まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

土佐の咬ませ犬といわれた男 門田隆将のあの頃

2022-07-14 17:26:10 | Weblog



              
令和4年7月14日、筆界の安倍派?で旧知の門脇護(筆名 門田隆将)氏から久しぶり電話があった。

まさに彼の現在の筆風であり、依り処でもあった元総理の安倍晋三氏が亡くなった直後でもある。

内容は小生の師であり当ブログでも再三取り上げている佐藤慎一郎先生の菩提寺、弘前市寺町川龍院の所在を尋ねられた。

 

佐藤慎一郎氏

 

彼の電話は手に取るようにその姿がわかる。新潮敏腕記者として少し高邁のようだが冴えていた頃、退社して将来を模索していた頃。

本が売れ始め昇り調子だった頃。出版不況で講演に勤しみ、新潮縁故の桜井よしこさんの縁で安倍晋三総理との邂逅したころ。

その後の安倍シンパの雑誌に寄稿し、そして大樹が倒れた現在の音声など、さまざまな心情が読み取れる。

安岡正篤氏は「音声は知性を表す」と、つぶやいたが、今回はなぜか気弱だが、より彼の醇で好漢さが察しられる声だった。

それしても、色々な姿を見せてくれる漢だ。

大樹もそうだが、なぜか周囲には気が小さく、今を巧みに読み取れる人間が集っている。そして大樹の表皮を保護し樹液を養分としている当世知識人が多かった。

彼は筆者を思い出して、師の菩提寺について尋ねてきた。

生前、師は門脇氏に、「新潮は瑞々しい立ち木を切る、それを朝露のごとく生命を感受することだ」と伝えたことがある。

是非、新たな道、つまり世間が括目するような生き方に入道して欲しい。

そう期待して旧稿を掲載することとしたい。

 

彼の講演誘われて台湾高雄へ

 

前段再掲載 後段2012/3


昨晩、週刊新潮の門脇護氏の卒業式?が行なわれた。
書かれるほうからすれば憎っくき週刊誌のなかでも完結主義といって、地を這う取材、記事起稿を行なう新潮社の姿勢は、見開きにヌードグラビアを綴じ込む他社とは異なり硬派的な雰囲気がある。

「土佐のかませ犬」「狂犬」とも呼ばれ、社内でも鉄拳を振るうこともあった。また取材の綿密さと、言い換えれば、゛しつっこさ゛は群を抜き、その視点はバーバリズムの良性にある素朴と純情を軸として、裏面にある凶暴?さをも駆使して出版界の侠客ならしめているようであった。

夜中に訪ねて来ては同行の新聞社の社会部長に向かって「あんたの所は60人だがウチの十数人に敵わないのはどうしてだ・・」とサラリーマン体質と弛緩した大新聞の姿勢を問い、あるときは共産党の大物除名者を同行して「記事を書いてくれるよう言ってくれないか」と助力を求めたり、創価学会の敵役ジャーナリストを連れてきて「今日、裁判に負けてしまった・・」と、忙しい狂犬でもある。

直接依頼も多く「誰々を取材したい・・」あるいはノンフィクション作家佐野真一氏に満州秘史の取材を依頼されたときも、「伝えられる範囲は任せるから・・」と数時間の取材聴取に時を費やしたことがある。

その門脇氏が「門田隆将」と名を変えて「裁判官は日本を滅ぼす」そしてNHKドラマ「フルスイング」の原作である「甲子園の遺言」を書いたあたりから新潮社を卒業?する腹をかためたようだ。
数年前に傾いた老舗週刊誌の肩代わりを尋ねてきたが、その頃からの独立志向だったのだろう。

卒業式は桜井よし子、花田元文春編集長、屋山太郎、筆者と駄洒落仲間の塩田丸男など商業出版の売れっ子や、なかには売文?言論貴族?など多士が集った。

 

        

フルスイング     根本中将

よく、゛宴の後の悲哀゛というが、脛に瑕(キズ)をもつ門田氏のこと、池から跳ねた鯉にならないよう祈るばかりだが、宴末の謝意に『日のあたらない処に生活する立派な日本人を書き遺したい』との意思表明は、参会者から即セキュリティのガードが固められたといっていい意志ある集いだった。

逆に追い出し?を掛けた新潮も、田中真紀子、鈴木宗雄を辞職に追い込んだ誌の筆鋒が緩まないか心配になる

同日、別の約束で中野有(ブルッキング研究員)と神楽坂の蕎麦屋でのこと、突然門脇氏が飛び入り「朝から何も食べてない、腹へって・・」
緊張しているせいか、当日の主役も落ち着きが乏しい。
中野氏と初対面で卒業式に参加することになり、旧知の桜井よし子氏と回顧に話が弾み、「京都ダボス会議」の提唱で盛り上かった。よって中野氏は新幹線に乗り遅れ京都にもどれず・・・

ともあれ無事に追い出し卒業式も終わったが、余談がある。当日のビデオカメラにテープが入っていなかったとのこと。あの桜井よしこ女史のスピーチだけは残しておきたかったと筆者も残念に思う。彼の怒ること、慌てること、人生の慙愧と拝察する

自宅のローンも終わったようだし、落ち着いたら一人旅でも促してみたい。








皇帝溥儀と工藤忠





2012 3/14

その門脇こと門田隆将氏が講演で津軽に行く。

あの卒業式のあと日の出の勢いで出版界を走っている彼も、近頃では文化人として講演活動も充実してきた

「是非、山田良政の墓前に参りたい。そして佐藤先生の墓前にも・・」

まことに侠気豊かな気分いい土佐っぽである。

佐藤先生とはこのブログに度々登場する佐藤慎一郎氏である。門脇氏との縁も佐藤氏を紹介した時からである。

その当時、彼は「学さん」と呼んで張学良氏を書き残そうと意気込んでいた。
台湾取材の後、連絡があった。

「あの革命忠烈祠にあった山田良政の写真が外されているのを知っていますか」

津軽弘前はその山田兄弟と佐藤氏の生地であり、辛亥革命の聖地で台湾政府要人も度々訪れている。

また、満州皇帝溥儀の秘書長の工藤鉄三郎(溥儀の命名は忠)の生地には記念館もある。

その工藤、佐藤両氏が戦後満州秘話を録音した大量のテープがあったと門脇氏に伝えたところ、またエンジンが動き始めた。あの根本中将や太平洋戦争三部作など歴史にうずもれた偉人を著わしてきた門脇氏だが、今度のターゲットは「満州と工藤忠」になりそうな気配だが、そのテープの発見が大変だ。

満州国とは・・・、そこでの日本人は・・、その多くの証言は任に就いた人々の多くの縁は津軽にある。門脇氏もそのことは先刻承知だ。

温泉に浸かって酒を飲む、もちろん多忙な彼には最善の促しだが、取り組んでもらいたい期待もある。

土佐の咬ませ犬が、明治の言論人陸羯南の生地で何を学ぶか、彼の揺るがぬ基軸がそれを活かすだろう。

若いころ、‘売文の徒に堕すことなく、羯南を鑑として真の言論人を志向すべきだ‘と促したことを想起する。

コメント
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