
「保護司が処遇対象者によって殺害される」
同僚保護司として深く哀悼の意を捧げます
4,6000人余の保護司、ご家族は思いもよらぬ結果に戸惑いと緊張を強いられている。
以下は備忘録として改めて想起し、調べなおして難儀な考察を改めて再編しました。少々感情の入り混じった文体となっておりますが、世上の様子として「眺め読み」をしていただければと再掲載します。
長々とした備忘録ですが、犯罪者の更生を援けるという目的を掲げた官と民の協働の体験考です。
文中にあるPTAやBBSといった外来の仕組みや運動が如何に変容していったのか、その類似点は国家の形式看板である我が国の民主の実態を如実に顕わしている。それは先のブログに記した「官製の地方創生策」が如何に政策遂行の遡上に馴染まないのかを表し、その隠された民意のブラックホールに吸い込まれ、より弊害を深めるかを推考するのである。
従順にして、かつ、したたかに官と間をおく民意は、為政者の善なる政策すら届きにくくなっている。
つまり、「戦後レジーム」はこの民風だと気が付かなくてはならない。
【本文】
保護司法では人数の上限は全国で52000名とされている。つまり保護観察官の補助員として社会ない処遇を補う保護司は、対象者の増減に関わらず定員を定められている。それは警察庁の統計でも減少している犯罪数と比して適当とする定員なのかどうかの検証さえなされていない。よく他機関でみる既得予算消化のためのお座なり研修や恒例視察経費の員数集めとは違うとは考えるが、全国観察所の積み重ね員数なのか、犯罪件数にスライドする様子もない。
昨今、保護司の増員が図られている。それは減少に伴う定数ラインへの補充の感がある。
そこで保護司の職務に関する研究および発表を保護司法で促されている当職として現況の一考を呈したい。
まず前記した定員と定められている上限と適当人数との問題である。また、あくまで保護観察官の補いとしての保護司だか、保護観察官の定員と担当件数の推移の関連性である。 以前は直担事件もあり少年の場合はBBSのグループワークなどに委ねたりして多くの成果を得ていたが、いまは平均年齢60歳以上の保護司に委ねている現状である。
≪「直担事件」(観察官による直接担当事件)
本来は保護司に委託するが、対象者の状況によって観察官がBBS(兄と姉の年代による更生援助活動団体)に委嘱することがある≫
以前は、守秘義務に関連して保護司の受任すら地域で隠れた存在であった。それは来訪する対象者の人権を考慮するものとして永い間の倣いとなっていた。それが、犯罪防止活動が加味され、活動の社会的認知の一環として「社会を明るくする運動」が法務省主唱で行われるようになると、地域の各種団体との交流や、なかには一人で多くの地域役職を兼任し、ややもするとステータスとも考えられていた保護司の活動周知が「社会参加活動」と称して、多くの関連および重複行事と活動リンクするようになってきた。
現在、青少年健全育成を冠とした施策は、法務省、警視庁、地方紙自治体、教育機関など、数多類似した活動がある。非行防止からアウトドア体験、スポーツなどが官製行事として恒例化され、くわえてボランティアによる特徴ある活動が行われている
朝礼の国旗掲揚 台北
比するも妙だが、以前のBBSもワンマン・ワンボーイといわれたケース活動(対象者を保護司、観察官より受任する)が、善行をしている集団との高揚感なのか、組織拡大、会員拡充を意図して、学域、職域へその掲げる理念の周知活動を始めるようになり、学域では学用に供する少年犯罪および対象者の研究と化し、職域においてはグループ化されたBBSが政治的言行を表すものも出てきた。
たとえば、宗教集団も、゛良い教え゛を己の内観する咎め(内省)に向けず、現世利益を謀り社会の脆弱な部分にリンクして外部を変える、あるいは転覆することを考えるようになる。またそれを使命として信者は掟を作り協働するようにもなる。とくに非行少年を社会の弱者、あるいは格差のゆがみと捉えると体制への疑問、問題意識の芽生えから、「善いことをしている代弁者」の意識に高揚し、組織を運動の衆として考える一部の会員も出てきた。
つまり「善い考え」「好い行い」は得てして外部に影響力を発揮しようとすると軋轢が起きる。そのために多勢の衆を恃んだり、無理な権威づけをして行動を絞め付け、疎外感すら覚えるようになる。悪い風評はまたたく間に伝播するが、善い行いは隠匿された善行としてより人格を照らすのはわが国の情緒にある義狭心ではあったが、それも、近ごろでは、考えを解ってほしいとキャンペーンを張ったりするようになった。
