北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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9月最終日の雑感

2016-09-30 21:10:28 | 日々のもろもろ
9月が終わりましたねえ・・・。
年単位で考えると四分の三が終わったことになるが、年度単位で考えても、早いもので半分が終わったことになり、来週からは下半期の勤務が始まる。
上半期は、諸事情により担当業務が流動的になり、一部懸案が暗礁に乗り上げたりしているものの、概ね順調といえば順調に進めることができたというのが実感だけど、下半期は下半期で、また新たな取り組みも出てくるので、気を引き締めていかねば。


日3―1ロ(30日) 最終戦も日ハム快勝(北海道新聞)


四年ぶりのパ・リーグ優勝を果たした日本ハムも、いい形でシーズンを締めくくることができたようですね。
恐らくだけど、日本シリーズは、このまま日本ハムVS広島カープで行くことになるでしょう。
以前、ロッテがシーズン3位から「下剋上」と呼ばれた日本一を達成した時は、それはそれで素晴らしいと思ったけど、私は基本的にクライマックスシリーズは撤廃すべきと考えているので、このまま行ってほしいです。

そう言えば、先日職場で、子供の頃どのチームの野球帽を被っていたかということが話題になったのだが、私が小学生の頃は、巨人、阪神、西武がトップ3で、他のチームの帽子を被っていたのは極めて少数派だったのだが、当時から少々(かなり?)ひねくれていた私は、5年生の時、大勢に逆らって、南海ホークスの帽子を被っていたことがある。
同級生でも、中日のファンが一人いて、そいつも中日の帽子を被っていた記憶があるのだが、少数派というところだと、1年生の頃、上級性も含め五人で撮った集合写真を見ると、広島カープの帽子が一人いて、もう一人、当時のロッテオリオンズの帽子が一人いたのが記憶にある。
他にもいたかもしれないが、覚えているのはそんなところ。
今度、実家でアルバムを見てみよう。どこか違うチームの帽子の写真が出てくるかもしれない。
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別院

2016-09-29 21:27:56 | 函館



函館駅にも近い、市電「松風町」停留所の側にある寺院。
「成田山」と書いてありますが、これって、あの「成田山」のこと・・・?





「お不動様」で知られる成田山と言うと、大本山である新勝寺が何と言っても有名だけど、実は全国各地に71箇所もの別院があり、函館にも、「函館寺」という別院があるのです。

1896年に開創され、1934年の大火によって本堂・客殿・庫裡が焼失するも、翌1935年に仮堂が建立され、1999年に新本堂が落成し、今年2016年には、開創120周年の記念大祭が開催されています。

中では、護摩木という特別な薪を焚き、その火中に様々な供物を捧げて、所願成就を祈る「御護摩祈願」が行われており、各種祈願の中では、特に交通安全で知られています。

函館の歴史を感じられるスポットではありませんが、先述のとおり、函館駅からも近いので、西部地区の寺院や教会群とはまた違う趣のあるスポットとして、ぶらり立ち寄ってみるのにオススメです。
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9800シリーズから現在まで

2016-09-28 21:40:26 | 日々のもろもろ
毎年9月28日は「パソコン記念日」ですか。
色々な記念日があるものですね。

因みに、「パソコン記念日」の由来は、1979年(昭和54年)の今日、日本電気(NEC)がパーソナルコンピューターPC-8000シリーズを発売したことなのだそう。
うちの実家は、その後に発売された9800シリーズからで、小学生の頃は、父のPCを借りてゲームに夢中になっていたのだが、例えばどんなのがあったかというと、ファミコンでも人気となった「ロードランナー」。これは本当にハマっていて、オリジナルだけでなく、エディター機能を利用して自分で新しいステージを作ったり、父が買ってきた、大人向けの攻略本(それは今も実家にある)を隅々まで読んだりしたものだった。
だからってわけじゃないけど、私はファミコンという物には全く縁がなく、PCゲームばかりやっているという、流行の先取りなのか流行遅れなのかわからない少年時代を過ごしてました。

あれから三十年以上。
私が初めて自分用のPCを買ったのは、2001年の秋のことで、最初はSONYのVAIOだったのだが、2006年の5月に突然マザーボードが機能不全に陥ったのを機に、思い切って手放し、新調した。

二台目は、SOTECのWinBook WAシリーズで、これは、2012年の春まで使用。
特別こだわりがあったわけではないのだけど、大きなトラブルに見舞われることもなく、約六年と、これまでで一番長く使用したことになる。

