イメージは他サイトより引用
長文だが繰り返す煩いごとを、異なる切り口で観た:あの頃:の備忘録です。
体系的とおもわれる説明、アカデミックな学び舎での課題応答には馴染まないが、事は許容力、つまりここでは胆力でいう「力」の問題でもある。記憶力や整理の問題ではない。
また見識にある識の意である「道理」の問題であり、所詮たどり着く道程である。
部分観察は煩いが起きると繰り返し騒然となる。故に多面的、根本的、歴史の時空を超えた俯瞰を、拙章ブログに通底して提唱している理由でもある。
以下 10 9/16 稿
個別の部分考察ではない
普段、歴史を俯瞰して人物を眺め、善例を倣うことを薦めているゆえ、その観点で考察したい。
ことは尖閣海域での中国漁船を海上保安庁の公安行動における政府担当者の狼狽である。
外務省は海上保安庁の問題と縦割りに逃げ、外国との問題にすすむであろう行動に、ここでは知らん顔をした。
海域での資源交渉が進捗しているさなかのことと考えられるが、国権指揮の発動については心もとない態度だ。多面的に考えを張り巡らせれば、円高、資材安ゆえの企業の中国シフト、北朝鮮との六カ国会議、普天間基地問題の米国との関係、それと喉もとの骨のように刺さった歴史問題、乱暴な言い方だが、食い扶持と、安全と、体裁と考えれば分かりやすい。
また、一過性の市民感覚を国家の総攬とみる現為政者の感覚は、往々にして歴史認識や棲み分けられた地域で培われた固有の民癖までも曖昧な同意性を視るのだろう。
それぞれが複雑な要因を以て構成され、曲がりなりにも国家を形成しているという歴史的経過を、思索、観照の内からスキップしたような軽薄幼稚な判断しか下せない指導者、つまり彼の国の大人に比した小人の姿であろう。
ここでは指導者としての教養の特殊性と勇敢なる決断に任せるしか手はない国交の問題だが、そのような意識は国内においては、゛内弁慶 ゛のような政策ならず対策を弄するようだ。
【面子は内に】
よく面子が立つ、立たないということが言われるが、彼の国は内に向かい、我国は外に向かうようだ。極端な分別のようだが、例えば外交交渉でも曲がりなりに連帯と調和を基に外交当事者に全幅の委任をする国柄と、一方は守るものは多民族国家の中で権益を擁した一党一派、一族郎党、あるいは実利という一点に共通価値を求める民衆の期待であり、しかも、器量や度量という人物まで測られる緊迫感が「面子」というかたちで表れるようだ。
面子の貸し借りもある。外交交渉でもあることだが、立てたり立てられたりしながらしているうちはいいが、政権が代わり、゛ババ゛を掴まされることがある。とくに「人情を贈る」(賄賂)とか、「仕事を差し上げる」(交易利権)などを渡されると交渉そのものが成り立たなくなり、こちらも交渉当事者の交代ばかりか政権まで交代せざるをえなくなることもある。
ただ、覚悟と迫力は別物である。教科書、靖国、ロシアとの思想路線論争などが前段なら、国境の線引きや勢力圏については覚悟と能力が測られるが、「力」の在り様として軍事力が交渉の全体を支配する切迫感がある。
歴史に表れる我国の武勇伝は一騎打ちが誇りであった。しかし彼の国は一郷でも数万の大群を用意する周到さと、裏返しの恐怖心がある。匈奴、韃靼、ロシア、モンゴル、みな北からの侵入だが、万里の長城、北京を囲む城壁、狭い路地と各戸には高いレンガ塀、あるいは蒋介石渡台後に顕著となった高層階まで伸びる窓の鉄柵が、その過剰なる意識をみせている。
他人を信じないのか、人の物を奪うものが多いのか、日本統治のころには窓を開けていても平気だったと古老は語る。
石原莞爾氏 弘前養生会保存
【「力」について】
