A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

川島誠+河崎純@高円寺グッドマン 2018.4.14 (sat)

2018年04月16日 01時26分23秒 | 素晴らしき変態音楽


川島誠as 河崎純b ソロ&デュオ
7PM OPEN (8~10or11PM)
2800yen 1drick付



1982年4月大学に入学した筆者がやりたかったのはニューウェイヴバンドとフリージャズだった。バンドの方はフュージョン勢の強い音楽サークルで女子ヴォーカルのバンドを結成し好き勝手にやれたが、大学のジャズ研究会でオーネット・コールマンが好きと言ったら鼻で笑われ、チャーリー・パーカーの「ナウズ・ザ・タイム」しか吹かせてくれず、夜のコンパで芸を強要される体育会気質に嫌気がさした。しかし一人だけフリー系のピアニストの先輩がいて、よく渋谷のジャズ喫茶に連れて行ってくれた。岩崎さんと言う名前だったか、その先輩は何処か風変わりで、一緒に歩いていると「大抵の人は僕を置いて先に行っちゃうけど、君は同じ速度で歩いてくれるんだね」と感心していた。今思えば岩崎さんも学内で孤立していたのかもしれない。レーザーディスクが出始めた頃で渋谷のジャズ喫茶(Swingという名前だったか)でジャズのライヴ映像を壁面のスクリーンに映していた。よくアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEOC)が派手な民族衣装で踊りながら演奏するビデオが流れて見入っていたら、岩崎さんが「これ面白い?」と聞いてきた。「ええ凄く面白いですね」と答えると、怪訝そうな顔をしていた。演奏重視派だった岩崎さんはAEOCが理解できなかったのだろう。



それは兎も角、大学のジャズ研ではフリージャズは出来そうもなかったので、演奏の場を探していた大学1年生の筆者は、岩崎さんの紹介だったかどうかは忘れてしまったが、ニュー・ジャズ・シンジケートのサックス奏者だった鎌田雄一が店長を務めるライヴハウス、荻窪グッドマンの「即興道場」に参加した。楽器持参でドリンク代を払えば、誰でもセッションに参加できるイベントで、毎月一回程度開催されていたのである。非常階段のヒストリー本に、JOJO広重が非常階段を結成する直前、フリー・ミュージックのイベントに参加した際、ひと回り年上のジャズ系の音楽家たちから「適当にめちゃくちゃやっているだけなのでは」「覚悟が足りない」などとさんざんバカにされたというエピソードが書かれているが、やはり正統的フリー・ジャズ出身といえる鎌田が、参加者の音楽的キャリアを問わないイベントを開催してしたことは、振り返ってみると不思議でもあり、また貴重な体験の場を提供してくれたと思う。とはいっても、差別的な雰囲気がまったくなかったわけではない。

即興道場は鎌田の選んだ組み合わせで参加者が合同演奏を行なうというスタイルだった。故・阿部薫のアルバム『彗星パルティータ』が死後3年経って発売されてからほどない時期ということもあってか、アルト・サックスを持って参加してきた人間が多かったので、アルトばかり4~5人のセッションということもあった。全員一斉に音量対決の如く吹き鳴らした後、ソロ・パートになるのだが、憶えているのは、筆者のソロの時はシーンとしているのに、別の奏者のソロでは、いつも歓声や拍手喝采が起こることだった。その参加者はエリック・ドルフィーを敬愛し、通常のライヴにも出演する3歳ほど年上のサックス奏者で、演奏を録音して聴いてみたのだが、どうにも違いが判らない。ただの滅茶苦茶なものにも聴こえるし、ならば途中でマウスピースを取り外してピーピー吹き鳴らしながらステージを練り歩く筆者のパフォーマンスの方が面白くないか、などと思ったりもした。いま考えれば、身内ウケだっただけかもしれないが、当時ジャズ研の先輩たちがしたり顔で「フリー・ジャズには偽物が多いから気をつけろ」という“忠告”をのたまっていたこともあり、「俺はしょせん偽物さ」という開き直りに似た気持ちが芽生えたこともあったかもしれない。

1982年5月3日に初めて参加した即興道場では、それほどサックスに偏っておらず、ギターやヴァイオリンなどで非ジャズ的な演奏をする参加者が多かった。なかでも驚いたのは、弦に金属棒を挟んで振動させたり、金属缶を使って叫び声のような音を出したり、それまで見たこともない奏法で演奏する眼鏡のギタリストだった。その彼に刺激されたのかもしれない、筆者はサックスを吹きながら2台のギター・アンプを床に叩きつけてリヴァーブの爆音を響かせてみた。それを観て、参加していたもうひとりの『No New York』風のギタリストが、一緒に演奏しないか、と声をかけてきた。「アンプを叩くとリヴァーブの音が出ることを知っているからにはロック好きに違いない」と思ったそうだ。高島暁と言う仙台出身のそのギタリストとOTHER ROOMという即興デュオを結成し、吉祥寺GATTYで活動することになる。
(以上、拙著『地下音楽への招待』からの抜粋に修正・加筆)



荻窪グッドマンに行ったのは覚えている限りでは83年くらいまでで、「即興道場」以外のイベント/ライヴに参加した記憶はない。2006年7月に高円寺に移転したことは知っていたし、現在の店の近くを通ったこともあるが、店の中に入ったのはこの日が初めて。鎌田と話すこと自体が35年ぶりだと思う。記憶にある荻窪グッドマンは客席が20人くらいある広さだったが、高円寺はカウンターも含め10人入れば満員の狭さ。演奏者との距離の近さは即興道場の頃と変わらない。

この日のライヴはサックスの川島誠とベースの河崎純のデュオ。1年くらい前にドラムに西沢直人を加えたトリオで共演したことはあるそうだがガチのデュオでは初ライヴとのこと。河崎の演奏を観るのは初めてだと思っていたが、あとで調べると13年前に灰野敬二と共演したのを観たことがあった。ブログでは特に河崎のプレイに触れてはいないが、心地よいライヴだったようだ。
高円寺ペンギンハウス2005年04月29日



川島のサックスはいつものように情念的なブローから始まったが、河崎が音を出し始めると様相が変わる。コントラバスやウッドベースの概念を破壊するプレイ。激しいヘドバンは当たり前、左手を頭の上からネックを掴んだり、ボディを撫で回したり、弦の間にボルトを挟んだり、弓と指で音の出方を変化させたり、ヴィジュアル的にも飽きさせない。川島もソロでは聴けないテクニカルな運指や、細かいトリルのドローン演奏を披露する。単純な相互作用ではなく、同化と異化が入れ替わるような化学反応が露見した即興空間が生まれた。

このような演奏を目の当たりにすると、録音物や録画物が如何に感覚の遮断を強制するかが明らかになる。即興演奏に限らず自覚的な音楽制作には、現場以外の理想的な視聴覚環境はないことを実感する。この感覚は保存もしくは記録することは出来ない。再現することが不可能な五感すべてを駆使してのエクスペリエンスという奇跡を体感できる場として高円寺グッドマンは末永くお世話になりたいものだ。

良い男
良男と呼ばない
グッドマン

震える石 vol.11

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