北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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データ使用量に注意

2019-10-31 22:00:39 | 日々のもろもろ

 

昨年4月に単身生活になってからこれを使ってネットしてるんだけど、月の最終日にして、データ使用量が制限量を超えてしまい、通信が低速になってしまったので、11月は気を付けねば。少なくとも、PCをシャットダウンしたら、こっちの電源も忘れずに切らなきゃ。

 

 

スマホの方も、低速にはならないけれど、料金が1ランク上に行ってしまう寸前までデータ使用量が増えていたので、ほとんどいじりませんでした。

そんなに使った記憶はないんですけどねえ・・・。

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慣用句

2019-10-30 21:06:17 | 日々のもろもろ

「ぶぜん」「砂をかむよう」過半数が意味勘違い 文化庁調査(北海道新聞)

 

「憮然」ねえ・・・。これは本当に分からなかったなあ・・・。

私も、誤用のトップだった「腹を立てている様子」だと思っていたけれど、本来の意味を知ったうえで、「憮然」という表現が出てくる小説を読んでみると、これ以上ないくらいストンと落ちて、「うわあ・・・」と思ってしまった。

本来の意味である「失望してぼんやり」ということ、日常でもあるけれど、次にそういう思いをしたときに、より強く実感するのだろうなと思います。

 

次に、「砂をかむ」は、これは正直不覚だった。

何ゆえ「不覚」かというと、「アメリカ横断ウルトラクイズ」で出題されていたから。

平成3年(1991年)の第15回大会、ハワイでのクイズで出題されていたのだけど、この問題に正解された某社の国際第一営業部長さん、お元気でいらっしゃるのかなあ・・・。

若い挑戦者の中にあって、50歳という年齢から「ウルトラの父」と呼ばれていたのを覚えています。

そういうことなだけに、だめですよねえちゃんと頭に入れていなかったら。

ま、これから日常で使うときには気を付けるとします。

 

もう一つの「御の字」は、これは間違えてませんでした。

この言葉を覚えたのは、大学3年生のとき、ゼミナールの議論の中で、一学年上の先輩が、私達に対し「○○してくれれば御の字だ」と言ったのをしっかりと覚えていたので、これは社会人になってからも、ときどき思い出して、自分でも使っていました。

 

慣用句って難しいけれど、最低限、知ったかぶりして恥をかくことのないようにはしたいなと思います。

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柳町公園3

2019-10-29 19:29:59 | 釧路&釧根地方

 

柳町公園の一角で、大きな工事が行われていました。

 

 

突然ですが、皆様、「四阿」って読めますでしょうか?

これって「あずまや」と読むんですね。恥ずかしながら知りませんでした。

改修工事が終わったら、どんな物ができたのか、行ってみたいと思います。

 

 

少々小高い丘がありますので、登ってみましょう。

 

 

お、またまた橋の欄干が見えますよ。

 

 

 

こちらもまた幹線道路で、この先には「釧路公立大学」がありますが、その横にある「ブックオフ」には、前回住んでいた頃からよく行っていたので、この道路も、それこそ数えきれないくらい通っているのだけど、やはり欄干が残されていることは、全く気に留めることはありませんでした。

 

 

「柳橋」という橋。

竣功年月日も刻まれているのが、今となっては大変貴重ですね。

 

 

通りの名前も「柳橋通」といいます。

 

 

公園に戻って、一つ大きな木に注目。

 

 

「気象台観測中」ということは、所謂「標本木」ってやつなのでしょうか?

いまはだいぶ色づいていますが、来春(多分まだ釧路にいるかと)ちょっと注目してみようかな。

 

 

 

更に進んで行くと、テニスコートがありました。

これからの季節は、屋外のスポーツは寒くて敬遠しがちになるのかもしれませんが、こうして様々な設備が充実していることも、この公園の魅力かと思います。

 

 

 

更に進んで行くと、その先にあるのは、「コーチャンフォー釧路文化ホール」こと「釧路市民文化会館」。

「柳町公園」としては写真のこの場所が終点になるのだけど、せっかくなので進んでみましょう。

 

 

ここには欄干は残されていませんが、この道路も「宝橋通り」という名称で、かつて運河を跨いでいた道路の一つになっています。

 

 

さあ、ゴールはもう間近ですよ。

「柳町公園1」の記事で、かつての運河について、埋立て論と保存論とが真っ二つに割れていたと書きましたが、当時、この市民文化会館の建設計画も同時に進んでいて、現在地が建設の第一候補地であったということも、埋立ての機運を後押ししていたようです。

 

 

「コーチャンフォー釧路文化ホール」の正面に、「釧路市民憲章」が刻まれていました。

「はこだて検定」を受検したとき、函館の市民憲章が公式テキストにも載っていて、しっかりと覚えたのですが、「くしろ検定」では、公式テキストには載っておらず、少々驚き。

それでも、もしかして、テキストにない問題として出題されるかもと思い、覚えたんだけど、今年は出題されませんでした。

出題されてもおかしくない内容だと思うのですがね・・・。

 

 

広い駐車場。

10,564㎡にして360台収容という広さだそうです。

大きな音楽イベントや演劇などが多数開催されている場所ですが、交通の便がよろしくないので、車で来られる方が多いのでしょう。

 

 

