北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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8月も終わり

2015-08-31 20:52:45 | 日々のもろもろ
ですね。

猛暑(というよりは蒸し蒸し感が最悪)から一転、一足早く秋の陽気とさえ思えてしまうここ数日。
辛うじて半袖OKではあるけれど、気を付けて過ごさないと体調を崩しかねない感じです。
かく言う私は、毎年恒例かもだけど、目の痒みがぼちぼち出始めてきました。
「遠足」で上京する前に、一度眼科に行かなきゃだめかもです。

今日から木曜日までは、研修のため合宿生活。
出発ギリギリまで仕事してて、そればかりか、仕事を二つほど持ってきてしまうという、通算九回目の研修で初の展開だけど、ま、無理のないように過ごします。

ではでは。
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やっぱ土曜6時でしょ・・・

2015-08-30 20:39:43 | 特撮作品鑑賞
昨日の夕方、三週間後に迫った「秋の遠足」のため、科学戦隊ダイナマンのDVDを観ていたのだが、再生した直後に一旦ストップさせた。
何があったかと言うと、テレビの画面に表示された時刻が「5時55分」だったので、あっと思い、「やめよう。もう五分待ってスタートし直そう」と思ったのだ。

わかりますよね。5時55分の五分後と言えば、そう6時。
私達の世代にとって、土曜の夕方6時と言えば、そう、戦隊の時間なわけですよ。
つまり、どうせ見るなら、6時に合わせた方が気分が出るでしょということで、一旦再生を止めて、6時にスタートし直したというわけでした。
いやもう、最高に気分出ましたよ。この感覚、何歳になっても忘れられないよなあと思いました。
テレビ朝日さん、来年の戦隊から、また土曜6時に戻しませんか?(笑)

てなわけで、土曜の6時ではなく、日曜朝7時30分から放送のニンニンジャー。
今週のニンニンジャーは、スターニンジャ―=キンジが、父と兄の仇、オオカミオトコを撃退するというストーリー。
スカッとする展開だけど、見ていて気になったのは、超絶に変身したスターニンジャ―のキャラの暴走。(笑)
友人がブログで、「今後誰が超絶姿になるのか楽しみ」って書いてたけど、キンジのようにキャラが変化すると言う前提で考えれば、そりゃやっぱり、霞ちゃんでしょってことになってしまう。
弾けて暴走し、その上でいつもながらの毒舌を吐く霞ちゃんって・・・、なかなか楽しそうかもしれないけど、戦いを終えて変身を解除した後、恥ずかしさのあまり自己嫌悪に陥ってしまうなんてことも想像できそう。
その点、同じ女性でも、風花ちゃんの場合は、普段が普段なので、暴走キャラになってもそんなに違和感はなさそうだし。(オイオイ)

話変わるけど、9月1日に、七か月ぶりに「東映ヒーローMAX」が発売されると聞いた。
明日から札幌出張だけど、最終日の3日、終わってから特急に乗るまでの間に少し時間があるので、また発売が延期になってなければ買えるかなと楽しみ。
買えたとして、車内で読むかどうかは、周りにどの程度お客さんがいるかによるけどね。(笑)
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榎本ゆかりの地

2015-08-29 19:14:31 | 函館



五稜郭からほど近い、函館の梁川(やながわ)町という町にある、「梁川公園」という公園。
(地図)








ご覧の通り、ごく普通の、市民の憩いの場という風景が広がっています。





そんな公園の一角にあるのが、箱館戦争のさ中「蝦夷共和国」の総裁として旧幕府軍を統率し、翌年新政府軍に降伏、投獄された後、開拓使として北海道の発展に尽力した、かの榎本武揚の像。
先日、友人との間で、何故ここに、榎本の像があるのだろうということが話題になった。
友人は、函館市には、榎本武揚に因む「榎本町」という町があるのに、そこではなくここにあることが不思議だったらしい。

ということで調べてみると、榎本武揚は「梁川」と書いて「りょうせん」と読む雅号(文筆家、画家、学者などが、本名以外に用いる風雅・風流な名前)を有していて、梁川町という町名自体、それに由来するものなのだという。
この「梁川」とは、榎本の出生地である、江戸下谷御徒町柳川横町(現在の東京都台東区浅草橋付近)に由来するものだそうだが、「柳川」では柳川鍋に通ずるため、「梁川」としたとされているとのことなのだという。

