北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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坂の町シリーズ その7

2015-04-30 19:56:44 | 函館
気が付けば、「函館」カテゴリの記事数が200に達していた。(1回目はこちら
そりゃまあ、江差にいた二年間も含め、実質今年で八年目だから、そのくらいの数にはなっていてもおかしくないけど、函館の前に三年間住んでいた帯広の記事数が42であることを考えると、よくここまでやってきたなという気持ちが強い。
あと何年住むかわからないけど、住んでいる限りは、市内散策を続けてどんどん記事数を増やしていきますよ。





ということで、次に紹介する坂。
以前紹介した「チャチャ登り」に接続している、なかなか急な坂です。





名前は「大三(だいさん)坂」。
「大三」とは、地方から箱舘奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿の家印に由来する名前だそうで、それ以前は、坂上に「木下」という人の家があったことから「木下の坂」と呼ばれた時期もありました。





沿道にある、「元町カトリック教会」。
ここは、まだじっくりと中を見たことがなかったけど、個人的に興味のある場所でもあるので、後日別途紹介したいと思います。
(とか言って、ここみたいに、宣言しておきながら数年も放っておいたりして・・・、いやいや、それはないように気を付けます)





先日の記事で文学碑を紹介した文豪、亀井勝一郎に関する二つ目のスポットがここにありました。
亀井勝一郎という文豪については、恥ずかしながら全く知識がありませんでしたが、どこかで聞いたことがあるという気はずっとしていたので、調べていいったところ、略歴の中に、「1928に、当時の治安維持法により札幌で逮捕された」という事実にぶつかりました。
もしかすると、大学受験の時か何かに、このことを参考書か何かで目にしていたのかな・・・?





続いてこの碑。
この坂は、和洋折衷の建物と、最初の写真にもある石畳のエキゾチックさが高い評価を受け、国土交通省が定めた「日本の道100選」に認定されているのです。





中間地点で、ちょっと上へ向けて一枚。





ここがちょうど中間地点。
ここから一気に傾斜がきつくなります。





でしょ。
ちょっと自転車では躊躇しそう。
車でも、セカンドぐらいに入れないと厳しいかな。








沿道では、こうして綺麗な桜が、通る人の目を楽しませてくれます。
秋には紅葉も綺麗だそうなので、その時また来ようかな。





ようやく下へ到達。
さ、次はどんな坂が待っているかな・・・?
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鉄道関連を二つ

2015-04-29 21:25:29 | 気になるコト
東北新幹線、停電で4時間半不通 3万人に影響(北海道新聞)


勘弁してよちょっと。
四日後に乗るんだらかさ・・・。

そうなんです。GWの旅行は、行きが新幹線で、帰りが飛行機なのです。
だから、こういうニュースは本当に怖い。
JRさん、本当に大丈夫でしょうね?

いよいよ北海道新幹線開業まで一年を切ったけど、本当、安全にはしっかりと気を配ってもらいたいものです。


JR日高線復旧「早くて4年後とは」 沿線住民、切り捨て懸念(北海道新聞)


もう一つ鉄道関連のニュース。
昨年、9月に休みを取って普通列車の旅をしてきたけれど、第二弾をやるなら、この日高線も候補の一つとして考えていたので、こちらは本当に残念なニュース。
ローカル線ではあるけれど、記事にもあるとおり、沿線住民にとっては大変重要な足だし、沿線には、母親の出身地で、私にとっても思い出が沢山ある浦河という町があるので、これは本当に心配です。
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坂の町シリーズ その6

2015-04-28 22:03:12 | 函館



西部地区の坂巡り、次は、この広い坂をご紹介します。





名前は「二十間(にじゅっけん)坂」。
「間」とは、長さとか幅を表す単位で、1間=約1.8mであることから、約1.8m×20=約36mという、広い幅員の坂です。

函館が、明治から昭和にかけて、幾度となく大火に見舞われてきたことは、現在でも広く語り継がれていますが、この坂は、1879年(明治12年)の大火後、防火線として整備されたもので、1934年(昭和9年)に発生した大火の際は、火が西へ西へ延焼範囲を広げる中、この坂によって、これより西側の延焼が食い止められたとされています。
整備された当初は、木が多く茂っていたことから「緑坂」と呼ばれたり、付近に大工や工人が多く住んでいたために、「大工町坂」と称されていたこともありました。








沿道にある建物でまず目に止まるのが、有名な洋食レストランの「五島軒」
カレーが有名で、店内だけにとどまらず、レトルトや缶詰でも売られており、お土産としても、根強い人気があります。