はい、というわけで、長々と歩きとおし、新釧路川へ到達しました。

疲れたけれど、天候にも恵まれ、楽しい散策ができたと思います。

 

(「柳町公園」の全体はこうなっています。)  

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柳町公園2

2019-10-28 19:23:09 | 釧路&釧根地方

 

柳町公園散策の続き。

全体に占める割合は僅かだけど、お子さん向け遊具の設置されている場所もあります。

来月いっぱい改修工事とのことで、雪が融けて暖かくなったら、またお子さんたちが集まってくることでしょう。

 

 

整然と植樹されている並木を見つけました。

 

 

「釧秋会」ですか。釧路市は、秋田県の湯沢市と姉妹都市提携を結んでいるのですが、そのことを縁とする会なのでしょうかね。

そうだ、釧路には以前、秋田銀行の支店があったんですよね。

 

 

突然場所が変わるけれど、かつて、秋田銀行の支店はこの場所にありました。

前回釧路に住んでいたとき、アパートから近いこともあって、物珍しさに、ここで公共料金の支払いをしたのを覚えています。

 

 

再び柳町公園へ。

整然と植樹された街路樹と、これまた整然と整備された遊歩道。

散歩コースとしては、本当に打ってつけの場所だと思います。

 

 

お、またまた橋の欄干が見えてきましたよ。

 

 

 

この道路は釧路外環状道路の中央ICに向かう幹線道路でして、ここも、前回住んでいた三年間含め、数えきれないくらい通っているのですが、橋の欄干がそのまま残されていることは、全く気に留めていませんでした。

 

 

 

 

「共栄橋」という橋。

この通りの名前も、橋の名前を取って「共栄橋通」という名前が残されています。

 

 

 

紅葉の名所ではないのだけど、所々に色づいている樹木も見受けられます。

 

 

 

園内にはパークゴルフコースも整備されています。

パークゴルフ、20代の頃は、職場の人達と何度かやったことがありますが、しばらくぶりにやってみたくなりました。

 

 

水は出ていませんが、噴水だそうです。

夏の暑い時期はお子さんたちで賑わうようです。

 

(「共栄橋」の場所はこちら。)

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柳町公園1

2019-10-27 19:18:05 | 釧路&釧根地方

 

釧路市内を流れる「釧路川」。

「幣舞橋」「久寿里橋」「旭橋」という三つの大きな橋を過ぎた辺りで一枚。

 

 

ここで、本流から流れが分かれています(右が本流)。

この流れは何でしょう・・・?

 

 

小さな船が泊まっていますが、その先は行き止まりのような・・・。

 

 

そうなんです。この小さな運河は、ここで行き止まりになっており、その先は、暗渠にもなっていません。

 

 

行き止まりの場所から反対側を見て。

一体この運河は・・・?

 

 

そこから先を見ると、何やら公園のように整備されていますね。

 

 

そこに建っているのは、釧路市の公園緑化協会さんに建物。

ということは、ここはやはり公園?

 

 

 

 

ちょっと前置きが長くなり過ぎちゃいましたが、ここは、釧路市郊外部を東西に貫く「柳町公園」という公園。

大正9年(1920年)8月に釧路地方に未曽有の大洪水をもたらし、「阿寒川」という釧路川の支流が流路を大きく変えるまでになった大雨を受け、翌年着工された釧路川の改修工事の後、流路が変わる前の阿寒川を一部掘削する形で、昭和8年(1933年)に大きな運河が整備されました。

その運河は、釧路川と新釧路川とを結ぶ水路として、木材の運搬をはじめとする物流の用に供されてきましたが、やがて周辺が住宅街として整備されるにつれ、生活汚水の流入によってヘドロが発生するまでに汚染されてしまい、釧路市民の間で、運河の活用に向けた大規模な討論会が開催されました。

市民の間では、運河を埋め立てて公園として整備すべきという意見と、運河を浄化して保存すべきという意見が真っ二つに分かれていましたが、最終的に、埋め立てて公園として整備するということで話が整理され、昭和56年(1981年)に整備着手、翌年からは国庫の補助も受けるようになり、最終的に平成16年(2004年)に、幅が約83m、延長約2.4kmという大規模公園としての整備が完了することとなったというものです。

 

ということで、今回は、この公園を、新釧路川に向けてブラブラと歩いてみることとします。

 

 

先へ進んでいくと、おやおや、橋でもないのに欄干が見えてきました。

 

 

 

この道路は、「古川橋通」という幹線道路。

 

 

 

そう、この「古川橋」という橋は、かつて公園が埋め立てられる前、運河だった頃に架けられていたもので、公園として整備された後も、こうして欄干が残されているのです。

ただですね、この道路、前回釧路に住んでいた三年間(平成14年4月~平成17年3月)も含め、数えきれないくらい通っていたのだけど、こんな風に欄干が残されていることは、全く気に留めていませんでした。これは興味深い発見だったと思います。

 

 

「古川橋」を過ぎて少し進んだところで、小さな樹木が整然と植樹されているのを見つけました。

 

 

おやおや、要潤さん、じゃなかった、クーちゃんじゃありませんか。

 

 

そういうことでしたか。

まだまだ先は長いだろうけれど、やがてここが、桜の名所として賑わう姿を想像するとワクワクしてしまいます。

 

(「古川橋」の場所はこちら。)

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