また、成文法(清規)に記されている文言に随って任命されている保護司だが、狭い範囲の地域の掟や習慣(陋規)によって支えられている各々の「地域」に、御上御用の保護司として表面だって地位を確立しようとする動きが組織的行動として表れるようになった。
それが、慇懃な推薦として人々からもったいぶった姿として、「臭う」のである。
一昔前だが、善行を旨と称するBBS会長には法務省OBが就き、出張にはファーストクラス、各地の会合には法務省高官、現地観察所長、自治体首長、現地保護司会会長が参席して、BBSは数十人という珍奇な形式会合が行われる。善し悪しを問うことではなく、それが人の生活する郷の「そうゆうもの」にいう世界の連帯と調和の姿なのだろう。
関東地方5000人の運営を委ねられ、各県各地域に点在するBBS会の集いには、たとえ山海僻地でも訪問した。それは、毎週二回九段の東京保護観察所内にあった関東地方更生保護委員会事務局に机を持ち関東管内の更生保護協力団体の連絡調整を行っていたころだった。
形式だが、書式の問題があった。
今ならパソコンで毎月報告書のフォーマットをつくり、ワードなりエクセルで打ち込みネット送信すれば管理も運用も簡便になると思われるが、筆者とて普及とセキュリティーを考えると提案すらはばかる環境がある。とくに、昨今の個人情報厳守の流れは、保護司法の成文に記されているとしても、公務秘密については普遍なコントロールは難しいようだ。
当時、関係省庁との交換文章も法務省は裁判所書式だった。あの手書きの警察調書を想い出してほしい。何段下げて、何行を空けるあの縦書き書式だ。BBSとてそれに随い和文タイプで打ち込んでいた。これでは若者は到底ついてはいけない。だが今まではその様に決められていた。今では警察も検察も調書はパソコン印字だが、昨今は偽造といわないまでも削除や加筆が時系列に関係なく行われるようになった。
当時は記録もできない和文タイプである。その煩雑さと民間篤志の活動普遍性を担保するために、A4横書きに改めたが、何のオトガメもなく受け入れられた。そしてあの巨大なロールでチリチリと刻む電送機のお世話にもなった。あるいは懐の乏しいBBS会員が地方研修に行くときに旅費が支給されたが後清算の手続きが慣れないために未支給が生じることがあり、是正方法が検討され順次、行政と民間ボランティアの風通しを整理もした。
一方、九段の庁舎には東京保護観察所もある。各区担当官も今と違って狭い部屋にかたまっていた。本庁の霞が関と離れているせいか、アットホームな雰囲気だった。みなBBSにとって好い人だったのでそう見えたのだ。
いつ頃からか廊下に組合のスローガンを大書したポスターが増えた。出獄、退院者がまず訪れる観察所の廊下である。外部の気易さか「見えない所に貼ったらどうか・・」と提案した。所長は筆者を呼び、声を押さえて語った。
「職場環境と職員の待遇はあくまで職掌にある対象者との関係にある。突然の電話、急遽の出張も大変なことで理解はできる。当初はそうだったが、いまは組合という集団の存在に関わる問題になって来た・・・。」
BBSや民間ボランティアに理解があった観察官が、組合未加入職員の電話には出ない、連絡応答もないと聞くようになった。ここでも対象者の顔が見えない世界があった。
関東BBS事務局の責任者としての印象に戻るが、地方はもともと異端者、とくに犯罪者を蔑視もしくは疎外する固陋なセキュリティーがあるせいか対象者も少なく、会員も、゛選ばれたもの゛との認識があり、記念行事には近在の有力者が祝い袋にいくばくかの祝い金を持参して、都会とは異質なコミュニティーを作っていた。
ある意味では深層の国力というべき情緒の共感と連帯であり、科(とが)人を出さない良き環境でもあった。ただ、外来を拒む意識は良き変化の浸透を許さない固陋にもみえたが、煩雑な法規をあてにしない穏やかな環境自治があった。
もちろん保護司も一人多役が多く、僧侶、議会関係者、官吏OB、教員OB、医師等、昔の釈放者保護団体、司法保護委員の古き良き部分の篤志と、御上御用の選民意識が混在し独特な地位を構成している。
BBSの場合は学生、勤労者、地域居住者と様々だが、ワンマン・ワンボーイという一対一のケースワークも基本とされてきたが、スポーツや趣味を通じたグループワーク、あるいは施設訪問などか行われていた。保護司の平均年齢60歳超が示す通り、中学生のように若年との面接は環境報告、面接報告ならまだしも、更生への実質的活動については隔年の理解ということで無理を生じることがあり、その点、一緒に汗を流し、抱き合い歓喜するようなスポーツでの理解と順応にくらべ、更生効果を問うものが少なからずあった。
