前三篇の「田母神インテリジス・・」については、筆者の備忘録を騒擾とした世情に当てはめたものだが臨場感あふれる実行者のオーラルヒストリーや外地の未公開資料の表層を記した。
それさえも難解なものであろう。とくに偏って刷り込まれた知識ならず基礎的観察座標は多くの歴史的観察を惑わしている。しかも時を経て其の都度書き直しの愚を起している。
とは申せ「それがどうした・・」という見方もある。
実利を追求していると思っている、゛食い扶持゛至上の見方だ。
ヤマウチ・タツオ
何を隠そう、地を這うような労働に歎き、運命論に囚われ怠惰になった一時の筆者の心地だが、精霊からの恩恵意志まで前提食い扶持に落ち込まなかったのは、多くの縁の訪れによって運ばれた喜怒哀楽を同感する人々の恩恵だった。それは転化を促すとともに利他への貢献を教えるものだった。
それは「思い込み」を溶かすように多面的、将来的、根本的な思索への誘導のようだった。いまだ性根も弱いが「ホド」は弁えいてるつもりだ。それも安岡老が耳タコのように「無名かつ有力」という下座観、俯瞰視の涵養の勧めと、多岐にわたる先哲、先覚者の回顧にみる矜持の持ち様だった。
それを座標として国家なり人なりを観察しながら逆賭することが我を客観視し意志なり主義なりを構成する精神を、ある意味では柔軟に自身を運行(躍動)させることを習いとするようになった。
頑なで、偏屈とも映る向きもあろうが、己の潜在意思を恐怖に似た境地で解き明かすと数多の歴史先哲が述べた「我、何人ぞ」に行き着くのが解るようだ。
゛情報という狡知にがんじがらめになって己の実態すら認知できなくなったら、田舎に入って自然と戯れなさい゛と学生に伝えるのだが、ふと思い出すのは毛沢東やポルポトやスターリンが行なった下放政策である。
糜爛した都会の知識人を農村で従事させる、たしかに虐政でもあるが覚醒の体験としては下座観と世界観の肉体的、精神的な更新には役立つだろう。
中国の歴史では儒者(知識人、読書人)は十階級の下から九番目として九儒として蔑み、毛沢東は臭九老として扱い、当時はタクシードライバーと同じ俸給である。
日本では有名な学者でも本国では「あいつは政権が代わるごとに反省文を書き擦り寄っている」といわれている。また「姿は文化人だが著書の部数やノーベル賞のために翻訳と書評の下駄はきを懇願する、それが彼等の言う文化の世界だ」とも辛辣な知識人評が定着している。
なかには中国情感の好きな人間には孔孟を説き、八百よろずの茫洋な自然観を説くインドの民のヒューマニティー論?や、ロシア文学に傾倒して共産主義に共感を持つものも出てくるような、ある意味では融通無碍、無為無策ならず「借策」にをいともアカデミック的(学術的)な形式を装うことを勘違いしている知識人が多い。
それらの知識人、教育者とは言われるが、゛食い扶持゛をもっぱらとしている稼業知識人、つまり政治、経済、マスコミ、商業出版、教育産業の素餐として走狗に入る一群である。
「檀」とか「界」を構成し親分子分の契りを結んで「権」を為し、商売人に其のカスリの集金を任せて自らの手を汚さないような合理的かつ科学的なシステムを階級構成している文化とはなんなのだろうか。
平らに言う「評」などはなく、また吾を言う「語り」を失くし、舌の上下に終始する舌が言う「話」を磨き、食い扶持に堕した者の戯言に一喜一憂する政治家、軽?済人が蠢く国柄に永く続いた歴史はない。