北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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札幌との往来自粛を

2020-04-30 19:54:17 | 日々のもろもろ

大型連休“札幌市民は家にいて”(NHK NEWS WEB)

 

強い要請(半強制と言っても良い)が出ましたね。

ただ、一つだけ。

自分が帰省せずに釧路に留まるから言うわけじゃないけど、「札幌との往来を控えて」ということは、もっと早く言ってほしかった。

うちの職場もそうだろうけど、もう帰っちゃってる人沢山いますよ。

連休明けが心配です。

 

連休前の在宅勤務は今日までで、明日は出勤日なんだけど、このまま交代制での在宅勤務が続くと、連休明けは本当に大変なことになりそう。

今日の在宅勤務を終える前に、出勤日じゃないとできないことを書き出してみたんだけど、あるわあるわ。

明日やることだけでもうんざりするほど出ちゃいました。

仕方がないので、チームの中でうまく分担してやるしかないんだけど、こんな状況でも決まっているスケジュールがほぼそのままというのはどうなんだろう。

トップダウンで、不要不急の件は中止若しくは延期せよというお達しでも出してほしいのが正直なところです。

 

明後日からの五連休、前半は天気も良く気温も上がるようだけど、買い物、洗濯、散歩でしか外出しない予定。

こないだ、GEOに寄って、何か借りられるようなものでも目星つけようと思ったんだけど、密とまではいかないけど結構な人がいたので、長居せずに退散してきました。

どうかこれ以上大ごとになりませんように。

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神社跡地

2020-04-29 15:53:23 | 釧路&釧根地方

昨日の記事で「今日が祝日という実感が全くない」なんて書いてしまったけれど、これはとんでもない話。

祝日ということで、NHKの「おはよう日本」は7時から。つまり、桑子アナの出番ではない!

加えて「あさイチ」もお休みなので、近江ちゃん(近江友里恵アナ)にも会えない!

大ファンである女性アナウンサーに会えないという現実を前に、一瞬にして、今日が祝日であることを思い知らされてのでありました(笑)。

 

そんなわけで(どんなわけだ?)、気を取り直していつものパターンに戻ります。

 

 

先日紹介した「永住町」の一角に当たる住宅街。

道路の先に高台があるのが見えます。

 

 

高台の下から。

現在はこのとおり、この位置からは草むらしか見えませんが、

 

 

なんか、階段というか、通路の痕跡が残っています。

実はこの高台には、かつて「春採神社」という、大山祇大神・住之江大神・浦駒稲荷大明神を祀る神社が鎮座していました。

 

 

少し離れたところにも、同じような古い木造階段の跡がありました。

昭和56年(1981年)まで、この地に神社が鎮座していたそうです。

 

 

現在、神社のあった地は、御覧の病院と、特別養護老人ホームの敷地となっていますが、この病院も、太平洋炭鉱の系列だそうで、元々「太平洋病院」という名前で、炭鉱従事者の健康管理を担っていましたが、平成10年(1998年)に現在の病院となっています。

この地にあった「春採神社」、現在はそのような名前の神社は存在していませんが、先述のとおり、昭和56年(1981年)に、別な場所へ遷座しています。

次回は、その遷座した場所の現在地を紹介します。

 

(「太平洋記念 みなみ病院」はこちら

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テレワーク

2020-04-28 19:41:46 | 日々のもろもろ

昨日、友人とLINEをしていて、在宅勤務になっていることなど、こちらの近況を話したのだが、その際の友人からのメッセージで、一瞬考えてしまったのがこれ。

 

「テレワークしてるんだね」 ← (友人は在宅勤務が困難な業種)

 

「テレワーク」の定義って何だろうと思い、返信する前にちょっと調べてみたところ、このようなサイトに辿り着きました。

「情報通信技術(ICT = Information and Communication Technology)を活用した、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方のこと」

在宅勤務も一類型になってはいるけれど、職場とオンラインで繋がっていることが前提のようですね。

私の場合、セキュリティや機密保持の関係から、PCを自宅に持ち帰っても、ネットに繋ぐことはできず(自宅のWi-fiや私物プリンタへの接続は厳禁。そんなことして何かあったら、このご時世、確実に処分対象になります)、オフラインで書類作成をしたり、PDFを加工したりするだけ。

つまり、メールや、業務に必要なシステムなどを通しての職員間のやり取りはできず、例を挙げると、よくニュースとかワイドショーで紹介されているような、Web会議なんてものは実施できる環境にはありません。せいぜい、何かあったときにだけ、職場の人と電話でやり取りする程度(今のところそれもまだ一度もないけど)。

そう考えると、広い意味では「テレワーク」に含まさるのかもしれないけど、世間一般でイメージされるところの「テレワーク」とはちょっと違うのかもしれないですね・・・、ちょっと難しいかもしれないです。