横文字のBBSは法務省の外郭団体として、保護局所管の保護観察行政の篤志ボランティアとして非行少年の保護更生分野の係わりを深めた。それは独自の大義名目はあっても、存在意味は保護分野への依頼と活動遵守によって多面的な活動を狭めることでもあった。
否めないことは、依頼される対象少年を独自に発見することではなく、また社会内の種々の組織間交流が微かになり、それは会員の社会内の人的交流の希薄さゆえも理由ではあるが、法の監督下にある少年たちを、明確な身分もないBBSには行政としても間(ま)を置かざるを得ない事情があった。つまり、指導や援助の限界があるのだ。
その意味では、怠性化した関係と共に、ステータス意識、狭い範囲の帰属意識を生み、逆に独立性、自立性、柔軟性を失わせ、個の尊重ゆえに連帯意識を失わせ、社会への善行啓蒙運動の基であるはずの組織間の調和も乏しくなり、運動は衰退していった。
なかには、使命感や責任感を問うことではなく、自らの疎外感、孤独感が組織帰属によるささやかな充足感、もしくは学びの対象(学用対象)として交流の場にもなって来た。
なかには婚活紛いやスポーツ同好会のようなものもあった。
つまり、同じ社会内で生活する境遇のことなる子供たちへの柔軟であるべき問題意識が、ややもすると、異なる環境の対象として自己の存在と認識の客観性のみが優先され、一体となり共にする情感が薄れることもあるようだ。集団化した行動によくある個々の目的や責任の在り様が希薄となり問題ともなった。
ここでは、なぜ一対一のワンマン・ワンボーイ活動がなくなったのか。それを社会現象の推移としてみれば、BBSの衰退のみならず、迎合にもみえる外来からの環境順化の問題意識もなく経過、看過してきた社会の情感の変化に注意深く観察しなくてはならないだろう。
以下は林壮一著「アメリカの下層教育現場」関係抜粋を参照
≪生きるうえでのビジョン≫
林壮一著 「アメリカ下層教育現場」より
アメリカには引きこもる部屋もベットも、そして満足な食い物もない貧困層がいる
BBSについて
1902年、ニューヨークの法廷事務員の男性が仕事の合間に戦争孤児、低所得者の子供、親が獄中にいて誰にも相手にされない児童が対象だった。
同時期、ニューヨークでは女子児童のみを対象にサポートするグループもあった。
「ともだち活動」を目標に掲げた。また1904年ペンシルバニア州フィラディルフィアでは、屑籠を漁って食料を得るホームレスの子供たちへの支援団体が誕生した。
目的を同じくする三団体が手を結び、組織化して「ビック・ブラザー&ビック・シスター」とネーミングされた。他地域にもユース・メタリング活動を促し、100年後には全米50州、35か国でユース・メタリング活動が広がった。
※ Youth Mentoring 若者への助言指導
親でもない、教師でもない第三者の大人が、週に一回、一対一(ワンマン・ワンボーイ)で時間を共有した。注目すべきは、一対一という点だ。
活動の条件は、どんな人間かを知る身内以外の3人の人を紹介するのが規則だった。
人種問題と貧困
「小学校では、白人の教師と生徒、マイノリティーはマイノリティーでうまくいくが、そうでなければ絶対にうまくいかない」と説明を受ける。
面接者は「さまざまなデーターを照らし合わせて、あなたと合いそうな子供がいたら連絡します」といった。
≪筆者註 センターの職員はボランティアと子供(対象者)をつなぎ、責任をもって調整する介在人であり、ある意味では管理人、インストラクターともいえる。≫
運営は税金を免除され、寄付金でまかなう。
大事なことは「子供の友人として接する」、愛情を注ぐことはやまやまだが、決して親のようには振る舞わない。
10項目のポイント
⒈ 友人になる
⒉ 明確な目標とプランを立てる
⒊ 互いに充分楽しむ
⒋ 考えて言葉を選び、助言する
⒌ いつも前向きな姿勢を忘れない
⒍ 会話の意味を理解して、意見を押し付けない
⒎ 子供の発言に注意深く耳を澄ます
⒏ メータリングを行う場所を敬う
⒐ 子供との関係を忘れず、親とならない
⒑ 使命と責任を忘れない
それぞれの社会環境でサービスが異なる
【アメリカ社会の抱える問題】
低所得者のコミュニティーは常識外れの大人が独自の方法で子供と接している。なかには10歳にも満たない子がアルコール・ドラック・喫煙・凶器などの携帯を覚える。
善悪の判断ができないと犯罪に結びつく。貧困エリアではそれらが結びつき、ドラックの売人やギャングになる子供が多くなる。
林壮一氏は教壇に立った経験を活かしてテキサス州ヒューストンのジョウジ・フォアマン・ユースセンターでボランティアをした。
≪筆者註 ジョウジフォアマン 元ヘビー級プロボクサー ザイールでの行われたモハメド・アリとの試合を最後に引退して、牧師となりボランティア活動を行う≫