そして現在は三台目の、NECのLaVie。
昨年秋つい先日の二回トラブルに見舞われたこともあり、正直、ぼちぼち買い替えを・・・と考えているのだが、予算的な制約が大きく、家電量販店に寄った際に色々と見てはいるものの、実行に移すすには、まだ時間がかかりそうです。
それに、トラブルに見舞われたとはいえ、復旧後は何事もなく動いているので、少しでも長く頑張ってもらうよう大事に使わねばと。
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まだ先?いやすぐそこの話

2016-09-27 21:39:12 | 日々のもろもろ
JR石北線特急1日再開、41日ぶり 貨物タマネギ列車も(北海道新聞)


この新聞記事の本文では、はっきり「10月1日」と書かれてあるが、昨日のテレビニュースでは、これを「来月1日」と表現していた。
観ていて一瞬考えた。「来月1日」って、まだ先のような印象があるけれど、よくよく考えたら今週末の話。
だったら、この見出しのように「1日」だけにするか、あるいは、ズバリ「今週末の1日」の方がよかったんじゃないのって思った。
昨日は26日だけど、これが30日とか31日あたりでも、「来月1日」なんて言ってしまうと、かなり先のように感じてしまいますよ。
特に、このように、一日でも、いや一刻でも早くその日が来ることが望まれるような話題だったらなおさらだろう。
あまり偉そうなことは言えないが、このように、「そのままズバリ表現することで、聞き手に対してマイナスの印象を与えてしまいかねない」表現って、他にもあると思うので、私も気を付けなきゃ。

何はともあれ、まずは石北線が運転再開ということで、これは良かった。
そういや、網走などオホーツク海側の方にもしばらく行っていないなあ・・・。
時間と金をやり繰りして久しぶりに行ってみたいが、なかなかねえ・・・。
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子供の頃の衝撃

2016-09-26 22:22:31 | 特撮作品鑑賞
ウルトラマン、バラバラ…うっ、頭が…!歴代ウルトラ戦士たちとキッズを苦しめた“トラウマ怪獣”ベスト10(ウレぴあ総研)


まあゼットンが上位に来るのはわかるけど、子供の頃に観て様々な意味で衝撃を受けたのは、ムルロア(ウルトラマンタロウ第24話~第25話)だったなあ・・・。
同じタロウの登場怪獣で言うと、タロウとゾフィーを相次いで倒したバードンも衝撃だったけど、タロウを叩きのめし、地球を黒煙で包み込むという前代未聞の展開の衝撃度は本当に大きかった。
子供心に、自分があんな風に暗闇に閉じ込められたらと思うと怖かったし、ムルロアの航空機襲撃によって両親を失った六人きょうだいの様子も、見ていて身につまされるものがあった。
それだけに、後編の第25話で、ウルトラベルの力で黒煙が吹き払われ、ZATのAZ1974爆弾でムルロアが倒されるシーンは、一転してすごくスカッとしたのを覚えている。
いつ頃だったかはっきりとは覚えていないけど、「ムルロア」という名前の意味(由来)を知った時も、「なるほどそういうことか」という納得させられた。
元々は、「トロン爆弾」という核兵器の使用に端を発するストーリーなだけに、ウルトラファミリー勢揃いというお祭り編の中にあって、しっかりと人類への警鐘を鳴らしていたという点で、ストーリーの完成度も高いと思う。

子供の頃というのは、本当に純粋な気持ちでヒーローを応援しているものだから、ウルトラマンに限らず、ライダーでも戦隊でも、そのヒーローがやられてしまうということは、本当に衝撃が大きいもの。
大人になった今は普通にそのシーンを観ることができても、時には子供の頃の気持ちに戻って衝撃を受けるという純粋な気持ちは、忘れてはいけないのだろうと思う。

ウルトラマンは、ゼットンに倒された初代ウルトラマンがゾフィーの手で蘇ったのをはじめ、死した後に生き返るということが何度となくあったけど、ライダーや戦隊はそういうことがないので、例えば「超電子バイオマン」第10話で、初代イエローフォー=小泉ミカが命を落とす場面がトラウマになったという人もきっと多いのではないだろうか。
でも、残された四人が悲しみの淵から立ち上がり、新しい仲間を迎えて敵を倒すという展開には、観ている子供達へ向けた様々なメッセージが込められているのだろうから、トラウマになりつつも、そこから大切なことを学び、受け止めてくれることが理想だろうということを、作り手は考えていたのだろうと思う。

「トラウマ」というのはとかくマイナスイメージで捉えられる表現だけど、その中に、いかにしてプラスの要素を見出すかということに気を配っての作品作りは、大人になった今思うと、敬服の一言です。
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