まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

トヨタの「5S」プラス「3」の願望は如何に

2012-06-03 17:47:15 | Weblog


今どきの若者は・・と、いつも世代循環でいわれることだが、企業もコンプライアンスという自縛装置がないころは他社の成功例を自社に当てはめて是正なり更新を試みることがあった。しかも生産性向上を意図した労働の組織構成やシステムにキャッチフレーズを付けて本業とは別にシステムコンサルタントの依頼に応えていた。

トヨタには「5S」があった。数字と英文字はトヨタの洒落だが、サ行ではじまる五つの日本語である。その大意は、整理、清掃、習慣などだが、解りやすい本意は「気が利かない」「だらしない」「周りを考えない」そのような人たちが行う作業は不良品も多く、生産効率も悪く、連携が乏しい、ということだ。

実はトヨタもそうだった。ただ、周囲の評判は生産と販売の独立した並立関係と、幾らか合理的と思われるトヨタ式オートメーション、車種の多様化と売上数値の効率的関係がホドよくまとまっているように見えた。しかし、それだからこそ逆賭する人物がいた。
その人物は西洋の合理的分類や考証、論理づけとは異なる教養があった。それは国柄のなかにごく普通にあった様態だった。

加え、その人物には、目標、使命感、俯瞰性というゼネラリストでしかできないマネージメント・プロデューサーのような思考力と、鉄鋼、造船から自動車産業に移った経営者の国家観があった。そして日本人の性癖、資質を再考して、より良質な部分を伸ばそうとする意志があった。また、糜爛した中央から離れた地方企業の質を社風として誇りさえもてる自信を養い、むやみな競争や外装形式を避け、異なることを恐れない孤高の経営を志向した。何れ流れはこちらに向かうという先見である。
※「逆賭」将来起きることを予見して、現在に行うべきことする。












蒋介石の施政下中華民国台湾でも新生活運動があった
蒋介石、の息子緯国の提案した整風運動だが、彼は国民党が大陸で共産党に敗れた原因は軍事力ではなく、父親の周囲の歴史的慣習にある高官官吏の腐敗にあると考え、国を挙げた整風刷新を考えた運動だ。整風とは腐敗堕落した国民党施政に怨嗟を抱き、ときとして怠惰になりがちな国民の気分を刷新する意図があった。

それは国の維(センターライン、存立基盤)を正し、戦後台湾に渡ってきた国民党を主とする外省人と日本施政下を経験した内省人の融和を求めたものだが、権力者の性癖は一様には変わらなかった。しかし、その政策は時節の折々に想起させる歴史の倣いとして、現政権においても民生安定のための先人の遺策として活かされている。あの八田与一氏の貢献によって豊饒の大地に換えた灌漑ダムへの恩顧を奉る式典の恒例化も、内外省を問わず実利と歴史体験の共有として、日本と中華民国台湾という政体を超えて官民の運動となっている

トヨタも維を正すことを5Sに懸けた。そこまでとは思う社員もいるだろうが、゛そもそもトヨタとは゛にかける堤唱の本意は歴史を俯瞰した整風運動として大きな効果を上げた。それは高々数値で評価を与える生産性が、人の考え方や行動の実(じつ)を観る経営者の先見性と覚悟を試す行動でもあった。

だだ、標題に「5Sプラス3」と記したのは、いくら推考を重ねたものでも経営者から発せられた提唱は時が経てば5Sにある良き習慣性が、゛馴れ゛となって、善き理解の共有が興すであろう、着実、勤勉、自主の精神が意識の熱を失い、数値成果の果実を内実ではなく形式にこだわるようになってきた。











一時、大企業病という妙な病が流行った。
何のことはない、よく怠惰になった官吏に表れる四つの患いである。
これは国家の患いだが、多くの政治抗争や収支のアンバランスなどはそれを要因としている。つまり6・3・3・4の官制の学校歴マニュアルにある整理探究の習慣的思考回路の梗塞が人間の我欲によって起される病である。