問題児や登校拒否児童を集め、人生をやり直せるように支えるセンターである
方法は、リクレーションを通じて整列・挨拶、約束を守ること、などの規律を学ばせた。
ユース・メンターリング(若者への助言や指導) 6歳から19歳までの子供に寄り添う活動
も行った。
台北 六士先生顕彰碑
【再本文】
だだ、保護の三位(み)といわれる保護司、更生保護婦人会(当時の名称)、BBS,の分別した役割とは別の、地位的感覚や視点が上下関係として集約され、一人の処遇対象者をめぐって考察が異なる問題が、老若の軋轢にもなったことも少なからずあった。
多くの保護司は対象者を包み込んだ協働を多としたBBSの考察を報告書に添付して多く成果をあげることができた。逆に若者特有の反発なのか、かつBBSのなかにも長幼の順に馴染まないのか、一人対象を忌避してグループワークや多地域組織、上部組織との関係にある組織運動に向かうものも出てきた。
たしかにBBSは保護司の補助機能もなければ、法的擁護もない。また、法に関わる対象者への係わりに明確なガイドラインもなく、ときどきの個人的理解に委ねる脆弱さもある。だが、老若に関わらず目的の裏付けとなる公機関の依頼が、逆に社会への活動周知において、普段、犯罪者の更生などには関心も持たない世界には「公機関の依頼」が、異質な雰囲気を持たれるのは当然なことである。
その意味では保護司もBBSも個々の指向は対象者にとって有効な立場ではあるが、なかには、いかに組織における立場の維持や社会認知に励むような同質な「臭い」がすることでもある。
あくまで、保護観察官のへの助力であり、犯罪者更生という特殊な目的を持つ組織であることの理解の齟齬が読みとれる姿でもある。
つまり、そのことを理解しつつも上位の促しによる社会啓蒙活動は曖昧な目的と手段によって、どうにか形作られているといってもいい状態がある。それは更生保護従事者による社会参加が敢えてその特徴を発揮できない形式行事になっていると思われる現況である。
一部の若者もそれに倣ったのか、経年すれば役所から授与される感謝状や表彰状を案じたり、組織の置かれている位置関係にある、役位を求める若者らしくない姿も表れてきた。
セレモニーには皇室関係者や政府高官も列席するので応接も法務省の保護局を超えておこなわれ、よりその邦人らしい帰属意識と活動意義を高めたが、役職位置の本義である観察官への補いである対象者への取り組みは変化し、地域への事業周知と自己周知が相俟って「更生と保護」が単なる「報告委託」になってきたと、さる法務官僚の述懐がある。
以前、法務研究所で「権威」について語り合ったことがある。機関紙でも紹介されたことだが、保護司を先生と呼称することについての問題だった。尊称なのか、従前の倣いなのか互いに「先生」と呼び合い、若い観察官も「先生」と互いに呼び合っている。
ことさら切り取らなければ大した問題ではないが、当時は教師が教員や職員となり、それでも生徒が「さんづけ」ではなく先生と言い、庶民から選ばれた議員が先生となり、落選すれば「さんづけ」あるいは、形式的に「先生」と呼ばれるなど、゛そうゆうもの゛と思うものでも議論の題材になったことがある。しかも当局のなかにも疑問視する声も上がった。
なぜなら社会内処遇で民間保護司の助力を得る個々の処遇と、その処遇を容易にする、あるいは社会を浄化するという官製運動が各省、自治体関係機関を通じて勧奨されつつあるなかで、それぞれが協調し時に一体感を以ておこなうムーブメント(運動)に保護司の領域が異質に感じられないよう、その権威の表層にある狭い範囲の呼称である「先生」が、議論になったのだ。
担当を決められ対象者が来訪しても、もともとは互いに市井の人々ゆえ犯罪種別に嫌悪感を覚えたり、ときには憎しみさえ抱くこともないとは限らない。だだ「不幸にして犯罪をおこし・・」とおもいやる保護司受任の前提があるために、保護司とて俗世の感覚とは異なる自制が働かなくては受任の意味をもたないのは当然なことである。
一方、アカデミックでもなく法に含有されない義狭心というものがある。保護局の依頼で多くのテレビ、ラジオの媒体に出演したが、NHKの一時間放送のスタジオで「そうゆう子供の姿を視ると、面倒見たいと思う気持ちが湧きます・・・」と応えたことがある。
つまり、自発性と積極性、そして縁の連帯意識が基となるべきだとの表現だったが、視聴者には更生保護に携わる多くの人々の意志がストレートに解りやすく伝わったとの意見が寄せられた。また、資格などなくても誰でももちうる情感を喚起するという気持ちと、切り口の違う社会資源の活用が、その「特別ではない容易さ」として伝わったようだ。