五島軒の反対側で目に止まったのが、このお寺。





国指定の重要文化財である、「東本願寺函館別院」。

1668年、松前専念寺というお寺の浄玄という僧が、阿弥陀堂を創設したことに始まるとされているお寺で、当時は僧の名前にちなんで浄玄寺と呼ばれていました。
その後、1806年、1829年と二度の大火に見舞われ、1879年の大火で建物を焼失し、現在地に移転するも、1907年(明治40年)の大火で延焼したのをきっかけに、現在のコンクリート造りの大寺創建に向け、動き出すことになりました。
1915年(大正4年)の建て替え時に、鉄筋コンクリート造りとなり、現存する鉄筋コンクリート造りの寺院としては日本最古となっています。





坂の上から下に向けて一枚。
景色の雄大さもさることながら、表面には、黒っぽい長方形の石が規則的に敷き詰められ、その美しさも、坂の魅力の一つとなっています。





最後に、坂の上にある建物を一つご紹介。
函館をはじめ道南地方で人気のコミュニティFM「FMいるか」の建物で、放送局としてだけでなく、コンサートや落語などのイベント会場としても利用されています。
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再開したこと

2015-04-27 21:33:05 | 日々のもろもろ
今日から久しぶりに、昼休みの階段上り下りの運動を始めた。

七年前、今の職場に異動してきて半年くらい経った頃に始めたのだけど、いつの間にかやめてしまったので、今回、また戻ってきたのを契機に、再開することにした。
今はまだ三週だけど、そのうち慣れてきたら五週くらいに・・・って、七年前と同じこと書いちゃってるけど、日頃から運動を習慣づけるのはいいことですからね。
と言うか、こうでもしないと昼休みが暇で仕方がないってのもあるんですけどね。

異動からもうすぐ一ヶ月。かつての部署への出戻りな上、座席は、五年前に座っていた席のすぐ隣で、担当している地域も、100%当時と一緒ではないけれど、同じ方面が中心だったりするので、周りからは、「もうすっかり勘を取り戻せた?」などと聞かれるのだが、どっこいそんな余裕はなく、未だ浦島太郎状態と言うか、ブランクを埋めるためのリハビリ中というのが正直なところ。
今日も、定時で帰る宣言をしていたのだけど、夕方になって、この三年の間にやり方が変わっていたことを、かつていた時の感覚でやってしまっていたことが分かったので、仕方なく残業して書類を修正。
多分、こんなことは、これからも出てくるのではないかと思うけど、直面する前に気付けるよう、しっかりアンテナを張っておかねばね。

運動の話に戻るけど、一昨日、市内の日帰り温泉で体重を測ったら、先月よりも2㎏くらい減っていた。
徒歩通勤の効果なのかなとも思うけど、油断は禁物。
昼休みの運動は、今度は途切れさせないように頑張ろうっと。
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桜と海の神

2015-04-26 18:07:37 | 函館
この土日、函館の桜の名所である、五稜郭公園や函館公園は大変な賑わいになっていたようだけど、私は、そういう所は外して、穴場的なスポットの発掘に行ってきました。





場所は、市電「谷地頭」停留所から徒歩五分ほどの、この参道。





「住三吉(すみよし)神社」という神社の参道が、規模は小さいけれど、桜が綺麗だと聞いて、行ってきました。








ご覧の通り、桜(ソメイヨシノ)の木が沿道に沢山植樹されていて、この時期は、桜観賞スポットとして有名なんだそうです。
話を聞くまで、全く知りませんでした。








「住三吉神社」は、鎌倉時代の創建と言われており、江戸時代には、箱舘奉行が石灯篭を奉納して、外国からの脅威が退散するように祈願したという事実もあったとされています。
「上筒之男大神(うわつつのおのおおかみ)」「中筒之男大神(なかつつのおのおおかみ)」「底筒之男大神(そこつつのおのおおかみ)」「三吉大神(みよしのおおかみ)」などの神が祀られており、併せて、函館山七福神の一柱、延命長寿の福徳を授ける福神、寿老神が祀られている、小さいながらも由緒ある神社です。








境内には、このような碑がありました。
祀られている神の中で、「上筒之男大神(うわつつのおのおおかみ)」「中筒之男大神(なかつつのおのおおかみ)」「底筒之男大神(そこつつのおのおおかみ)」は、それぞれ、海の表面・中ほど・海底部それぞれの守護神なのだそうで、海底開発によって母なる海の恵みを賜り、全人類が平和であるようにという、神の啓示を表す碑なのだそうです。





境内にはソメイヨシノの木は見当たりませんでしたが、代わりにと言ってはなんだけど、こんな綺麗な花が咲いていました。





再び参道へ。
神社から坂を見下ろした光景です。





確かに規模は小さいけれど、こうして海も見ることができて、なかなか風情のある場所だなと思いました。





最後に、咲き誇るソメイヨシノの写真。
青空にもよく映えていて、とても綺麗です。
コメント (2)
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