blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

吉田昌弘さん逝く

2014-01-24 | 風の備忘録 
吉田昌弘さん 逝去 
1月20日より脳内出血により独協病院にて闘病しいた
吉田昌弘さんが1月24日未明 逝去されました。
妻の初枝さんが泊まり、見送れたそうです。
「吉田昌弘くん、1月24日午前1時すぎに亡くなる。
わらじの会との出会いは、
故新坂光子・幸子姉妹が農家の奥の闇から街へ出て
やがて分家して建てた生活ホームに入居し、
重度障害者職業自立協会の店・トムテで働くようになる少し前から。
約四半世紀のつきあい。
彼が倒れてからいろんな人たちの「そういえば」という言葉から推察すると、
半年くらい前から時々小さな出血があったのではないか。
もともと重度障害があり、電動車いすを使っているなどのために、
本人も周りもそういうものか年をとったからと思って、
淡々と暮らしていたのだろう。
ただ、妻・初枝さんは、
彼が昨年11月24日に行われた
交通アクセス埼玉行動に初めて参加しなかったことを「おかしい」と感じていた。
しかし、その交通労働者(自宅最寄り駅の駅員)が、
彼の異変に気づき駅から旧国道までずっと後をついて来て、
倒れたときすぐに救急車と自宅に連絡してくれたからそこで絶命せず、
最後の数日を家族やたくさんの縁ある人々と再会することができた。
街で生き、街を動き回り、街を拓いて生き抜いた。
お別れ会は26日(日)とのこと。合掌。」


2000年5月福祉農園共同作業日。

作業を終えて、ランチを待ちながら、ポーズを決める昌弘さん

昌弘さんは物言う障害者でした。

文部科学省で文部官僚に対して分け隔てる教育を告発する昌弘さん

主張する障害当事者は大切だ。
ほっとプラス代表の藤田孝典さんは、吉田さん 慎んでご冥福をお祈り致します。
大変お世話になりました。ありがとうございました。

昌弘さんは、最近、生活保護についても一緒に懸念されていました。

生活保護基準が引き下げられると障害者は暮らしていけないと。
障害者運動と同じく、国とケンカしなきゃダメだと。

地域で共に生き、共に闘い続けて逝った昌弘さん 
お疲れ様、ゆっくうりとお休み下さい。合掌

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。