それ以後の保護局への問い合わせとBBSへの志願は多くなり、BBSのモデル地区設置としてつながった。
更生保護に携わる方々への印象は、一種の「匂いと臭い」があるとの感触があった。人を困らせた人をお世話する、疎外された人との交流、まるで村八分のような感情のなかで善行の匂い(薫り)は観えても、ステータス意識、御上御用の臭いも同時に漂うように感じられた。
当時の更生保護婦人会の島津久子氏は当時のBBSに『臭いを消すことが篤志家の善行であり陰徳を有効に重ねることになる』と、善行の本意を伝え、東京保護観察所長の堀川義一氏もBBSの若者と好んで応接していた。
当時は各区の保護司会の運営もさることながら、保護司法をもとに個々の保護司を任命して直結した関係が強かったが、昨今は紹介が推薦となり、推薦権が各保護区に与えられるようになり、なかには恣意的な推薦まで行われるようになってきた。
保護司法で無給と定められているが、其の代りなのか他省庁に連なる諸団体と比べ、年次を重ねるごとに賞状が高級になり、官吏の地位に順じた感状、表彰状、大臣の感状、最後は陛下からの褒章や勲位と、役職、組織貢献度、あるいは地区責任者の推薦裁量で要綱を記載された長方形の紙を推し抱いていく。
つまり、その視える作業を通して選ばれた人々の善行と組織が陰徳から周知になり、世間の理解と善意の喚起をふくめて「権威」が徐々に醸成されてきた。しかし、それはあくまで対象者にとっては「虚」だった。その彼らは一生目にすることも、手にすることもできない代物だが、彼らの「不幸にして・・」とある存在由縁であることを忘れてはなるまい。
ある保護司は「君らが真面目になったお陰でこんなものを貰った。祝賀会とやら騒いでいるが君らが一緒に参加すると眉をひそめる人もいるし、普段着では君らもひもじいだろう、祝いの騒ぎはやめて、君たちの仲間を呼んでやろう」と、祝賀会の催しを断っている。
何枚もある四角い感状や褒賞も棚晒しだった。
冒頭の定員数の問題はさておき、定年の増加とともに定員未充足の問題が起きてきた。
永くは定年保護司の紹介だったが、近年はその方法も効果がなく、地域の関係団体の紹介を請うことが選択肢にあがった。手っ取り早いのは地域を構成する町会にお願いしようとする試みである。
この種の受任は事業内容の問題も含んで受ける側の条件も細部にわたる。
なかには「臭い」を維持するものもいる。
実際にあつたある応答を紹介する
保護司が候補者を訪ね
゛保護司をお願いしたいのだが゛
「報酬は幾らくらいもらえるのか」
゛無報酬だが、あなたの若さなら藍綬褒章まで届くはず ゛
もちろん、嬉々として受託する者もいれば、頑として断った人もいる。
ここで注目したいのは、対象者は一生、藍綬褒章など縁のない人たちだ。報酬については社会の認知もあるが、褒章をあてに、あるいはそれを餌に受任を求める心底は一種の社会劣化を助長するような姿である。
なかには五百万を寄付して紺綬褒章をもらい背広を新調して自身で祝賀会案内状をもって参加懇請していた可愛い猛者もいた。もちろん賓客は自治体の長か議員である。人生訓や慈愛を説き、信頼を立て更生を促し、縁の効用を人間関係とした対象者は招かれることはない。もちろん、そう考えるのは天の邪鬼で変人と思う世界なのだ。
面接では、生活の簡素、節約、人に対する思いやりを説くが、腕には金時計と金の鎖、未だゴルフ遊戯も知らない幼い対象者にゴルフを勧める人間もいる。逆に天涯孤児の境遇にいて非行(喧嘩)をした対象者をおもい図ってゴルフを封印した保護司もいる。もちろん生涯の友になったことは言うまでもない。
保護司同士の推薦会議での会話だが、地域は保守系が多い地域だ。
「紹介したい方がいるが元某党の議員で心を砕ける方です」
゛某党、それはまずい゛
「もう退職している方ですよ」
゛それは推薦できない゛
それは共産党や社会党もそうだろう。つまり地域の主だった者、ボス的な者の威圧であり、そりこそ「臭い」の素の感覚なのだろう。
別に個別政党の云々ではない。たとえ応援政党があっても、対象者は元犯罪者であっても宗教、思想を保障された国民だ。ましてや自らの経歴実務や篤志を活かそうと志願する人に対する応答ではない。しかも意図するものは裏に隠れ、善悪も分からない従順な後輩保護司が代りに口を開いている
なかには断られたので次をあたり、断った候補者が「こちらで断ったためにあの人に回った」と、二番手候補者と揶揄されたりもする。
どうも御上御用は妙な意識が働く様だ。あるいは既得権意識なのか、推薦の端緒は根回し、裏話、が多く、しかも妙なところで守秘義務を持ち出し、一部情報で会議を構成する田舎芝居のような雰囲気が滞留している地域もある。よく下話、裏話で決着をつけ、正式会議は形式的な集まりになっている低俗な会もある。これでは有能な候補者や、正論すら閉ざされ、単なるサロンの遊戯にしかならない。