この像は、市民の有志による「榎本武揚を顕彰する会」が功績を知ってもらおうと建立を市に提案し、許可を受けて、2012年9月に設置されています。(その際の新聞記事)





なるほどそれはわかった。
では、もう一つの「榎本町」とは、どういう由来があるのだろうか。

この榎本町は、有名な湯の川温泉の近くにあり、箱館戦争当時、台場が築かれ、野戦病院も設けられていたのだが、戦争のさ中に、榎本が温泉を訪れて、
「この温泉を百尺(約30メートル)ほど掘り下げたら必ず熱い湯が多量に出るだろう」
と語ったと言われている。
この、いわば「予言」とも取れる一言が、今日に至る湯の川温泉の繁栄に繋がっているとして、そんな榎本の功績を記念して、温泉街の北隣、箱館戦争の際に野戦病院がおかれた一帯が、「榎本町」と名付けられて、今に至っている、そういう歴史があるのだそうです。

(写真のバス停のあたりの地図)

なるほどね。
七年前に函館に来た時、「榎本町」というのが榎本武揚に由来する町であることはすぐに想像がついたけど、この他にも榎本に由来する町があるということは、最初の公園の像について調べるまで、知りませんでした。
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降伏の地

2015-08-29 08:21:15 | 函館
函館にある大きな神社はこれまで幾つか紹介し、「函館八幡宮」についても何度か書いてきたけれど、函館にはもう一つ、有名な「八幡宮」があります。
職場からも近いんだけど、今までずっと、行ってみようと思い続けながらも行っていなかったので、ここでご紹介します。








それが、この「亀田八幡宮」。
函館八幡宮に次ぎ、毎年函館で二番目に多くの参拝客が集まる場所です。





1390年、越前国敦賀郡気比神宮(センバツ高校野球で優勝した、あの高校のある場所ですね)より、八幡大神の御分霊をこの地に奉遷したのが起源とされている歴史ある神宮で、旧松前藩の祈願所に定められて信仰を集め、1847年に建立された鳥居には、松前藩最後の箱館奉行だった、工藤茂五郎の名が刻まれています。





社殿。
普通の日曜日だったので誰もいなかったけれど、お正月にはかなりの賑わいとなっているそうです。





でもって、実はここからが本題。
この神宮で強調したかったのは、歴史でも社殿でもなく、実はこの「旧拝殿」なのです。
どういう場所かと言うと・・・、





「箱館戦争降伏式之地」とあります。





1869年(明治2年)5月17日、新政府軍との戦いの末、旧幕府軍の重鎮であった榎本武揚、大鳥圭介らが、新政府軍の黒田清隆らと、降伏の誓書を旧拝殿に奉納し、翌18日、榎本らが、誓書の実行箇条に従って新政府軍に出頭し、降伏の調印がなされるに至ったという事実が残されているこの場所は、碑文にもあるとおり、箱館戦争(戊辰戦争)が終結し、新政府による国内統治が始まる起源となった場所ということで、「近代日本の幕開けの地」ということになるのです。





そして、最後に紹介したいのが、旧拝殿のそこかしこに見られる無数の穴。
これ、何かと言うと、この地で旧幕府軍と新政府軍との戦いが繰り広げられた際についた、弾痕なのです。








穴の形が綺麗な物は弾痕ではない物もあるのかもしれませんが、それにしても、結構な数の弾痕が残されています。
実際近くで見てみると、なかなかの衝撃でした。
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120円台

2015-08-27 22:24:38 | 日々のもろもろ



下がりましたですね~。

とうとうℓ120円台ですよ。
レシートにあるℓ120円というのは、会員割引の価格なんだけど、割引なしの通常価格でも125円なので、いつの間にここまで下がったのと驚き。

でもね・・・、3月まで毎日車通勤だったのが、今は、ほぼ毎週土曜日だけの運転という生活スタイルに変わっているので、何で毎日乗っている時にこうなってくれなかったのかと思うと、気分は複雑。
ま、このままどんどん下がってってくれればそれでいいんですけどね。

明日は全国的に金曜日で、何もない限り定時で上がりたい日なので、今日は、来週の不在期間中の備えも含め、21時まで残ってきた。
けど、4日以降、とりわけ4日当日は、かなり凄いことになりそうな予感がしてきた。
まずは無事に研修を終えて帰ってくることが一番だけど、4日の朝はいつも以上にドキドキ感が強くなりそうだ。
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