誰しもが持っている、わが心のコロッケ。
カニクリームとかそんなんぢゃない。 肉屋の店頭、ラードの匂いがプンとするやつ。
布施のやまじんだったり、浜寺公園のプール帰りのコロッケだったり、芦屋は竹園だったり、
南森町なら中村屋だったり、京都東山だったら京屋、黒門なら関口、上六ならやまたけ、
大国町ならのんきや、あげ出すと切りがない。
ボクの生まれ故郷なら、今はもうない肉の阪本だった(阪本自体はたくさんある)。
満足に肉なんか入っていない。 ミンチのように見えたのはジャガイモの皮だったりする。
どんどん揚げて行くヤツを、舟の上に見事な手つきで乗せて行く。
緑のハトロン紙を上に、もう一重新聞紙にくるんで、輪ゴムをパチンととめてくれた。
あの手つきは見事だったなぁ。
ちなみに、こいつは今お気に入りの、高槻の「牛長」のコロッケ。1ケ60円。
いいオッサンが「コロッケ3つ」とかたのむのは恥ずかしいが、食い気の前には何の障害になろう。
小中学生の頃、津久野駅の横の阪本で揚げ立てのコロッケを買い、
でも帰り道、我慢できなくなって、団地の横あたりで新聞紙を広げた。
ザクッと一口・・・ハフハフ・・・旨いのなんの。
揚げ立てのコロッケには、ウスターもなんにもいらない。
これさえあれば、少々大池沿いの道が遠くても、かまやしない。
押さえがきかなくなるのだけが難だった。
美味であるコロッケも、1個の半分を過ぎるぐらいから
やがて来る別れが顕在化し、胸にせまる寂しさを禁じ得なくなる。
ああ、これくらいの量を地面に落してしまうのが一番イヤ。
地団太踏んで悔しがる。
死んだ祖母さんの用意してくれる、日曜の昼飯なんて、キャベツとこれが2個とかだった。
今思えば哀れ。 でもその当時はホイホイ喜んで、テレビで角座か寛美見ながら食ってた。
指先に余りに短い饗宴のなごりを残して、コロッケはきえてしまう。
慌てて食べたから、若干口の中にヒリヒリした感じを残すだけ。
指先に残る油、パン粉。
このままペロリとやったり、ズボンで拭いたり、かくして一巻の終わりを迎えるのである。
この小さな出会いと別れが忘れられないから、
今も肉屋のフライコーナーの前は素通りできないのである。