その町会からの照会だが、いつの間にか「町会長の推薦」と錯誤して、町会長を兼任する保護司は既得権、既成事実、専権として考えている保護司も散見する。
あくまで、照会であり紹介でも推薦でもない。いつから町会長が保護司法にのっとり保護司適任者を選択できるようになったのか、あるいは町会長が議員兼職の場合にあった選挙協力者や後援者をPTA役員、民生委員、自治体の各種委員に推薦するような愚を保護法に基づいた保護司が行うことは、将来の禍根をのこす試みにも見える。筆者も将来を危惧するものだが、官も員数合わせに符丁のあった理屈を唱え、地域保護司も何の問題意識もなく員数確保に奔走しているのが現実でもある。
一例として、戦後、GHQの招聘で米国教育使節団が来日してPTAを勧奨した。翌年事後調査に来ると、とんでもない組織になっていた。その構成は学区のボスの集まりだった。つまりGHQ推奨の御用組織だと勘違いし、大仰にも子供のため、教育のためと席を占め、敗戦転化で軟弱になった教員をしり目に、いまのモンスターペアレント顔負けの醜態だった。
また、その珍奇なPTAを選挙人数として与野党そろって影響力の浸透に努めた。多くの篤志家が創立した保育園が左翼政党に乗っ取られたのもその反動だった。ましてや町会長もその類を免れない。それは教育機関以上といってもいい固陋な姿が都市部でも残っている。
もとより、町内会は思想、宗教、国籍、支持政党はさまざまだ。また町内会といっても任意の私的団体であり全世帯数からすれば、お近ごろは未加入、お付き合い参加も増え、決して町民を代表する「町内会」ではなくなってきている。
ある行政区でも保護司の推薦は自治体の長を以てする、という案が出たが、よく調べると首長公選への迎合と保護司会長の女房と首長の郷県が一緒で、たまたま世辞を言ったことを取り巻き保護司が早合点したと笑えない話があった。このときはさすがの保護局も苦言を呈している。
また、それぐらいな位置と利用できる保護司という地域効用を意図するものがいれば、独特な法権威を得ると考えるシロ蟻には恰好な餌にもなるものだと実感したものだ。
また、好奇な目と関心がいたずらに拡大すると、多岐で多様な切り口、ここでは怨嗟と人格否定が多くなるのは必然である。昔は医師、議員、警察官、教員が地域の尊敬対象であり、住民にとっても頼もしい存在だった。だが昨今の情報氾濫で多くの隠された不祥事や優遇が露呈され、それらは却って怨嗟の対象になっている。本来の業務や責任まで疑われ、風評や井戸端談義のタネになって有効かつ永続性を求められる保護司の対象者との関係信頼性も毀損されるようになる。つまり大幹と枝の峻別が半知半解な多勢によってできなくなる危険性がある。
保護司補充も下げ降ろしの政策だが、意図の事情や真意まで探る問題意識は無く、御上御用に慣れた人々によって、部分解消、全体衰退に陥る先見の推考がなされるべきだろう。
なかには、俺の言うことを聴いて、会議にも出席していれば感状、表彰状の推薦をしてやると広言し、それを餌に取り巻きを役員につけて担当官吏に事業を誇示する保護司会の責任者もいる。浜の真砂は尽きぬとも・・・ではないが、それが保護司といえ元犯罪者を観る目であり、姿とは思いたくないが、あくまで「観察官の補い」という官への篤志的援助を忘却してはならないはずだ。
また社会のなかでの更生保護を考えると感ずることだが、あのBBS運動に没頭し生活の一部になっていた活動が、一旦離れて見ると社会生活のなかでどこの位置を占めているのか、どのような関心があるのかが、まるで忘却消滅したように無くなったことがある。
別に嫌気がさして辞めたわけでもなく、おおむね30歳と記載されていたことに随っただけだったが、やり残したこともなく、ただ18歳からの浸透した更生保護の活動を回顧するのみだった。また、20代の後半から警視庁の少年補導員を受任し、保護観察以前の非行の端緒を扱うようになって、保護と同じような「臭い」が充満していたことに「御上御用」と「善い行為」に集う大人世代の疑問に妙な普遍的ともいえる慣性をみるとともに、この国の民癖なのかと諦観を感じたりもした。それは、あくまで下座観からどう考えるかという前提からだ。
その意味では20代の若年ボランティアの社会的効用を認め観察官の直接担当対象者を依頼されたり、更生保護の社会的周知のための端緒であった「社会を明るくする運動」の在り方を提案し企業協賛、運動の骨格作りにまで参画することができた当時の保護局の許容量と柔軟さがあつた。
笑えない話だが、法務官吏とて社会に慣れた職場ではない。
