北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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「○○○4年」の出来事

2024-01-07 16:13:39 | 懐かしの思い出

6日に放送された、NHKの「タモリと鶴瓶のテレビDEお正月2024」の中で、1954年や1994年など、今年と同じ1の位が4だった年の元日の新聞テレビ欄が紹介されたのを見て、ふと思いました。

 

「そういえば、過去の、『○○○4年』って、結構自分にとって、節目や転機になるような出来事が多かったかも」

 

ということで、ちょっと振り返ってみようと思います。

 

1984年(昭和59年) 11歳

 

この年の4月、それまで住んでいた道南の八雲町から、父親の転勤により札幌に引っ越し。

札幌に引っ越してきたことで、地下鉄やバスに対する興味が芽生え、夏休みの自由研究で、札幌市内の交通機関について色々と調べて出したのだけど、思えばこれが、今に至る、町ブラが趣味となるきっかけだったということで、自分史に残る出来事といってよいかと思います。

 

 

大通にある「中央バスターミナル」。

当時は東区に住んでいて、地下鉄南北線麻生駅まで徒歩15分くらいだったのだけど、中心部へ出るには、地下鉄よりもバスの方が便利だったので、当時、札幌市内のバスルートマップというのを買って、自由研究などで活用したのを覚えています。

 

 

 

 

 

実はこの5枚の写真は2009年に撮ったものなのだけど、84年当時、このバスターミナルで特に印象に残っていたのが、この、JRの駅のような有人の改札口。

84年当時は、ここに係員さんがいて、ターミナルで買った切符に鋏を入れていて、それが珍しく面白く、わざわざここから切符を買って乗ったのを覚えています。

 

1994年(平成6年) 21歳

 

 

一回目の21歳 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

先日42歳になってしまったが、友人から頂いたお祝いのメッセージに、こんなことが書かれていた。「21歳の二倍」「21歳の時に感じた21年より、この21年の方が短か...

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以前、↑の記事でこの年を振り返っていたことがあったので、ここでは簡潔に書きます。

 

・この年は大学3年生。在学中の4年間では、この年が一番いい一年だったと振り返ることができる年。

・大学のゼミでゼミ長を務め、初めて本格的に「人を纏める」ということを経験。この経験は、正直、社会人になっても生きていると実感。

・この年の9月末をもって、FCに入っていた人気アイドルグループ「CoCo」が解散。これは、自分史に残る出来事といってよい。

 

 

学園前駅 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

地下鉄東豊線の「学園前」駅。東豊線は昭和63年(1988年)12月に、栄町~豊水すすきの間で開業しましたが、それから六年後の平成6年(1994年)10月に、豊水...

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もう一つ、10月に、地下鉄東豊線の豊水すすきの~福住間が開業したことで、「学園前」駅が誕生。大学直結の駅ということで、大変な恩恵を受けたものでした。

 

2004年(平成16年) 31歳

 

社会人になって9年目。何があったかというと、

 

・2月に、「特捜戦隊デカレンジャー」が放送開始。当時愛読していた特撮誌で、デカイエロー=ジャスミンこと礼紋茉莉花を演じた木下あゆ美さんを見て秒殺(早い話が一目惚れ)される。これまで沢山のアイドルや女優さん、女子アナなどのファンになってきたけれど、秒殺されたのは、後にも先にもあゆ美さんだけと思われる。

 

ということもありましたが、この年の一番のトピックスは、やはりこちらかと。

 

 

初の1泊オフ。そして改名 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

※遡って書きます。ナナマガラー誕生(?)のきっかけとなった、2004年7月10日~11日の出来事です。つい先程東京から帰ってきた。上京の目的は戦隊ファン仲間による...