同じ問題でも中国の易のようで表裏があり、易の象形であるトカゲのように場面によって色を変える。
彼の国の「力」の考え方を知らずして一過性の繁栄の果実である経済の「力」を、これまた唯一の贈り物として差し出しても、相手に「力」がつけば端金でしかない。
また、その「力」のあるところを見抜くのも彼等の言う利口者であり、゛意味ある゛ことなのだ。
ある女性が子供の大学入学に便宜が図れないかと旧知の人に相談した。もちろん縁ある日本人は四方八方当たるが、その中で、゛こちらも依頼されている゛という話がいたるところで聞くことになった。ここでの「力」は入試試験の便宜の図れる人物のことである。
つまり「力」を利用できるもの、それは悪でも邪まな考えでもいい「力」がある者が意味ある人間なのだ。国交当初は技術力と援助がその「力」だった。
その点、商国家の御用聞き議員の数多訪中は顔売りと権益種別の確保があり、双方の「力」の有りどころの評定、つまり、「各社見積もり合わせ」と同類の狂騒だった。
発注者と受注者の関係に似て、当初は発注試算まで作ってもらっていた技官が、覚えてしまうと発注者の意向で受注者を競わせ、そこに便宜や賄賂、有力者の口利きが生まれることと同様なことと思えば解り易い。
さて標題にもどるが、我国の政治家と役人と称する権力負託者なり委任執行者は一様の姿がある。それは阿諛迎合性と無責任、ここでは作為の付け替えと現状追認だ。
夫々の現場実行者は大義を必要とする。満州事変当初は防衛の為の緊急避難処置で現地関東軍の衝突を追認、しかしここでも国力の加減がおおまかな認知を看過している。
当時の国会は多党化して軍に阿るものもあり、宮中派の意に沿うものあり、と纏まりがなくなっていた。それゆえ議員は軍からも軽んじられていた。
もちろん現場の肉体的衝撃を関知しない議員がその状況を増幅した恐怖の「力」として触らぬことを常としていたこともあった。それは職分境目のない「寄らば大樹」だった。
【銭で国を売る輩】
これは腐敗というよりか怠惰な堕落というものだが、戦後の援助におけるキックバックといわれる海外治外の賄賂は商社、相手国を通じて多くの政治家に流れているという。
またそれを以て陣笠を養うのも大物議員の「力」であった。しかし善悪を問うのは独り占めしたか、分けたのか、が彼等のバロメーターだが、彼の国はそれを人情と置き換えて国政とは別物と考えている。ただ、「力」の強さとしての「面子」を見せるために、腐敗、汚職の摘発が為政者の恣意によって行なわれが、そのホドは弁えている。
つまり「力」の行使は、゛ホド゛を弁え、勘案できる人物によって行なわれ始めて効果有るものだからだ。説家といわれた交渉役や、あの諸葛孔明とて智慧と弁舌の限りを尽くした後、将来に起こるであろう煩事の一点を見据えて、゛杭を打つ゛という逆賭を心得ていた。もちろん、現状危機を回避する交渉(駆け引き)も相手の面子を立て、将来の杭を確信したら頭を垂れることさえ是としていた。
これは雑兵の代表では適うことは無い。宰相としての学を成した人物によって成されるものである。それは歴史の栄枯盛衰に表れる人間の所作を倣いとして、覚悟(己を知り確信する)を養う学問である。
雑兵の損得や官吏の諂いを一瞥せず、つねに国家を登覧する気概をもつ、そのような人物を宰相というのである。
戦後賠償利権、地下鉄、道路、ダムなどインフラに関わる利権、その他の資源、食料にまつわる腐敗は枚挙ある。相手国の政権が代わって露呈するかと思えば、主義主張や思想まで当事国の利権の付け替えのための戦闘ではないかと思えるほど政権移動がスムーズに行なわれ、受け取る相手が変わるだけである。