あるとき飲料大手の会長に協賛金のお願いの話があった。其の会長は中央官庁の中堅が来るので大きな額を想定していた。そのとき官吏は恐る恐る50万を提示した。目を丸くした会長だったが額の低さだった。「それなら球団の交際費で・・」と拍子抜けだった。
鈴鹿の交通研修の協賛も本田技研の後の社長が応対だったが、同様な応接だった
その際、提案させていただいたのが鈴鹿サーキットでの交通安全教室でした。ホンダの鈴鹿というだけで少年たちは興味を示してくれた。社名運動は法務省主唱だが、願いは国民運動であり継続性が伴わなければ、単なる官製イベントの人集めしかない。本来は対象とする世代に問題意識を持ってもらい行政や保護司が下支えするものでなくてはならない。予算取りが成果となり、効果もなく恒例化する行事なるものに風穴を作るアイディアは、対象となる世代に委ねることであろう。
貧すれば鈍す(貪す)では恐縮な見方だが、世間と関わりの少ない省で、とくに世間慣れしていない保護行政が社会に参加?しはじめた頃はそんな調子だった。だからマスコミ対応、特に映像は溌剌としたBBSの若者で、当初の広報キャラバンの企画やビラ作り、配布も若い女性BBSだった。
しかし、現在にいたっては机上の企画の下げ降ろし、かつ御用意識ゆえに半知半解のようにも思える明確なガイドライもないままに各地域に提示するようになったことで、それぞれの異なる理解が却って混乱を起こしている。地区会でのパソコン導入でも喧々囂々の争論が起こり、就労援助も厚生行政との協調理解不足の混乱、社会参加活動の他機関との類似と参加人数と実質効果など、あの当時と類似した戸惑いがあるようだ。
若い行政官吏と高齢世代の理解齟齬も多分にあるが、変化を厭う職域ゆえ世代間に妙な怨嗟さえ起きる状況がある.
もちろん保護行政としての運用効果や成果を目的としたものだが、およその混乱は対象者処遇ではなく、社会との関係促進と新たな施策(周知)と、多岐にわたる社会サービスなど多様化に起因している。またそこには多くの戸惑いの因が隠されているが、なにぶん処遇効果と善なる周知という大義のもと、為さざるを得ない選択としての現状があるようだ。
一利を興すは、一害を除くにしかず (元宰相 耶律楚材)
(真の効果は、積層された法や仕組みを整理するだけで、敢えて新しきこと、あるいは職域を拡大させなくても自ずと効果は表れる)
それは情報の流れの姿として、保護司そのものも対象者のための適切な処遇をどのように工夫するのか、あるいは将来をどのように推考するのかという自発的思考や、ときには異なることを恐れず提言するという、官と民の相互提言が乏しくなることでもあった。
それは保護司候補の選任基準にもうかがえる。
本来は法を基にすれば観察官のお手伝いであり、活動を通じた対象者の側に立った提言を行える人材の提供、また曖昧ではあるがそれらしき信頼に値する人物とあるが、以前は地域の主だった者、有力者、どんな形でも肩書を有する者との倣いがあった。またそのような人物は許容量があり、多少の財と時を有し、対象者にも鷹揚な理解と涵養があると考えられていた。
しかし前記した権威と御上御用意識が妙な選別されたステータス意識として候補者を特殊な選良として挙げることによって、組織運営に忙殺され、本筋の目的である対象者処遇に、より窮屈な世界をつくり出してしまう危惧があった。
≪あくまで保護観察官の補い≫
当初は対象者の人権を考慮した陰徳した行為が、官側の社会参加の促しによって多方面にリンクする、その混沌とした理解と、あたかも整合性ある社会内処遇の姿として個々が多様な理解をしても、あくまで観察官の処遇のお手伝いとしての保護司の前提となる「本」が易き方向に流れ、民をして、より権威が屏風となるような社会表現や妙な社会的認知が出来上がるのではないか逆賭し、かつ憂慮する。
とくに一般の保護司より、保護区の役職といわれる立場の保護司に見られる傾向のようだが、人事抗争まがいの怪文書や応援者確保の陣取りが行われるようだ。別段一般保護司には関知することではないが、保護区長(会長)が高位官吏の感状推薦権があるとの考えが一部のステータス意識(御上御用)に敏感さをより刺激しているようだ。その弊害は昨今是正されたと聞くが周知はされていない。
いわんや、行政が外郭取り巻き集団として用することは数多あるが、多くの官域で行っている育成や未然防止という茫洋とした運動に混在させることは、その処遇効果を高めることにはならないと顧みて実感するのだ。
自治体や民間団体はもとより、あれもこれもと他省庁との連携や活用を謳うが、国情、世情を俯瞰するとあまり効果の無いようにもみえる。
