたのはつい最近のことだ。
皆、奴隷のような生活だった。貴族は白人だった。紫禁城の財物は盗まれオークションに懸けられたり異国の博物館に収められた。
しかし、砂の民はそのことに怒ることはない。怒るのは政治看板という面子を持っている人たちだけだ。旗を掲げて実利を得ている人たちのことだ。
佐藤慎一郎氏の体験だが
満州の新京で日本が負けた日に城内に入ったら青天白日旗がひるがえっていた。朝の朝礼は満州国旗だった。どうしたんだ、と聴くと、「いや、張学良のときは少しは続くかと思って良い生地で作った。旗は五つある。日章旗、満州国旗、青天白日旗、共産党、ロシアの国旗だ。どこが来てもいいように準備している。もちろん隠してあるが、騒ぎが収まれば旗が変わるだけで俺達の生活は変わらない」、易旗の知恵である。
いつも、面従腹背でないと生きられないのも砂の民だ。
そこの官僚も低頭しているが、ともあれ金をもってこいだという。
交通切符も税官吏の徴税も似たようなものだが、冥土の銭を棺に入れ終生実利に生き、その銭も「人情を贈る」という砂の民の拠り所は、狭い範囲の人情と財貨なのだ。
また、人の生き死にでも諦観がある。
満州の昔話だが・・・
売春宿やアヘン窟でのこと、死も近づいて息も絶え絶えになると道の真ん中に運び、人々は遠巻きに眺めている。息絶えた途端に我先にと近づき衣服を剥ぎ取る。生きている内はしない。これも倣いだ。なぜ道路の真ん中なのか、朝方自分の家の前にあると片付けなくてはならない。だから早く起きて他人の家の前や道路の真ん中に置く。
あの「万人坑」が問題になったことがある、それは日本人軍の仕業だということになったが、人が死ぬと放り込んだ坑だ。乞食、売春婦さまざまだ。
人情を贈るという賄賂だが、日本の接待と同じでわざと負けて官吏や親方にあげる。
宮中では、あの浅野と吉良の忠臣蔵の発端となった儀礼規則の教授にも賄賂が必要だった。
「禁ずるところ利を生ず」禁止する法律を作れば、いくらでも罰金は増大する
道路でも標識が多くなったり法が無闇に作られると日本では罰金増収、かれらは賄賂だ。だから宦官の募集では母が陰茎切りを奨励してまで応募している。
皇帝は国のすべてのものが自分の所有だから賄賂は取らない。諸国からの貢物は皇帝の前に並べられるが、一番目立つところに置くには宦官に賄賂が必要となる。便宜供与だ。
官公物や事業の入札で官吏に最低価格を聞き出す日本も同じだが、現物ではなく時を変えての天下りや親族の便宜は同じだ。勲章待ちの卑しさもそれを助長させるようだ。
わかりやすくは、宦官は任官し昇進すれば多くの財を得る。それは一族郎党が潤うことになる。「一官は九族に繁栄する」、つまり科挙に合格して官吏になれば取り巻きは潤うのである。これは「公」の精神ではなく、あくまで「私」である。
日本の場合は「公」の用人である公僕が法にもとづいて普遍性を謳い、罰は金を代償に公金として国庫にいれ、民間では考えられない便宜と高給と生涯安定を得る。
あの朱容毅首相は「殺せ!」と汚職官吏を死刑にしているが、まず日本は死刑にならない。
秦の宰相商鞅は「殺を以て、殺を制す」と、(※殺人者を殺せば、殺人はなくなる)
そして皆でかばい逃げ切って生涯賃金を担保する。かれらの秤は議員の権能ではない、落ちればただの人であり、生涯賃金は官僚より少ないと嘲る。
有名大学にいって安定職である公務員を目指す母親に似て、オトコ(男根)を切り取った宦官のように財貨と安定に邁進するのだ。国が滅ぶのは明らかだ。
今の日本は、解っていても対応力のなくなったあの頃の清朝のようなものだ。
以上が佐藤氏の体験を酔談したものだが、最近ではオリンピックと万博についてネガティブな論調をみることがある。
砂の民の行儀の悪さがよく取り上げられるが、その通りだが、そう非難することだろうか。
あえて部分を取り上げることに片腹が痛い気分もするのは筆者だけだろうか。
遅れている、共産だからと侮っていたアジアの一国が、「力」において同等に近づいたとき批判や恐怖を分けもわからずに、゛あげつらう゛だけで理解の淵に届くのだろうか。
いや、曲がりなりにも西欧の植民地の頃、野蛮で未開と蔑まされた砂の民が、複雑な要因で構成する国家の歴史経過と将来を俯瞰したとき、はたして日本人の内なる矜持に照らして、あげつらうことなのか、己を内観すると、゛にがいおもい゛が湧いてくる。