ただ、それをネタに強請られることも当然起きる。
我国でもいつの間にか表舞台から消えた議員などもいるが、相手国のシンジケートとして売国的な言動をはくものもいる。
ある政党の会館だか、いまは建て替えているが、旧館は同様な思想形態の国から3億貰っていると除名された当時の会館建設委員が語っている。
ある運動家は反共を唱えながら、その当事国から裏資金を貰ってビルを新築しているが、これもその新築挨に呼ばれた気骨ある大物閣僚がその逸話を皮肉って挨拶している。
反共も反米も金になるらしい。
普通は考えもつかないことだが、台湾で反共雑誌を発行していた人物(革命世代の大物の甥)はその大陸の大物の使いで日本の有力政治家を訪れ、゛二人の親密な付き合い゛を提案している。当時2000億の援助を政党幹事長が約束していた時期だ。
(佐藤慎一郎氏談)
ともあれ、数多色々ある滑稽で哀れな関係者の姿だが、それもこれも官吏の不作為を補う政治主導が彼の国の「力」の見方と符合する。なかには派閥抗争も海外に持ち込まれ当事国も困ったことだろう。
国内ではコンプライアンス、政治主導、官吏の不作為、がもてはやされているが、あの当時の食い扶持翼賛的議員の混迷は諸外国から「明確」ではない国家として軽んじられた。そしてズルズルと戦争という惨禍の淵にすすんでいった。そのなかでも兵庫県出石の斉藤隆夫議員は衆を恃まず独り敢然として粛軍を訴えた。国会は一致して除名した。だが出石の斉藤のもとには全国から激励の手紙が届いた。人々は再び最高点で議会に送り出した。
余談だか金や旅行や、中には箪笥やテレビも選挙の道具だが、そんな選挙区ほどろくな議員が出ていない。゛さもしい゛有権者には、゛卑しい゛議員しか生まない一例だ。
【測れない畏怖】
「いまは真の日本人がいなくなった」
孫文は側近の山田純三郎にこう歎いた。
そして「器量も度量も、測れるものは恐れることはない」
゛測れない゛ことが怖いのだ。
人物においては鎮まりの中で洞察するような畏怖を覚える人物を指し、国家においては潜在する国力である情緒性を護持している社会なのだろう。
「無条件の忠恕」それを明治の日本人に志操にみたのである。
測れない力があることを、日本人自身が潜在することから探し出さなくてはならない。
金もない、資源もないころアジアの光明として、今までのアジアでは測れない希望があった。当時は、゛測れない゛強さと具体化する日本人がいた。
そんな畏怖に譲るのも普遍な人間の在りようだ。その「譲」は礼の司るものだ。
衣食足りて礼節・・・もそうだろうが、無意識の礼は畏怖の強さにある。此れを隷属とか服従とするのは人間の力関係の小局でしかない考えだ。畏怖は外的なものではなく、己の内面に照らし合わせ、許容なり多面的な考察の深まりを表すものだ。
いまの日本にはそれが見えない、とくに損得勘定を補う[力]を求める大衆と、それを効率や効果としてマクロ数値に翻弄される権力当事者や官吏に顕著のようだ。
彼等の「譲る」ことと「阿る」ことの錯覚は、いらぬ混乱や惨禍を起こすことは先人の事例をみても明らかだが、どうも忙しくて騒がしく腰が落ち着かないようだ。
裕福そうな領袖の子息を咎めなく飛行機に乗せる決断と、その国の不審船に戦後初めて銃撃をした決断は同じ政府のものとは思えず、さらに銃撃現場の映像に戸惑いが解けたと人々の声を聴く。
その後、不審船は近寄らない。
今回もあの時と同じように咎めもなく特別機が飛んだ。
大国ロシアの皇太子を襲撃した大津事件の司法対応を想起した。
やはり「日本人はいなくなった・・」と、漢民族の孫文の言葉が頭を巡る。
彼等もそんな「日本人」らしさを見たいのだろうか・・・・