先日、植草学園大学の公開講座で「弱いロボット」の著者である「岡田 美智男 先生」の講演会を聞く機会をもてました。 その講演会を思い出しながら、書いてみました。
それは、とても、興味深い内容でした。
今の世の中に警鐘を鳴らしているようにも感じました。
たとえば、教育において、教える側と教えられる側。
福祉においては、お世話をする側とお世話をされる側。
行政においては、サービスをする側とサービスを受ける側。
我々は、そこに壁を作り、それぞれの立場を主張し、満足出来なければ、すぐにクレーマーになってしまっていませんか? お互いに、もう少し相手の気持ちに寄り添う関係性を築けるとお互いにハッピーになれるのに、、、。
お互いに、少し「弱味」を見せられると、、、。
そして、お互いの関係性の中で、それを補い合えると、新しい展開が生まれるのでは?
確かに、そうだなあと思いました。
「足し算型のロボット」は、今はそれが主流のようですが、人間に代わって何かをしてくれる。そこには、完璧が求められる。
「引き算型のロボット」は、人間との関係性には何が必要かを考え、いらないものを削り落としていく。 完璧に出来ないからこそ、お互いにそれを補い合う関係が生まれます。
たとえば、「ゴミ箱型のロボット」。
手がないので、自らゴミを拾うことができないロボット。
ゴミの周りで、声も出ないので、ただ、ヨタヨタとしています。
そのうち、子どもたちがそのロボットに気付き、声をかけます。
「どうしたの? ゴミを拾いたいの?」
子どもたちが、「ゴミを拾ってあげるね🎵」と言い、「ゴミ箱型ロボット」にゴミを入れます。 ロボットは、お礼の会釈をしているように見えました。
しばらくすると、ゴミはすべてなくなります。
「ゴミ箱ロボット」が数台あると、子どもたちは分別を始めます。
ただ、ゴミの周りで、ヨタヨタしているだけなのに、ゴミを拾うという役目を与えられたロボットは、みごとにその役割を果たします。
もし、これが「足し算型のロボット」なら、手があり、自分でゴミを集めるのでしょうが、たぶん、誰も手を貸すことはなく、あのロボットはちゃんとゴミを拾えないとか、通行の邪魔だなどとクレームが来るのかもしれませんね。
また、「子どもたちにお話をするロボット」。でも、途中で、お話の大事なところを忘れてしまいます。
たとえば、「桃太郎」のお話しだとすれば、「桃から産まれてきた、、、 えーっと? えーっと? 誰だっけ?」 子どもたちから「桃太郎だよ♪(笑)」と言われ、「そうそう その桃太郎がね、、、」と、ロボットと子どもたちが、コミュニケーションをとりながら、お話が進んでいきます。
とっても、素敵じゃあないですか?
何だか、忘れていたものに気づかされたような感じがしました。
技術の進歩には、確かに「足し算型のロボット」は必要なんでしょう。
しかし、「引き算型ロボット」も必要だと感じました。
我々が日常の忙しさの中で、忘れかけていた、人と人との関係性の大切さや楽しさ、そして人を思いやる心を思い出させてくれるのかもしれませんね。
それは、とても、興味深い内容でした。
今の世の中に警鐘を鳴らしているようにも感じました。
たとえば、教育において、教える側と教えられる側。
福祉においては、お世話をする側とお世話をされる側。
行政においては、サービスをする側とサービスを受ける側。
我々は、そこに壁を作り、それぞれの立場を主張し、満足出来なければ、すぐにクレーマーになってしまっていませんか? お互いに、もう少し相手の気持ちに寄り添う関係性を築けるとお互いにハッピーになれるのに、、、。
お互いに、少し「弱味」を見せられると、、、。
そして、お互いの関係性の中で、それを補い合えると、新しい展開が生まれるのでは?
確かに、そうだなあと思いました。
「足し算型のロボット」は、今はそれが主流のようですが、人間に代わって何かをしてくれる。そこには、完璧が求められる。
「引き算型のロボット」は、人間との関係性には何が必要かを考え、いらないものを削り落としていく。 完璧に出来ないからこそ、お互いにそれを補い合う関係が生まれます。
たとえば、「ゴミ箱型のロボット」。
手がないので、自らゴミを拾うことができないロボット。
ゴミの周りで、声も出ないので、ただ、ヨタヨタとしています。
そのうち、子どもたちがそのロボットに気付き、声をかけます。
「どうしたの? ゴミを拾いたいの?」
子どもたちが、「ゴミを拾ってあげるね🎵」と言い、「ゴミ箱型ロボット」にゴミを入れます。 ロボットは、お礼の会釈をしているように見えました。
しばらくすると、ゴミはすべてなくなります。
「ゴミ箱ロボット」が数台あると、子どもたちは分別を始めます。
ただ、ゴミの周りで、ヨタヨタしているだけなのに、ゴミを拾うという役目を与えられたロボットは、みごとにその役割を果たします。
もし、これが「足し算型のロボット」なら、手があり、自分でゴミを集めるのでしょうが、たぶん、誰も手を貸すことはなく、あのロボットはちゃんとゴミを拾えないとか、通行の邪魔だなどとクレームが来るのかもしれませんね。
また、「子どもたちにお話をするロボット」。でも、途中で、お話の大事なところを忘れてしまいます。
たとえば、「桃太郎」のお話しだとすれば、「桃から産まれてきた、、、 えーっと? えーっと? 誰だっけ?」 子どもたちから「桃太郎だよ♪(笑)」と言われ、「そうそう その桃太郎がね、、、」と、ロボットと子どもたちが、コミュニケーションをとりながら、お話が進んでいきます。
とっても、素敵じゃあないですか?
何だか、忘れていたものに気づかされたような感じがしました。
技術の進歩には、確かに「足し算型のロボット」は必要なんでしょう。
しかし、「引き算型ロボット」も必要だと感じました。
我々が日常の忙しさの中で、忘れかけていた、人と人との関係性の大切さや楽しさ、そして人を思いやる心を思い出させてくれるのかもしれませんね。