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1980年に放送された「電子戦隊デンジマン」で、悪の一味、ベーダー一族の「へドリアン女王」を演じられた曽我町子さんから直々に、今も名乗っている「ナナマガラー」という名前を授けていただきました。

そんな、自分史に残るなんてもんじゃない出来事から、今年の夏で20年になります。早いなあと思うと共に、ここまでこの名前を大切にしてくることができたことに、命名のきっかけを作ってくれた仲間たちは勿論のこと、現在もこのブログで交流させていただいている全ての皆様に、改めて感謝を申し上げたいと思います。

 

2014年(平成26年) 41歳

 

・3月10日。妻との婚姻届を提出。

 

他にも色々ありましたが、この年はこれだけで十分かと。

自分で言うのもなんだけど、今後とも末長く良好にやっていきたいと思います。

 

とまあ、ざっと振り返ると、本当にこれまでの「○○○4年」は、自分史に残る出来事が多くあったことがわかります。

今年はどんな一年になることやら。せめて、「悪い意味で」自分史に残る出来事に見舞われるようなことだけはないようにせねばと思います。

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同窓生との会話

2024-01-05 19:41:28 | 懐かしの思い出
 

中華ダイニングでゆったりと - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

地下鉄琴似駅から徒歩数分の所にある小さな中華料理店に行ってきました。以前はホルモンのお店が入っていた場所で、そこには何度か行ったことがあるのだけど、8月にオープ...

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↑の記事で紹介していた、西区琴似の中華ダイニングのお店で、年前に再び食事をしていました。

 

 

まずはお通しから。

 

 

オーダーしたのは、こちらの「ピリ辛タンタン麺」。

 

 

ラー油(?)がしっかり絡まった麺の色を見ただけでも、ピリ辛の度合いが伝わってくるかと思います。

 

食事を終え、またぜひ行きたいと思って席を立ちましたが、ここで驚いたことが一つ。

なんと、男性の店員さんが、私の高校の後輩とのことでした。

先輩後輩と言っても、どうやら20年以上離れているようなので、在学中のあれやこれやに関する会話はできなかったのだけど、更に驚いたことに、なんとなんと、別な席で食事をしていた女性のお客さんも、同じ高校の出身だったことが判明。

そちらの女性は、私より数学年下のようで、在学期間はかぶっていないようだけど、学校に関する会話ができてとても懐かしい思いをすることができました。

 

 

34年越しの訪問 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

札幌市郊外の閑静な住宅街にあるラーメン屋さんへ行ってきました。「阿里山」と書いて「ありしゃん」と読むお店です。時刻は開店から30分も経っていない、午前11時20...

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先日紹介した、西区平和にあるラーメン屋さん。

このお店も私の在学中からあったので、先日行ってきたという話もしたのだけど、このお店の話から派生して盛り上がったのが、当時このお店の近くにあった小さな商店の話。

 

 

「阿里山」さんの隣にある小さな公園。

この公園の先、写真の一軒家がある辺りだったと思うんだけど、当時、「Hショップ」という小さな個人商店がありました。

今でこそ平和地区にはセブンイレブンとセイコーマートができていますが、当時は、学校から離れた所に「SPAR」しかなかったこともあり、この個人商店は私たち高校生の御用達となっていて、私も学校帰りなどに何度となく寄ったという懐かしい思い出があります。

その女性も同様だったようなので、このお店でジュースやお菓子などを買った話題で盛り上がりました。

 

 

 

そしてもう一つ盛り上がったのが、写真の本屋さんの場所に当時あった「M薬局」という薬局の話。

当時あったと言っても、どうやら閉店後看板だけがそのままになっていたようなのだけど、私のようなバス通学の生徒は、下校時、この横断歩道を渡って左に曲がった所にあるバス停から乗車していたので、ここにあった薬局は必然的に目に入っていたこともあり、閉店していて一度も入ったことがないとはいえ、私にとっては、高校時代を語る上で欠かせないスポットの一つとなっています。

そんなこともあって、その女性に「M薬局が本屋さんに変わっていてビックリした」という話をしたところ、「ですよね~。分かります~」という反応が返ってきて、久しぶりに高校時代に戻ったような気持ちになりました。

この写真は実は4年前のものなんだけど、この本屋さんは今でも変わらず営業していて、本離れが加速し、書店が続々と閉店しているご時世にあって、こうして頑張っているお店というのは、本屋好きの私としては応援したくなるなと思います。

また行く機会を作りたいと思います。

 

 

(4年前の記事)

 

平和を願う町 - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

札幌市西区の西端にある「平和」地区へ。ここは、明治17年(1884年)に山口県から、同19年(1886年)に福井県からの移民が入植したことによって開墾され、大正...