   ※ 四つの患い「四患」旬悦 「偽・私・放・奢」  本来は「真正・公意・自制・倹約」 



梗塞は血管の劣化と部分の詰まりだが、整体でいえば経絡の歪みである。これを組織や人間に当てはめれば、面子,意地、形式拘泥となり、デストロビュータ―の火花が弱くなり、またタイミングが狂い不完全燃焼に陥るようになる。
従業員の声が届かなくなり、声も小さくなる。そして放埒、つまり弛緩する。
人が弛緩すれば組織は緩み、経営者の指示も偏った理解を招くようになってしまう。

エンジニアはその仕組みは解かっているが、コンピューター制御、つまりコンプライアンスと数値追及による組織の自縛のように、ただ時節の要求や流行り情報に惑わされて自己決断ができなくなってくる。ただ魔物に沿うだけで覇気が乏しくなる。

弱気な店主にはコソ泥も言いがかりをつける青い目もやってくる。

じつは本田にもいえることだが、宗一郎と喜一郎の本意と躍動が理解不能になっている。なかには不埒な食い扶持に堕す社員が出てくる。流行りの白アリだ。ただトヨタの救いは回帰するものがあった。あの当時の夢のコンセプト(内実)を教えてくれる車の製造と、貫く力のあるトヨタの維(太綱)の「威力」が遺されていた。












あの5Sという、アジアの光明と謳われた時の日本人が、普遍の倣いとして継承した善き習慣性を現代に新たなものとして顕示した精神の継続できうる人物が、トヨタのどこかに鎮まりを以て存在し、しかもそれを有効なものとして活かす人材がいた。それがトヨタの更新を可能にしたのだ。そして経営の神髄を継承する紐帯を支えるために敢えて糜爛した中央財界を忌避する気概と異なることを恐れない意志が継続している限りトヨタは再び興るだろう。そして海外においてはホドを学んで身の丈を知った。

残念ながら本田は宗一郎氏が技術者だった。技術は一子相伝ではない事を熟知した創業者は縁者を経営から排除した。綺麗なことに思えたし格好良かった。

だた、社員が取り付く島である綱の縒りがゆるくなり、分化した細い綱が簾(すだれ)のようになってしまった。風通しはよいが、フランスの市民革命で皇帝という長(おさ)を倒し、市民だけで落ち着きもなく、まとまりのない議論を繰り返す社会にみる人間の姿を学ぶ姿勢、つまりアカデミックな論証法では、人の群れの集約を司る長(おさ)や、艦隊行動にたとえられる旗艦の遅速を操る司令の存在理由が、拙速な組織マニュアルやコンプライアンスを操るコンサルタントの餌食になって、その社の存在理由さえ見失っている。











本田宗一郎は部品を整理し無くならないように足下を掃除した。また用具を大切にした。技術向上には惜しげもなく資金を使った。良いものをつくる探究が昼夜も問わぬ勤勉さとなり、たとえ若者でも至誠ある提案は躊躇なく取り入れ、それを本田の社風として習慣化した。これを本田の遺した維であり、本田流の「5S」なのだ。

その頃の本田はトヨタにはない姿があり、見習うべきものだった。そして再生の道を本田の躍動をまねるだけではなく、宗一郎の人間性の本となる精神の倣いと習慣性の研究だった。たどりつけば善き日本人の至極当然の身に浸透した生き方だった。

何のことはない「5S」は便利性や効率性にかまけて忘れてしまった実効性ある精神の甦りだった。それは子供の躾と同然だった。技術は進歩し、便利にもなった。だがそのことを鑑として考えると日本人は何かを棄て、それさえも考えなくなった。


トヨタの秘奥に存在するであろう人物はもう一つ悩みがあった。
それは艦隊旗艦の司令官のような明確な目標に向かう使命感と、企業を超えて地理的には世界を見据え、くわえ棲み分けられた多くの民族、培われた情緒、その潜在する能力、それらの行く末を推考し俯瞰できるトヨタの長(おさ)の存在だ。
それは地球に有効的に活かし、保護する見識と、胆力の如何を観る観人則を企業の人材養成の座標とすることだ。

それがトヨタの存在であり、その価値を見出すのはあなた方だと・・・


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