【ベンガルこども新聞キシロチェトロ9月寄稿」
南スーダンの国連PKOに参加した日本の自衛隊をガードしてくれたのは、バングラデッシュの軍隊でした。日本は自衛隊と名称で国を護るための武力を維持していますが、たとえ外国の平和のために協力するためであっても戦闘は憲法で禁止されています。そのために今回のスーダンでは優秀なバングラデッシュの軍隊に警護されて任務を行っています。
では、大きな武力を持っていない自衛隊が紛争地域でどのような援助活動をしているのか、その能力や規律とはべつに、現地の人たちとどのような精神で向き合っているか、イラクPKO部隊の司令の言葉を紹介します。
それは、お金や資材、機械を与えるだけの援助や、単に武力制圧の一員としての参加ではなく戦争に苦しんだ現地の人たちと一緒に汗を流して働き、復興の喜びを分かち合う人々の信頼こそが、過去に戦禍を体験をした日本からの有効なメッセージと考えたからです。
「我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化した。すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興させた。
そして、その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に同じことができないはずはない。我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ」
その結果、はじめ不安に思っていたイラクの人たちは自衛隊員とともに働き、日が暮れても仕事の手が止まらず、爆弾を投げ込まれれば「日本の宿営地を守る」とデモが起きた。
そして、終了近くなると「日本よ、帰らないでください」と大きなデモ行進が起きました。他の宿営地にはない光景たった。欧米の宿営地では驚愕したが、その本当の理由は彼らには解らなかった。
≪現地の新聞記事≫
我々は,我が県に日本隊が到着するまえは、この道徳と倫理を維持した立派な人たちについて何も知らず、感情のかけらもない技術革命により全世界を支配するつもりだろうと思っていた。
しかし、日本国自衛隊が県内に到着して数週間のうちにサマーワの人たちは、彼らが「古きニッポン」の子供として、愛情と倫理溢れた人々であることを見出した。
彼らは偉大な文明を保持するとともに、他の国家を尊重し,他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。
戦争にはさまざまな理由があります。とくに勝者の理由が大きく発表されますが、真の勝者としての名誉は、理由はともあれ国のために戦った相手を讃えることです。
とくに負けてしまった国の人々に対してどのような心で接し継続するかは、本当の戦争の理由と、賞罰のあるところの「秤」として、世界の賢明な人々が見て考えるときなのでしょう。
ベンガル子供新聞「キシロチェトロ」東京支局長 寳田時雄