北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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福祉事業の先駆者

2021-04-30 20:23:26 | 札幌

 

出勤途中で気になった石碑に注目してみました。

「小川直吉」・・・、どういう人物なのでしょう・・・?

 

 

この碑が設置されているのは、「長生園」という養護老人ホームの敷地内。

調べてみると、明治43年(1910年)、当時の札幌区(明治32年(1899年)に施行された「北海道区制」に基づく、自治体としての札幌の名称)が、行旅病人などを救護するための施設を開設した際、その運営を任されたのが、長年に亘って、そうした人達の世話を私財をなげうってまでしてきた小川直吉でした。

元々越後で生まれ、明治15年(1882年)に札幌に移住してきた直吉は、土木業を生業としながら、身寄りのない人や病人を自宅に引き取り、生活や就職の世話をしていた人物だったそうです。

その救護所があったのが現在のこの地ということです。

 

 

その「長正園」に隣接する「札幌市社会福祉総合センター」。

 

 

その隣には、「札幌市視覚障がい者情報センター」。

先述したような由緒のある地ということで、現在もこうして、社会福祉施設が集中しているということです。

 

 

 

少し南の、写真の「セイコーマート」の辺りには、大正時代に救護所があり、直吉は、この敷地内に祠を建てて、小さな地蔵を祀っていました。

その地蔵は、札幌区内を転々とする中で首から上が失われており、風雨にさらされていたのを見た直吉が持ち帰って、敷地内に祀ったそうです。

その後、その地蔵の首が発見され、大変喜んだ直吉は、首を元通りに付けて、盛大な供養の祭典を開催したという、何とも心温まるエピソードが残されています。

 

 

 

以上は、昨年購入したこの本からの引用でしたが、この本の中で、著者の和田哲さんは、直吉について、「札幌の歴史の中で、もっと注目されるべきだと思う人物の一人」と評されています。

今回このエピソードに触れてみて、確かにそのとおりだなと思いましたので、こうして紹介してみました。

コメント (2)
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手稲駅

2021-04-29 18:14:10 | 札幌

トップページの背景画像を更新しました。

この場所のレポは、記事のストックが多いのでGW明けになると思いますが、札幌市郊外にある、パワースポットとして有名な場所です。

 

 

 

JR函館本線の「手稲」駅。

上の二枚は、三年前に一度掲載していたものですが、そのときは、駅名と地名の由来が主題で、駅の詳細は紹介していなかったので、この機会に、内部の施設に注目してみました。

 

 

南口(一番上の写真)と北口(二枚目の写真)とを結ぶコンコース。

どちらの出入口も利用客が多いので、コンコースも、広くゆったりと歩けるように整備されています。

 

 

 

中に、彫刻が一基ありました。

 

 

國松明日香さん。フォローさせていただいている方のブログで、何度か作品が紹介されているので、お名前は聞いたことがありました。

小樽市出身の、北海道を代表する彫刻家で、札幌市内にも、屋内外に多数の彫刻が設置されています。

検索していたら、このようなサイトを見つけました。自宅や職場から近いものもあるので、今度見てこようと思います。

 

 

 

手稲の歴史が書かれている表示板。

最後の方に書かれている「手稲区歴史ガイドマップ」は、区役所で配布されているものですが、区のHPでも公開されていました。

手稲区はまだまだ知らないスポットが沢山あると思うので、重点開拓エリアに指定しようと思います。

 

 

駅構内には「セブンイレブン」があります。

 

 

御覧のとおり、「キヨスク」との提携ですが、「キヨスク」が単体で運営しているお店って見かけなくなりましたね・・・。

どうかしたら、今の若い人は「キヨスク」自体知らないかも。

そう考えると、「ちびまる子ちゃん」のOPテーマ、「おどるポンポコリン」は、これからもずっと、1番が流れ続けるんでしょうね。

2番の歌詞にある「いつだって迷わない キヨスクは駅の中 そんなの有名」というフレーズは、時代にそぐわないものになってしまった感がありますから。

 

 

これは・・・、なんでしょう?

 

 

 

 

調べてみましたが、「あいくる」とは、手稲区が、情報交流、活動発表の場として、駅構内を借りて広く利用を呼びかけているスペースの名称だそうです。

パネル展とか、小規模な演奏会なんかで使われる機会がありそうですね。

 

 

ホームに降りて、駅名表示板を一枚。

以前、「発見!タカトシランド」で、トシさんが、「北海道科学大学」のロゴマークについて、「ウルトラ警備隊みたい」と言っていたことがありましたが、「ウルトラ警備隊」のロゴとは違うけど、確かに、ウルトラシリーズの防衛チームのロゴにありそうな気がします(と思うのは私だけ?)

 

 

 

手稲駅は快速も停車するので、日中は、ひっきりなしに列車が出入りしている印象があります。

近いうちにまた行きます。

 

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明日からGW

2021-04-28 19:38:03 | 日々のもろもろ

 

ああそうか、「円山動物園」は今年70周年なんですね。

せっかくのアニバーサリーイヤーだけど、GWはどうでしょうね・・・、公式HPを見ると、感染拡大防止のために完全予約制にしているそうです。

小学生の頃以来行っていないけど、時代が変わっても、子供たちにとって楽しみの場所であり続けているだけに、せっかくのGWにも関わらず、北海道では、札幌市内と他地域との不要不急の往来自粛と、札幌市民にも不要不急の外出自粛が呼びかけられているのは残念ですね・・・。

 

今年のGWは、私はもう「帰省」もないので、暦どおりです。

昨年は、緊急事態宣言下だったこともあって、私も、ずっと釧路に留まっていましたが、今年も、少なくとも札幌市内からは出ないつもりです。

本当は、石狩空知方面から場所を選定して、ぶらりとドライブでも行きたいと思ってたんですけど、今回は断念です。

天気予報見たら、明後日から天気はぐずつき模様のようで、気温も10度に達しないようなので、体調管理に気を付けながら、ゆっくりと、適度に楽しみを見出しながら過ごしたいと思います。

 

全然関係ない話になるけれど、昨日の帰宅途中、職場近くの車通りの多い道路で、車椅子の人が、すぐ近くに信号機付きの横断歩道があるにも関わらず、車道を悠々と横断しているのを見て、「危ないなあ」と。

こう言ってはなんだけど、「健常者でも障がいのある人でも関係なくやってはいけないことなのに・・・」と思いながら、ハラハラしながら見ていました。

私も車を運転していて、信号機のない場所を悠然と横断する人を見るにつけ、「勘弁してくれぇ~」と思いながら見ています。

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前田の歴史

2021-04-27 19:54:41 | 札幌

 

手稲区に「前田」という町があります。

通り過ぎる機会は多いのだけど、ゆっくり歩いたことはそんなになかったように思います。

 

 

昨日紹介した「稲積公園」のある「稲積」は、正式な行政地名ではありませんが、こちらは、行政地名の付いた「前田公園」が整備されています。

 

 

 

 

ここもまた、広場が整備されていて、地域の人達の憩いの場となっています。

 

 

園内には、地域の歴史を記した表示板があります。

縄文時代の遺跡があるという話は初耳でした。

札幌市内において、遺跡があるという話はそんなに聞いたことがなかったように思いますが、知られざるスポットが沢山あるのかなと思いました。その辺を調べてみるのも面白そうです。

 

 

この記事で一番強調したかったのがこちら。

「前田」という地名について紹介されています。

昨日の「稲積」と同様、農場が設置されたことが地名の由来だったのです。

 

「前田農場」を開設した「前田利嗣」は、表示板にあるとおり、加賀(現在の石川県)前田家第15代当主。

明治維新による大変革のあおりで、加賀藩の大名や武士が大量に失業してしまったのを受け、利嗣は、藩士達に、授産(新たな職業先開拓と職業訓練)の道を付けようと決心し、明治17年(1884年)後志の「共和町」で士族79戸を開墾に従事させ、成功を収めました。

この成功を受けて、利嗣は札幌周辺における農場開設に意欲を燃やし、農民に土地を貸して小作料収入を上げるのではなく、直営の大農場を経営して、畑作物や乳製品などの農畜産物加工・販売で利益を上げようと考え、明治27年(1894年)には現在の北区茨戸で農場を買収し、翌28年(1895年)、総面積368ヘクタールと大変広大な「前田農場」を創設しました。

このことが由来となって、昭和17年(1942年)、「前田」という地名が誕生しています。

因みに、前田家が最初に開墾した共和町の地域にも「前田」という地名が付けられています。

※ 手稲区役所公式HPから引用

 

 

 

 

先程の表示板にもある、明治44年(1911年)に、東宮殿下(後の大正天皇」がこの地を視察したことを記す記念碑が建てられています。

 

 

この公園でもう一つ紹介したいのが、このサイロ。

農場が経営されていた当時、家畜の飼料を貯蔵していたものが、そのまま残されています。

中に入ることはできませんが、当時のままの外観だけでも、歴史を伝えるのに十分なものがあると思います。

 

 

 

 

「前田公園」のすぐ近くにある会館。

その一角には・・・、

 

 

 

このような記念碑が設置されています。

 

 

昭和6年(1931年)、北海道庁の「自作農創設維持資金貸付規定」が適用されたことによって、当時の「手稲村」は道庁から資金を借り受け、それを小作人に転貸する形で自作農の創設に努め、前田地区の51世帯が自作農として独立を果たしたことを記念するものです。

※ 手稲区役所公式HPから引用

 

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稲積公園

2021-04-26 19:39:40 | 札幌

 

JR函館本線の「稲積公園」駅。

列車は高架となっています。

 

 

「手稲」駅の隣の駅で、昭和61年(1986年)に臨時乗降場として開設され、翌年、国鉄の分割民営化により、正式な駅として開業しています。

 

 

小さな駅ですが、そこは札幌市内ということで、有人です。

 

 

 

駅名にもなっている「手稲稲積公園」。

この「稲積」という地名、手稲区にある地名ということで、「手稲」の「稲」と同じ由来なのかなと思っていましたが、そうではありませんでした。

「手稲」という地名は、大きな川が流下する湿地帯であったことから、アイヌ語の「テイネ・イ」(濡れているところ)に由来するとされています(諸説あり)が、こちらの「稲積」は、アイヌ語由来ではなく、現在の富山県高岡市出身である「稲積豊次郎」という人物が、明治40年(1907年)に、「稲積農場」という農場を開設したことが由来とされています。

稲積豊次郎は、明治23年(1890年)に、東京と小樽とを行き来して、「鰊かす」の運送業を営みながら、小樽の堺町で倉庫業にも従事していた人物で、農場開設のために、現在の手稲区新発寒エリアを中心に、453haもの広大な農地を買い入れていました。

農場では、排水路を引いて泥炭地を改良し、でん粉工場も作って、地域の発展に尽力したとされています。

しかし、それだけの有力者をルーツとしていながら、現在に至るまで、「稲積」は行政地名とはならず、通称地名として残り続けています。

 

 

 

 

この「稲積公園」は、遊びに行ったことはありませんが、ご覧の通り様々な施設が整備されていて、地域の憩いの場となっています。

 

 

公園の施設を利用したことはありませんが、私にとって思い出深いのは、この「ていねプール」。

札幌市内でも最大級の屋外型プールで、小学校から中学校の頃にかけて、夏休みは何度となくここに泳ぎに来たものです。

コロナ禍もあって、昨年は早々に営業中止となってしまったそうですが、今年はどうでしょうかね・・・。

 

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