北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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合計2,892通

2016-06-04 18:50:58 | 日々のもろもろ
マウスの調子が悪く、明日新調することにしたので、スマホから投稿。

色々なサイトへのログインIDやパスワードを整理して、失念防止のために二ヵ所(スマホのメモ帳と、手書きのメモ帳)に書き止めたのだが、その内の一つ、gooメールに約一年半ぶりにログインしてみたところ、受信リストに1,708通、迷惑メールリストにも1,184通も入っていて吃驚。
元々私は、04年3月からhotmailを使っていて、三年前の一時期、諸般の事情によりgooメールをメインに切り替えたのだが、別な事情の発生をきっかけに再びhotmailに戻し、それから約一年半。正直あんなに届いていたとは思わなかった。
今後もhotmailメインは変わらないけど、たまにはgooにもログインしてチェックしなきゃ。
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西洋式農業発祥の裏に

2016-06-04 15:53:35 | 渡島・檜山地方
1997年にイギリスの統治下から中国に返還された場所と言えば、そう、香港。
早いもので、それから来年で二十年になるのだが、実はここ北海道も、同じように外国の統治下におかれていた可能性があるという話を聞いて、関連のある場所へ行ってみた。





函館の隣、七飯町に、こんな看板が設置されています。
「西洋農業発祥の地」一体どういうことなのか・・・?

1869年(明治2年)、蝦夷地へやって来たプロシア(現ドイツ)人の貿易商人R・ガルトネルは、箱館戦争に敗北する前に政権を築いていた榎本武揚らとの間で、周辺の農民に西洋式農法を教授するという前提のもと、七飯町の土地約300万坪を、99年間に渡って租借するという条約を締結した。
ガルトネルは、条約締結の後、本国から取り寄せた西洋式農器具を用いて、リンゴ、ブドウ、サクランボ、梨、グズベリなどの西洋果樹の植栽を始めるが、箱館戦争によって榎本達から政権を奪還した明治新政府は、北海道が外国の植民地支配を受けることになるのを恐れ、62,500両(現在の貨幣価値に換算すると幾らぐらいになるのかは諸説があり、「小判1両は、江戸時代初めには今の10万円ほどの価値があったが、幕末には3,000円-4,000円程度まで価値が下がってしまった」というものまである)の賠償金を支払うことでこの条約を破棄した。
この一連の顛末は「ガルトネル租借事件」と言われ、もしこの条約が破棄されなかったら、先述のとおり、北海道は、かつて香港がイギリスの統治下にあったように、プロシア(ドイツ)の統治下に置かれていたとさえ言われている。








1871年(明治4年)に、ガルトネルは本国へ帰国したが、七飯町の郊外には、彼が望郷の思いで植樹したとされている、道南地方で最も古いとされている、ブナの人工林が現在も残っており、静かに往時を物語っている。

条約が破棄された後、ガルトネルから取り戻した農地は開拓使が引継ぎ、西洋式農法を取り入れた試験農園が開かれた。
その試験農園は、通称「七重官園」と呼ばれ、北海道酪農の父と呼ばれるエドウィン・ダンや、「少年よ大志を抱け」で知られる、かのクラーク博士も、ここで教鞭をとったとされている。
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