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KANさんの思い出

2023-11-18 16:30:06 | 懐かしの思い出

 

 

KANさん死去 35年出演した札幌の放送局が追悼「STVラジオの夜番組の主人公は、KANさんでした」【全文】

ニュース| シンガー・ソングライターのKANさんが亡くなった。61歳だった。17日、公式サイトで発表された。KANさんがパーソナリティーを務めていた札幌・STVラジオ『KANの...

ORICON NEWS

 

 

KANさんが「愛は勝つ」でブレイクしたのは平成3年(1991年)でしたが、私と同世代の道民であれば、それ以前からKANさんの存在を知っていたという人も多いと思います。

記事にもあるけれど、昭和63年(1988年)から、当時STVラジオで、毎日深夜0時から曜日ごとにパーソナリティーが交替して放送されていた人気番組「アタヤン」こと「アタックヤング」で日曜のパーソナリティーとしてマイクの前に座っていたのがKANさんでした(その後金曜日に異動)。

私は当時中学3年生でしたが、クラスの中で深夜ラジオがブームになっていた影響もあり、私もよく聞いていたものでした。

勿論「愛は勝つ」も大好きで、CDシングルも持っていたし、カラオケでも歌ったことがありました。

福岡県のご出身でありながら、ラジオを通して北海道にも深い縁があったKANさんの訃報、残念でなりません。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

この「愛は勝つ」に関して、今でも印象に残っている話が一つ。

平成3年に放送された「第15回アメリカ横断ウルトラクイズ」の機内400問ペーパークイズで、こんな問題が出されていました。

 

 

 

この①なんですけどね、何て書いてあると思いますか?

 

 

よくこんな選択肢考えついたなと思います。

今年38年ぶりに日本一を達成した阪神タイガースですが、当時は、こんなことを書かれちゃうくらい激弱だったということなんですね。

 

 

年度別成績 1991年 セントラル・リーグ

 

 

機内ペーパークイズは、毎回400問の中から5~6問が抽出されて、視聴者向けに読み上げられてたのだけど、この回ではこの問題が読み上げられていて、この年からMCになった福澤朗アナが、心なしか「阪神」を強調して読んでいたように感じられました。

このとき、①にマークを付けちゃった挑戦者、いたんでしょうかね。②は、芸能問題に詳しくない挑戦者ならあるいはという気もしますが。

でも、これも当時だからなんでしょうね。今こんな問題がクイズ番組で出されたら、SNSなどですぐにやり玉に挙がってたちまち炎上しちゃいそうな気がします。

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長崎屋まで閉店・・・

2023-08-01 20:45:19 | 懐かしの思い出

 

あらま・・・、1月末の「藤丸」の閉店に続き、長崎屋までこうなってしまいましたか。

帯広駅前から大型商業施設が姿を消してしまうんですね。

 

「長崎屋」。帯広に住んでいた三年間(平成17年(2005年)4月~20年(2008年)3月)は通いまくりましたよ。

イオン系の「ポスフール」や、郊外にある「イトーヨーカドー」にもよく行ったけど、長崎屋帯広店は、職場からも割と近かったこともあり、平日土日祝日を問わず通えたので、恐らく帯広市内のショッピングセンターでは一番よく通ったと思います。

帯広のソウルフードとも言える「インデアンカレー」や、確か平成19年(2007年)に開業した、大型書店の「喜久屋書店」など、思い出は沢山あります。

「喜久屋書店」が出店する前は、帯広市内にも何店舗かあった「ザ・本屋さん」という書店が入っていたと思うのだけど、広いフロアの狭い一角に過ぎなかったので、「喜久屋書店」が出店したときは、すごく画期的だと思ったものです。