あえてオリンピック開催にオメデトウといいたい。
国家の面子や経緯はどうであれ、よく頑張った、あの時代は大変だった、と伝えることが砂の民に贈るアジア同胞の言葉ではないか。
現世利益を、゛ひとまず ゛措くつもりはない。あるいは問題となっているさまざまな軋轢やそこから生ずる現象に背を向けるものではない。
ここでは、歴史を回顧して人が織り成した集積からその切り口を探りたいと考えている。

戦勝後 203高地より旅順港
あの日露戦争も、欧米の圧力を受けていた彼等にとっては、なぜアジア解放戦争といわなかったのか、と提起される。本当に先の大戦をアジアの開放に立ち上がったならそうすべきだと。
清朝末の義和団事件では、各国公館のなかで日本の武官の活躍に欧米は目を見張った。彼らにとって芝五郎の勇猛さと機転は、称賛とはうらはらに日本の将来に危険性さえ抱く出来事だった。ロンドンタイムズのモリソン記者は、称賛しつつも南下政策によって既存の中国利権侵食を企てるロシアに憂慮し、新興国日本の力をもって対峙させようと図り、タイムズてイギリス世論を誘導して日英同盟を締結。日本は一等国と肩を並べたと大英帝国との同盟に歓喜した。
これはいくら理屈を並べても中国を除外した欧米の企図であり、国外伸長を国家の発展とした当時の日本の政策に合致したものでもあった。
「日露戦争でなくアジア解放戦争としたら・・」
だが戦闘地域は今の中国、目的は中国の領土利権。
普段は政治にまつわることは語らない中国の青年が真剣に唱えることに鎮考せざるをえない。

青森県むつ市 当時会津処分の斗南藩
勝ったのは己の手柄、負ければ他人のせい、との風潮だが、満州の古老も日本の官吏の癖、つまり「官癖」について伝えている。
満州は「偽満州」といわれるが、一方、あの頃はよかったと。
古老は「日本のお巡りさんは厳しかったが、窓を開けていても泥棒がいなかった。いまは皆、鉄格子が付いている。人を信用しなくなった」
ただ官癖については厳しい。
「まだソ連が満州に入ってきていないとき、国境に集結したと軍はいち早く知った。翌日、数100キロ離れた新京では、目の前の官舎(高級軍人、高級官僚)は家族ともども逃走して一人もいなくなった。賄賂も取らず厳しかったが最後は逃げた。電話線を三箇所も切って。残ったのは楽土として呼び集められた内地からの日本人だ。可哀想だった。はじめてあのような日本人官吏の醜態をみた。そうでないと思っていたが・・」
それは、人の所作を観る民族と、肩書きや地位を人の量りの基準とする民族の問題意識の違いだ。
役人や官警はあくどいことをする、との前提で賄賂を用意する人たちと、お巡りさんと、医者と先生は尊敬されると思っていたあの時代の交誼はメリハリがあった。そして違いを認め合い補い合った。いまは金の欲望に同化し、食は飽食となり、性は淫靡になった。
しかし、異質といわれようとその本性には「理(ことわり)」がある砂の民である。その欲が行き着くところも知っている。
一方、建前は彼の国の孔孟に習って形式はあるが、「理」を知らないで欲望に同化している民族、どちらのほうが行き着く先を(※)逆賭しているのだろうか。 (※)将来起こりうることを想定して、いま手を打つ
新京の魔窟「大観園」の首領は「日本人は早く負けて日本に帰ったほうがいい、それでなくては日本そのものが無くなってしまう」と。つまり色と食と財貨の三欲への誘引だ。貪ったら際限のない欲望となり衰亡する、つまり当時の日本人には免疫がないと観ていた。日本及び日本人を知り尽くしている。
「日本と戦争をしたら、どちらも不幸になる。日本が無くなっても中国が駄目になる」
蒋介石の不抵抗は孫文の意志に沿ったものだった。その孫文の信頼した国は日本であり、日本人なのだ。あくまで当時のことだ。
そして孫文は側近の山田に「真の日本人がいなくなった」と歎いている。
あの頃は複雑な縒りはまだなかった。
どうだろうか、真の日本人とはどういう人物なのか、鎮護の国といわれるその郷で考えてみたいとおもうのだが・・・。
鎮まりを護ると冠する日本および日本人が、強国の傭兵となり相手をあげつらうだけで解決するはずもない。
まして処し難き「内なる賊」が跳梁跋扈する社会において、鎮まりを以て足元を見ることさえできなくなったのだろうか。
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