blog 福祉農園通信・龍神伝心

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ねたままでしつれいします。

2008-02-16 | 農作業
岡思奈 鉢(おかしな はち)さんが、
横浜寿町の日々をつづったblog「ねたままでしつれいします」に心配な記事が。
挨拶を忘れずに(kumiko)
一人の人間が「場」を離れる。
それは、「逃げ」なんだろうか。それとも?
服が体に合わなくなるみたいに、「場」が合わなくなる。
何かしら「変化」が訪れた時、「場」があわなくて、いられなくなる。
「居場所」を失うって、多分そういうこと。
「離れ方」には二つあって、「逃げる」という方法と「卒業」という方法。
「変化」を自分の歴史の中にどのように「位置づけ」ていくか。
「変化」を「場」の役割に「位置づけ」ていくのか。
そのことがKEYになり、二つの方法は分類される。
二つの方法については、また明日。

岡思奈 鉢さん、愛称Yさんとは去年の4月に寿町を訪れた折に始めてあった。
その時、ドヤ街といわれる街を耕す現役ホームレスであるYさんの話に魅了され。

有機肥料として

 早朝の寿の町は、いつもとはまた別のにぎわいがある。早起きが習慣になっている元建築労働に従事いていた高齢者達が、何となく三畳間から起き出し、思い思いの格好で町中を徘徊しはじめる。
仕事はまるでないが、長年の習慣はそのまま続いている。今寿の町で手がけているプロジェクトは、数本残されている。一つずつが、この町の変化と可能性と落ち着きを取り戻すのに不可欠な要素を持つもの。みんなが手分けして、また共同しながら遂行させなければという思いが強い。
 ポーラのクリニックの院長を務めるDr山中が理事長のNPO法人さなぎ達は、見守りネットワークなど、寿の町の地域医療のモデルとして、地を這うように浸透して行き、「さなぎ達」スピリッツといっても良い心意気の若者たちが、思い思いに参加して、広がりを見せており、寿の変化への原動力となている。
 みんなの作り上げたこの町は、これからもいろんなものを巻き込みながら、力強さをまして行くことだろう。この「さなぎ達」の触覚にあたるようなファニービー?ファニービーも手探りの状態から少しずつ手に触るものを見つけ出し、現在ホステルヴィレッジがメイン業務化して、これもまた一歩ずつではあるが、部屋数増やし、次のステップへ移りつつある。これもまた魚鱗の陣たて。オーソドックスではあるが、弱小チームにはわかりやすい形とだれでもが入れる良さがある。
 初心に立ち返り、一部門ずつを見直し、出来るだけシンプルな行動体の集合物を考えてみるべき時期に差し掛かったようだ。
 こわれ頭おかしな鉢の走り回る時期は過ぎ、各部署とも世の中のシステムの中に組み入れられた地力のある戦力として、社会の一端を担い、ゲリラ戦から競争社会の中で、しっかりとした根を張っているように重心を少し下にさげ、安定したチームへと移行して行なければと願っている。
 みんなの力の結集に必要なしっかりとしたミッションに鉢も忠実に従い、スタンドプレイは極力抑え、相も変わらず有機肥料として、みんなの足元にくたばる事だけを望みに人生の余熱を使い切ってしまいたい。
 日常起こるいろいろなトラブルも又、若者たちの足腰頭を鍛えタフにするべき過程。タフでないと生きられない。この町で起こる様々な出来事を乗り切れてはじめて、みんなが仲間。この町、仲間たちが必要とする世の中と少し違う構造上、歴史上の障害物の突破には、鉢のこわれ頭をこれからも、十分に使ってもらえれば嬉しい。鉢にとって一番つらい所は、心の中に自分が本当に必要な人材だろうか?と考えた時、何の特殊能力も持たない自分の処遇、進退の問題が自分自身の中にときどき湧き上がる時がある。


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