数年前、リバイバルで「明日があるさ」がヒットした。作詞青島幸夫、作曲中村八大による軽快な歌である。元々は坂本九の持ち歌だった。オリジナルのドライブの効いたビッグバンド風アレンジは聴く者を浮き立たせる。一方、宮川泰にも「若いってすばらしい」という佳作がある(作詞安井かずみ)。宇宙戦艦ヤマトも悪かねぇが、こういう小品にこそ味わいがある。ジャズ屋の作曲家の明るいいい面が出ている気がする。
貴方がいつか言ってた 誰にでも明日がある だから一人でも寂しくない 若いってすばらしい 空は両手にいっぱい 恋もしたいの 優しい気持ちになるの ああ誰かが私を待っている…
こんなような歌詞。うろ覚え。サビの後半でマイナーに転じる。
八大さんはジャズブームの頃、ビッグフォーで、かつてジャニーズそこのけの人気を誇った非凡なピアニスト。宮川さんも負けまいと密かにライバル心燃やしていたのだろう。しかし、こういう能天気な、問題意識なく歌い上げる青春歌謡みたいなものって無くなってしまった。なんか人前で歌うのはものすごく恥ずかしいけど、わりかし好きだったなぁ。
北風吹きぬく寒い朝も 心一つで温かくなる… (寒い朝)
ベトナムのホーチミン市で、寸暇を惜しむがごとく、連日バイクにまたがり彼女と逢瀬を楽しむ若者達を見て、なぜかこの歌が浮かんで仕方がなかった。彼らを見て、勝手にジ~ンときた。
ベトナムは丁度今、経済開放政策のもと、日本の高度成長みたいな場所にいる。よりよい明日への期待感を持って、みんな毎日汗かいて働いている。そう、あの時代の日本の吉永小百合と浜田光夫がゴロゴロいるのだ。真剣に明日への希望を抱く若人たちが。日本の高度成長の行く手に待っていたのは閉塞感であり、勝ち組だの負け組みだの、なんか殺伐とした気分だったが、彼らはどう夢を実現するのか。日本人にはもはや、あの目の輝きはない。一体どこへいってしまったのだろう。
よし、青春歌謡をもう一度流行らせることにしよう!
ああ、歌いたい歌、語りたい歌が死ぬほどある…
わたしは琵琶を弾く
だからひとりでもさみしくない
わたしは琵琶法師
失礼しました。
芦屋親不孝ズの替え歌でした。
「上を向いて歩こう」
「明日があるさ」
「遠くへ行きたい」
「帰ろかな」
「夢で逢いましょう」
メロディーはどれも昭和歌謡とは明かに
別物です。
こういうメロディーとウェスタンスウィングが
出会ったらと想いをめぐらしながら、
今日も「上を向いて歩こう」のイントロで涙する
チール弾きでした。
八大さんが作り、梓みちよが歌った「こんにちは赤ちゃん」これは明らかに歌謡曲ですよね。歌謡曲はジャズやシャンソン、ハワイアン、カントリーなどの外来音楽を取り込み、浪曲、新内、小唄などを内包しながら変幻自在な大衆音楽であったと思っています。
いいじゃないですか。出前持ちのアンチャンが鼻歌で歌ってるようなものは、みんな歌謡曲だったんでさぁ。戦前の浅草オペラだってそうだった。ペラゴロって言ってね。それぐらいザックリしたもんでいきたいです。