なので、友人には、「一応ね」って返しました。

 

来月6日までの緊急事態宣言、少なくとも北海道は、恐らく解除はまだ先になりそうですね。

ということは、GW明けも交代制での在宅勤務が続く可能性が高いのだけど、既にもうやることが山積していて、GW以降本格始動になるから、週に1~2日しか出勤できないとなると、業務の調整が困難になりそう。

個人的な希望としては、緊急事態宣言の継続はやむなしとしても、GW明け直後の7日~8日だけは通常勤務にしてもらって、職員間で今後の進め方を話し合い、少しでも円滑に進められるような準備に充てられるようにしてほしいと思うんですけどね・・・、どうなることやらです。

明日は祝日だけど、おかげでそんな実感が全くありません。

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福利厚生施設跡地

2020-04-27 18:25:36 | 釧路&釧根地方

 

高台にある建物。

「コーチャンフォー」の駐車場から撮っています。

 

 

 

現在ここに建っているのは、写真の介護付き有料老人ホームなのですが、

 

 

かつてはここに、太平洋炭鉱従業員の福利厚生施設があったそうです。

 

 

先日も触れましたが、この下にある「コーチャンフォー」のある場所は、以前、野球場のあった場所。

昨日紹介した「永住町」からも近く、太平洋炭鉱の福利厚生施設が多数存在する地域だったことが窺えます。

 

 

 

下へ降りたところで一枚。

古い住宅地図を見ると、「太平洋炭礦クラブ」へ通じる道路は、大体赤線ぐらいのラインだったようです。

 

 

現在は、赤矢印の経路を通らなければなりませんが、古い住宅地図では、緑色のラインで道路があったようです。

勾配が急なので付け替えられたのでしょうか。

 

 

 

その古い住宅地図によると、この辺りに、「春採劇場」という施設があったそうです。

演芸・映画が上演・上映される娯楽施設でしたが、昭和38年(1963年)、テレビの普及などによる業績低迷により閉館したそうです。

劇場はここの他にももう一か所あったそうですが、娯楽施設として劇場ができるほど、この辺りは、炭鉱の社宅街として賑わっていたということなんですね。

 

(写真の場所はこちら

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永住町

2020-04-26 18:16:38 | 釧路&釧根地方

 

 

何度か紹介している、太平洋炭鉱(現「釧路コールマイン」)の選炭工場。

この近くを、廃止された「太平洋石炭石炭販売輸送(株)臨港線」通称「臨港鉄道」の路線が走っていたことは以前触れましたが、炭鉱全盛期には、この辺りが、所謂「企業城下町」のような状態になっていたのではないかということを、古い住宅地図を見て感じたので、ぜひ歩いてみようと思い、行ってきました。

 

 

 

この辺りには、臨港線の「永住(ながずみ)町」駅があったとされています。

この場所を拠点に回ってみることにしましょう。

 

 

駅は昭和38年(1963年)11月の旅客輸送廃止と共に廃駅となり、現在はその痕跡すら残されていませんが、バス停の名前として残されています。

ということはもしかして・・・、

 

 

そう、電柱にもこうして残されています。

これは貴重ですよね。

 

 

こちらの眼鏡屋さん、外観から察するに、元は某コンビニだったんだろうなあと思いますが、それよりも以前、古い住宅地図によると、ここには、炭鉱の生活協同組合の小さな売店があったそうです。

 

 

そのお隣のパチンコ屋さん。

ここには、生協売店の本店があったそうです。

 

 

パチンコ屋さんの並び、写真右側の住宅街には、その生協の本部や、主婦会館などの施設があったそうです。

 

 

小路に入ってみました。

 

 

 

数は少ないですが、小さな居酒屋やスナックが軒を連ねています。

 

 

 

この辺りは、炭鉱の社宅も多く、通称「下町」と呼ばれて賑わった場所で、他にも炭鉱従業員のための福利厚生施設なんかも多くあったそうです。

ということは、この小さな飲食店街も、当時、炭鉱従事者の社交場として賑わった場所なのかなと思ったのですが、当時の住宅地図を見ると、この辺りは、本屋さんやパン屋さん、精肉店や青果店などがある、ごく普通の商店街だったようです。

私が閲覧した住宅地図は、まだ駅があった頃のものなので、それよりも後に現在のような並びになったということなのですね。

炭鉱の企業城下町のような地域だったことに着目すると、自然と、社交場だったのではないかということに思いを馳せてしまいますが、そういうことではなかったのかもしれませんね。

調べながら歩いてみると、色々なことが見えてきて面白いものです。

 

(旧「永住町」駅はこの辺り

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