本屋さん以外にも、当時は一人暮らしで、仕事も忙しかったので、帰宅して夕食を作る気力がなかったときは、「インデアンカレー」や、何店かあった食堂にもお世話になりました。

私のかかりつけメガネ店である「富士メガネ」の店舗もあったのだけど、当時いた女性の店員さんの接客態度がとてもよく、変な意味じゃなく、「帯広にいるうちはここにお世話になろう」と決めていたものでした。

あの店員さん、お元気かな・・・。

 

 

 

「長崎屋」といえば、帯広店にも残っているこのロゴ。

小学生の頃に住んでいた道南の八雲町にもあったのだけど、「サンバード」と呼ばれていたお店を思い出します。

「♪サン、サン、サンバード~♪」というイメージソングも未だ耳に残っていますが、調べてみたところ、かの小林亜星さんの作曲だったそうです。

懐かしい記憶が色々と蘇ってきます。

 

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卒業から31年

2023-03-01 19:43:39 | 懐かしの思い出

 

今日は道内の公立高校の卒業式なんですね。

卒業を迎えた皆さん、おめでとうございます。

ニュースで紹介されているのは、道内公立高校ではトップレベルにして、HTB森唯菜アナの母校でもある札幌南高校で、毎年個性的なパフォーマンスが繰り広げられることで知られています。

 

高校の卒業式・・・、記憶に間違いがなければ、道内の公立高校の卒業式が3月1日になったのは、私の一つ下の学年からで、私が卒業した平成4年(1992年)までは、3月10日でした。

受験を控えた3年生は、2月1日から家庭学習に入り、3月9日に卒業式の準備で登校し、10日が卒業式だったと思います。

私は2月末に大学の合格発表があって、卒業式のときには進路も決まっていたのだけど、同級生や他のクラスの友人の中には、まだ進路が決まっていないのも結構いたので、悲喜こもごもってな感じでしたが、卒業式がどんなだったかは正直あまり覚えていないです。

一学年11クラス500人もいる大きな学校だったので、全員をステージに上げて卒業証書を授与すると時間が足りなくなってしまうので、各クラスの代表1名がステージに上がって全員分の証書を受け取り、それを、式終了後に各クラスで担任が配付するという流れだったのは覚えているけれど、式の最中のことは殆ど覚えていないのが正直なところ。

ただ、はっきり覚えているのが、普段はバス通学だったのだけど、その日は、日ごろ一緒に下校していた仲間10人ぐらいで、延々徒歩で家に向かい、道中様々なことを語り合ったこと。

どんな話をしたかはさすがに覚えていないけれど、このことだけははっきりと覚えています。

私は、2年生のときが、正直苦痛だらけのクラスで、「3年生になったらぜひクラス替えをしてほしい」「一刻も早くこの状況から脱却したい」と思っていたのだけど、その願いが通じたのか、3年生のときは、「高校生活の最後がこのクラスで本当に良かった」と思えるようなクラスに入ることができたので、それが終わってしまうのは寂しかったですが、同級生たちとは、例えばその一年後に自動車学校に通っていたとき、同じクラスだけで7~8人は同時に来ていたりとかしていて色々と交流が続いていたので、それも良い思い出。

後、どういうルートを辿っているのか不明ながら、何故かみんなの近況に関する情報が伝わるのが早く、卒業から四年経って、私が今の職場に入ったとき、しばらく会ってなかった同級生から、「〇〇に入ったんだって?」と聞かれてビックリしたのを覚えています。

あれから31年、さすがに当時の同級生で近況を知っている人も少なくなりましたが、一昨年だったかな、札幌の地下歩行空間で行われていたイベントがHTBのニュースで紹介されたとき、主催している団体の代表者として同級生がインタビューされていたのを見て、「みんなそれぞれに頑張っているんだなあ」「私も負けないで頑張ろう」という感想を持ちました。

 

そんなところですが、「頑張ろう」といえば、新年度まであと一か月。

私は残留だけど、周囲は結構動きがあって、ぼちぼち新しく来る人の情報も入ってきているので、引き続き頑張ろうと思います。

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