昨日の記事の最後で書いた、JR大楽毛駅の駅舎内に掲示されている絵。
馬が描かれています。
実は大楽毛周辺は、日本国内にその名を轟かせる有名な馬産地だったのです。
大楽毛駅前にある馬の像。
「日本釧路種」という馬です。
大楽毛駅から徒歩数分の所にある小さな建物。
普段は閉鎖されており、市役所に電話で予約することで見学ができるそうです。
一体どういう建物なのでしょうか・・・。
その記念館の隣にある小さな公園。
はい、ようやくここで、大楽毛が有名な馬産地だったことに深く関わった人物のご紹介。
この銅像は「神八三郎」という人物で、「釧路産牛馬組合」を組織し、「大楽毛家畜市場」を開設するなど、釧路の馬産振興のために奔走し、業界の発展に尽くした人物です。
釧路で馬産が開始されたのは日清戦争後のことで、夏場、海霧に覆われる冷涼な気候の釧路では、馬の飼料となる植物に、海霧による塩分が付着することで、馬が自然と必要な塩分を補給することができたことから、馬産に適した土地とされていました。
当時は、「富国強兵」ならぬ「富国強馬」という言葉があったほど、良質の馬が必要とされており、国をあげて馬産が奨励されていました。
そんな折の明治34年(1901年)、当時の白糠村に「軍馬補充部釧路支部」が開設され、同44年(1911年)には大楽毛に国営の種馬所ができ、品種改良が進められました。
そして同年、先述の「釧路産牛馬組合」による「大楽毛家畜市場」が開設され、大楽毛は、国内有数の馬産地としての地位を確立するまでに至ったのです。
先程の「神馬事記念館」は、そんな神の功績に関する資料が展示されている記念館です。
神八三郎は、「低身広躯」、背は低くても幅がある、寒地の気候にも耐えうる力強い馬を目指して品種改良を進め、「日本釧路種」「奏上釧路種」と呼ばれる種類の馬を創出しました。
大楽毛駅前にある馬の像は、その「日本釧路種」のものです。
同じ広場にある「大楽毛家畜市場」に関する碑。
「大楽毛家畜市場」は、明治44年(1911年)10月、東宮殿下(後の大正天皇)行啓記念事業として、神八三郎の発意によって組織され、後に区画整理事業のために移転するまでの経緯が刻まれています。
(「神馬事記念館」はこちら)
今日は、昨日からのドカ雪で、朝は5時に起きてアパートの敷地内の雪掻き。
夕方も、引き続きの雪掻きのため2時間休暇を取り、湿った重たい雪との格闘で、「疲労困憊」の一歩手前ぐらいまで行ってます。
利尿作用を気にして控えていた栄養ドリンクを久しぶりに飲み、後はゆっくり風呂に浸かって、今夜はグッスリ眠れるとよいなと思います。
道内は、地域によってはまだまだ大雪が続くとのことですが、停電、ホワイトアウトに伴う事故、立往生などの大きな影響が出ないことを祈ります。