マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.3.01 熱燗には関東煮!

2006-03-01 02:34:07 | 
2月最終日だというのに、冷たい雨の降る大阪北部だった。
身も心も冷え切ったような晩には、やっぱり日本酒。しかも熱燗でなきゃいけない。「熱燗は匂いがダメなのよね~」だと?黙らっしゃい!その小さな峠を越えたところに酒の妙味はある。越えなはれ。ぬる燗とか日なた燗の方が酒の味が分かるというが寒い晩は熱燗が絶対である。ああ、少々アルコールが飛んじまったって構うこたぁない。四の五の言わぬ。大体昔のオヤジたちは菊正といったら菊正、剣菱といったら剣菱、ごじゃごじゃ論を披瀝などしない。黙って呑んだもんだ。潔い。

熱燗ときたら、さぁ食べるもんは何を所望するかね。俺ぁおでんと行きたい。しかも、ここは関西風に関東煮と行きたい。あァややこし…。
少々おでんの説明を加えよう。おでんとは、元々宮中の女房ことばで田楽のことをそう呼んだ。芋をおさつ、尻をおいどと呼んだが如し。そもそも田楽たぁ、豆腐に木の芽味噌を塗って炙ったものだ。昔はこういう物で一杯やったんだろう。八坂神社の南門脇にある『中村楼』ではまだ軒先でこういう豆腐田楽を祇園豆腐という名で昔ながらのスタイルで売っている。それが江戸へ伝わり、職人相手にそんな悠長なことしてられっかい、ということで味噌の中に豆腐や蒟蒻、大根だのをぶち込んでグツグツ煮込んだ。こいつが味噌おでん。これは名古屋に行けば八丁味噌で煮込んだ『つる軒』などで味わえる。最後にメシと共に食うゆで卵なんてぇのは旨いもんだ。
江戸も文化文政の頃には醤油が関東で作られ、味噌に変わって醤油が台頭、醤油ベースで煮込んだ煮込みおでんになったつう訳だ。

さて、おでん何処で食う?浅草『大黒』、銀座『お多幸』(名優殿山泰司の実家)、本郷『呑喜』、横浜『野毛おでん』は記念碑的店だから推薦しておくとして、さぁ大阪でどうするか。

今、閉めっ放しになってるが、道頓堀堺筋寄り浜側にある、織田作の夫婦善哉にもその名が見える『日本橋たこ梅』。鍵の字のカウンターのまん真ん中にアカのおでん鍋がはめ込んであり、ここに山盛の具が入り、グラグラ湯気を上げる。「おでんとは風呂のように小波状態、だしを煮立たせぬようにしなきゃいけねぇ、間違っても汁を濁らせちゃあいけないよ」なぁんて言うのとはまさに正反対。ボコボコ煮立つダシは濁ってるのもいいとこ。だけどこれがうめぇんだぁ。定番の大根はない。ひろうす、お餅、こんにゃく、里芋、青柳、牡蛎…ああ。9種類だかの調味料が使われる芥子の成分を当て合い、居丈高な木村栄子みたいなオバハンをおちょくりながら呑むのはいかにもミナミにいるなぁ…という気にさせた。高くてめったに頼めなかったさえずり…平天、ごぼ天などは道頓堀さの半製と聞いた。そのさの半ももうない。酒はなんだったか。錫半の酒器で入れた熱燗がまろやかでなんぼでも呑めた。たこ梅には何とかもう一度再開してもらいたい。大阪を忘れた道頓堀の最後の孤塁だったかも知れぬ。他の「たこ梅」「多幸梅」は親戚筋だかなんだかいうが、オレは行かない。安くないから「たこの甘露煮どうでっか?」などの誘いには乗らぬよう。

はたまた北区茶屋町に近い、かんさいだきの「常夜燈」はどうだ。戦後の混乱期、お初天神の闇市に来て食べ、「これは関東煮やない、関西煮や」と名付けたのが、かの森繁久弥。やっぱしボコボコだしを煮返す。何を食ってもいいが、おでん屋の味をみるには『大根』である。軟らかく出汁を吸った淀大根は口でスッと蕩ける。灘の泉正宗(昔、雪村いづみがCMソングを歌った)が追いかけて胃の腑を温める。たまんない。 

もう一軒西成の飛田新地近くにある「三角屋」は赤井英和の命名。赤井、子供の頃からの行き付けだ。完璧に駄菓子屋の関東煮である。仕舞いの頃のすじなんてのはコッテリとして涙ものである。これをアテに猫の額ほどの店内で、麦酒を飲む気分はたまらんのである。矢でも鉄砲でも持ってきやがれという気にさせられる。おでんもいいけど、オレはやっぱ関東煮にこだわりたい。