マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.3.08 音楽特報!Medisine Show

2006-03-08 03:51:19 | カントリー
ウェスタンスイングの北島のオヤジMilton Brownやア~ハ~の王様Bob Willsの話をする際に忘れちゃいけないのは、米国南部の音楽状況だ。
(この辺は見てきたようなウソをつくけど、三井徹氏の著作からの引用・孫引きをお許し願いまする)南部という所は人種差別のきつい土地だったが、(オレは1976年に南部のオッサンにJAPと罵られたぜぇ)こと音楽についてはいささか柔軟だった。遡ればフォスターの音楽やクリスティのミンストレイルズショーで顔に墨を塗って黒人の生活習慣を歌ったが如く、黒人たちがアフリカから持ち込んだ音楽にゃ興味深々だった。彼らの持つメロディやリズムにゃスゲェ新鮮なものがあったんだな。20世紀初頭、Al JolsonやGeorge Garshwinが黒人ミュージシャンとの交流の中でインスパイヤーされ、自分たちの音楽に生かしたように、後にJazzと呼ばれる音楽の下地がそこにはあった。聞いたこともないBluesを一緒に綿摘んでる時に、労働歌として聴いたりしてみな、そりゃシビレるわな。Bob Willsはそうだった。

だけじゃない帝人、英国移民がフィドル音楽を、フランス系移民がケイジャンを、ドイツやポーランド移民がポルカやヨーデルを、国境を乗り越えてきたメキシコ人たちがスパニッシュソングを、八尾市民が河内音頭を…そういう音楽が沖縄風にいうとチャンプルーになっていた。韓国風にいうとスッカラでとことんピビンパをかましたように、南部にはそういう音楽的な下地があった。そこへもって…週末には巡回牧師がゴスペルやセイクレットソングを持ち込んだ。

それに1930年代まで南部の田舎にはMedisine Showというものが来たもんだ。日本にもあっただろ、富山の薬売り。紙風船もってきたろ。あれは富山と言いながら奈良から来ることが多かったそうだが、それ以前にはオイチニの薬売りってのがいた。日露戦争の軍服を着てラッパ吹いて売り歩いたものだ。(阪妻主演「無法松の一生」の前半を見よ)それと同様、メディスンショーも荷馬車でやってきて、楽器を弾いて人集めをして、薬の効能を大道で説いて薬を売った。ガマの油と大して違やしねぇ。町々へ流す道すがら、楽器の弾ける田舎の若造がいたら「一緒に行かねぇか」とスカウトした。田舎でくすぶってる若造たちゃあたまんねぇや。MiltonもBobも若き日、そうしたメディスンショーに加わったんだ。そう、あたしゃ、この目で見たんだから仕方がない。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする