台湾の日本語世代 礼儀正しく言葉も美しい
ここでも政治的問題が眼前に横たわっっているかのようだ。
台湾断行の時、情の薄さを 嘆いたのは中華民國台湾の国民、表面的には歓迎したが日本人の功利的、阿諛迎合をみて「本当の日本人はいなくなった」と哀れんだのは大陸の華人だ。
春の園遊会で台湾選手と結婚した福原愛さんに陛下のお言葉につなげて愛さんにお言付けを依頼した。
「東日本震災の時は台湾の方々にお世話になりました。よろしくお伝えください」と。
それは愛さんに会ったら必ず伝えようと、つねに意中に懐いていただいた皇后のお言葉だった。
以前、このブログで記したが、震災慰霊に当時の野田総理は台湾を国と認めず、会場の二階の一般席に駐日代表を指定して指名献花すらさせなかった。中国政府は一階席で国名を呼ばれての献花だ。
九州より狭い地域で三度の食事を一度にしてもと多くの庶民が義援金を供出し、かつ日本とは歴史的にも所縁のある台湾である。
中華街の台湾華僑も、台湾を自慢できるほど頑張った。馬総統は黄色いブルゾンを着てテレビて援助を唱えた。だか゛それにも増して国民は自発的に動いた。政府も思いもしなかった日本への人々の熱情だった。
台湾は志行・義行という独特な共助意識が定着している。ある老人施設などは職員33人、居住している高齢者40名がボランティアとして受付や来館者の案内などで活躍している。ことさら資格や給与などは問わない。とくに日本人の来訪では昔を懐古するように丁寧な日本語が周囲を飛び交い和ませてくれる。
授業が終わると手洗い 衛生意識が高い 台北
慰霊祭の政府の対応は大国となった中国に阿る人情のかけらもない応対だった。
だが、陛下は園遊会に駐日台湾代表馮寄台(ひよう氏を招待して、深甚な礼ををもって感謝のお言葉を述べている。筆者も訪れるたびに何度となく馮氏からその感激を聴いている。
今回は福原愛さんに皇后が台湾国民に含まれた意の伝達を依頼している。
台湾と皇后の秘話だが、妃殿下のころ一子の流産から体調を崩したとき、台湾出身で慶大医師の荘淑キ氏から心身ともに養生に預かったことがあった。それも二十年に亘って義志で度々参内した。師の提唱する宇宙体操と薬膳料理は今でも宮中では浸透していると聞く。
一昨年の暮れ荘師は100才で亡くなった。しかし国交断絶ゆえ公的交流は適わない。
荘淑キ医師 御長女事務所資料
台北のご婦人と松崎さん
その事を光文社女性自身の皇室記者で民間侍従と称された松崎としや氏から伺った折、国母が永年にわたってお世話になった師の弔問も叶わない事情を嘆くとともに、これは政治ではなく人の情として欠けると訪台を企図し、28年3月縁者に面会して日本国民として感謝の弔意を献呈させていただいた。心意を忖度した台湾の方々が訪問の手配をおこない、官域の方々の秘めた厚遇もいただいた。
園遊会での皇后陛下のお言付けの意味は、歴史の恩顧と日台の厚誼を願う意志だった。
政治は諸事情を盾に言葉すら隠している。
余談だが、台湾(中華民国)と断行して大陸中国に流れた日本および日本人を嘆いたのは台湾の日本語世代だけではない。大陸の多くの人々は「恩知らずの日本人」と嘆いていた。それは「恨みに報いるには徳を以て行う」と号令して、多数の船を用意して多くの邦人を帰還させてくれた蒋介石同胞への大陸華人のおもいでもあった。
戦後、議員団が蒋介石総統に表敬した際、「あの節は・・」と言いかけたら、「私に礼を言う事より、あなた方の先輩に言うべきだ」と、中国の近代化の魁となった辛亥革命に挺身した日本人を想い起して感謝しなさい、忘れてはならない、との厳命だった。
それは革命の先輩であり孫文の側近であった山田純三郎でもあった。孫文が山田に「この国民党を率いていく後継者としては、どのような人物が・・・」と問うた際、「蒋介石君が適任でしょう」と応えていることでもその縁は生きている。くわえて頭山、梅谷、宮崎、犬養、秋山将軍など、多くの日本人が中国の近代化を援け、日本と一緒にアジアを興すという孫文の大経綸にみな挺身した恩顧があったからだ。
そして国交断絶だ。それから日本人を信用できなくなった、いや、真の日本人がいなくなったと嘆いた孫文同様、日本人への愛顧すらオボロゲニしてしまった。
体制は寄せる心情が微かになったから「友好」が、「誘降(ユウコウ、誘い降ろし)」になったのは当然のことだ。
それでも多くの大陸華人や台湾の人々が日本に往来している。
それは、何処か通底する人の情のなせることでもある。
「人情は国法より重し」
今回は、また両陛下の忠恕心に救われたようだ。