畢竟、もともと犯罪者の更生は世間では理解の薄いものであり、これを濃くしようとすることは人的にも膨大なエネルギーを要し、国柄や情緒さえ転化しなければならないものだ。いくら人権や平等を唱えようと世間は別世界のものとして、あくまで官域の専権として、それらからの守護を求める側にある。たとえ官制スローガンや巧みな企画を弄しても、俗に言うハナシと行事倒れに終始する。またその印象はとみに峻別に厳しさが加わっている。
筆者の拙い保護分野の40年の体験であり、経年の成長と劣化という勝手な俯瞰視だか、将来の国情と民癖を推考するに、ここは観察官のお手伝いとしての対象者処遇に保護司の活動の重点を置くべきと考える。一時は一万人以上の若者が参加していたBBSも京都の学生の自発的行動だった。それが組織維持と拡大を目標に社会にリンクし、欧米型のケースワークやアカデミックな処遇技術を学び、それを学用として会員の自己学習の充足や自己認知という本末転倒な運動に進むにしたがって組織が停滞衰亡していった経過がある。
かつ若手官僚の現場対応能力や固陋なる習慣を持つ様々な地域観の再考証がなければ、若手保護司の補充など望むべくもないだろう。認知や周知の願望が社会を明るくする運動のなどの社会的認知の高揚感から発したものなら、それは本末転倒な施策であり、保護局内の目新しいと思われる政策立案の方向性への再考が必要だろう。
社明運動のスローガンにある、対象者を同じ世代の若者の「不幸にして」、あるいは「不慮の結果」という、誰にでも起きるであろうという共感をなくしてはならないだろう。
余談だが、日本の更生保護のはしりであった鬼平こと長谷川平蔵がおこなった石川島での殖産事業、そして毎度のように訪れて言葉をかける「権力のささやき」を懐かしみ講演したこともある。保護司の集会には別世界の大手通信社の解説員を紹介し多面性と視野拡大を意図した保護局の助力も行ったことがある。
そのころ、世間で流行り、カブレたのは、個性化と国際化、そして自由と平等ではあるが、教育は数値評価と、人格涵養とは何ら関係もない地位、名誉、財、学校歴という附属性価値の競争だった。非行とか犯罪はあくまで外の忌避する世界なのだ。また大人たちはそれを煽り、その附属の価値を権威づけすることに励み、表層に謳われる善なる行為の勧めを我が身の虚飾とするものも増えた。また、「ポランティァ」という言葉も大手を振って喧伝されるようになったが、却って人々は連帯をなくし調和すら衰えた。
それは「人物」を視る目が表層の附属的価値と、曖昧かつ虚偽を含む一過性の風評に人をみるという稚拙で狡猾にもみえる世情となり、思索と観照をなくした情緒は無名でかつ有力という人物観が意味をなくし、有名をもとめ、さらに干渉し、批評するという軽薄な人の見方しかできなくなったことでもある。
保護司は保護司法に随い、かつ護られた一個の人格の為せる作業である。(その意味ではヤクザは稼業の親分の方が効果はある)
そして、複雑多岐な事情をもった行政の補完として助力、提言を行い、その相互連絡の必要性を「会」に求めるものであり、近年に謳われてきた社会参加への易き誘惑の前提に、対象者の更生と保護、それは長谷川平蔵の殖産事業や金原明善の善行を範とした歴史の賢人の意志を顧みて己に問いかけるべきと時代は要請している。
政治の人間関係においても疎外と排他が流行りとなり、人々の離合集散がめまぐるしい時世である。また、それは土壇場の民癖であり、四角四面と阿諛迎合が官と民の関係を支えている陋規(狭い範囲の掟、習慣)だが、あくまで最後は人物の義狭心と和魂は語られる。
いくら清規(成文法)が整っていても煩雑で用をなさない法では社会は整わない。
また、「易き」は進捗するごとに軟弱となり、弛緩し、堕落崩壊する。
複雑な要因を以て構成されている世事としては保護行政も細事だ。だが日本のみならず地球のあらゆる文明に棲み分けられた民族や仕組みを俯瞰すれば、たとえ国家が行う細事な保護行政も価値の優劣を競い、優を有効、劣を無効として切り捨てられる溝の拡大は、「劣が烈と転化」し、「優が遊惰を生ず」という古事の倣いをひくまでもなく政治の要諦として見直されるべきだろう。
大仰だがあるインタビューにこう応えたことがある。
「非行犯罪が増えることは国家が脆弱になる。ただそこに追い込む善良な大衆もいる。求めるものの裏側には自身の鏡となった彼らがいることを忘れてはならない」
2024 12 7 激震ノ夕刻 加筆再記す
説明なきイメージは津軽弘前
あの頃の体験が想いでとなり、小さなことでも観察する優しい心は、きっと未来に活かされます
また、人の評価のしかたも色々な方法があります
自分が変われば見方もかわります
優しい観察を多くの人や大自然に向けると心も大きく
なると思います。