まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

我国の宰相は「掃除大臣」たるべし 2008 10/8 あの頃も

2024-01-31 01:12:51 | Weblog

 

悪戯な標題ではない。今を見て臨機に為すべきものを知らなければ「政外」(政治のピントが外れる)こと疑いなし。

゛掃除゛は掃き、除くことである。それは倹約につながり無駄を省くことにもなる。歴史に尋ねれば、このような姿が国家、社会、民衆に現れたら、先ずこれに取り掛かるのが権力者の任だった。

干支では「戌」の期に当てはまる。草冠をつけると茂るとなるが、同じ「繁」とは異なり、植栽をしない為に風通しが悪くなり樹木全体が枯れてしまうために「刈る」という意味でもある。

これを国の機構なり、会社の組織に当てはめると、「弛緩」つまり心の弛みになって組織が停滞し無駄も滞留し「患う」ことになる。多くの組織は人によって動いている。しかし、その人心が弛み、機械などによって労働感性が衰えたりすると全てが受動的になり、国家をして、゛誰かがやってくれるだろう゛゛自分だけが動いても変わりが無い゛といった躍動感の欠如がみられてくる。

「戌」には改革の意が潜んでいるが、根本無くして表層の政策、対策という部分検証や修正しか考えられず、終には改革に飽き足らず革命を意図するようになってくる。それもこれも、先に述べた植栽によって何を求めるかの明確さを求めず、手前勝手の成功価値と、それに伴う食い扶持を第一義におく風潮がよりその傾向を助長させているようだ。

そこで掃除とはどの様なものを回復するのか。
元の姿とはどの様なものなのか・・・
よく、賃貸住宅を退去する場合に原状回復という習慣的取り決めがあるが、キズ、劣化、清掃、備品の交換など、なるべく元の状態に復旧するために資財と時間を要するのが常である。

それと同様に居住者が余り物を買い込まず、常に清掃を心がけ、共用部分の管理をしていれば、退出時の労力、支出は必要としない。つまり将来を考えて生活を改めることは無駄な時間と資財の供給を抑えられるはずである。
それを、社会の風潮や国家の浪費に例えると解りやすい。そこで隣国の歴史に例えれば行なうべき政策の大綱が明確に現れてくる。

外交、防衛、経済、民政、それらの基盤に棲み付く人間の様相と劣化について、当時の宰相は明確に指摘し、それが先ず行なうべき更新であり、それなくして政策も無いと実行している。

我国にも上杉鷹山、恩田杢、山田方谷という英明な宰相(藩)がいたが、共通している視点は「整風」であり、そもそも「公とは」という命題に対する取り組みだった。


    

       若き蒋介石と革命の先輩で孫文の側近 山田純三郎


蒋介石も「新生活運動」という整風運動を展開し、国のセンター機軸である「国維」の充実に邁進している。なぜか、余りにも自身が率いる国民党の腐敗堕落が甚だしく、終には民衆の信頼を失い大陸から転出した禍根を断ち切ろうとする覚悟の国民運動だった。この原本は中正記念堂に所蔵されている。




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