北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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消えてしまう?

2020-03-31 19:31:25 | 釧路&釧根地方

 

「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」の1階に、こんな大きな水槽があります。

あるのは分かっていたのだけど、どういう水槽なのかは気にしていませんでした。

 

 

この水槽は、経済産業省が平成17年(2005年)に研究用として設置されたもので、平成21年(2009年)からは、釧路市が同省から借り受ける形で、現在は体長約180センチのチョウザメなどが飼育されていますが、残念ながら集客に結びつかなかったようで、今後、新たな買い手を探し、見つからなかった場合は、処分されてしまう可能性が高いのだそうです。

もっともその場合でも、中の魚は別な施設に引き取ってもらえるそうですけどね。

 

 

 

これがそのチョウザメ。

水族館で見ているような迫力を感じます。

 

 

 

 

 

 

小さな魚は動きが速くて上手く撮れませんでした。

新たな買い手、見つかるといいなと思います。

 

さて、明日から新年度。

私も釧路に来て三年目(通算では六年目)になります。

趣味の町歩きについて、函館にいた頃は、「はこだて検定」合格者としての活動もあり、歴史ある知名度の高いスポットを、既存の資料をもとに散策することが中心になっていましたが、釧路に来てからは、古い時代の地図などをもとに、自分で歩いて散策し、色々と発見をしていくということが楽しくなってきました。

4月以降も、町歩きをする中で、新たな発見が一つでも多くできるとよいなと思います。

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コロナに打ち勝つ

2020-03-30 19:24:04 | 気になるコト

今日の帰宅途中、既に暗くなって、鳥たちが住処に帰る時間帯にも関わらず、歩いている側で、カラスが「カーカー」と鳴いている声が聞こえました。

まるで、「カ~ラ~ス~ 何故鳴くの~?」の問いに「カラスの勝手でしょ~」と答えているかのように・・・。

 

志村けんさん死去 70歳 新型コロナに感染、闘病も力尽く

 

私が「8時だヨ!全員集合」に夢中になったのは、はっきりとは覚えていないけど、小学校3年生ぐらい(昭和57年(1982年))だったと思います。

当時既に、裏番組の「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)が視聴率を上げていて、同級生でもひょうきん族派が多数を占めていたのだけど、私は、昭和60年(1985年)に番組が終了するまで、ずっと見続けていました。

当時自宅にはビデオがなかったので、前半のドリフのコントは、カセットテープに録音して繰り返し聞いていたくらい本当に大好きでした。一番好きだったのは、学校を題材にした「ドリフの国語・算数・理科・社会」かなやっぱり。

この番組を通して、一世を風靡したネタを数多く残した志村さん。中でも一番印象に残っているのは、やっぱり「カラスの勝手でしょ」かな・・・、それに、「ヒゲダンス」や、現在でも、世代を超えて受け継がれている、ジャンケンの始まりの「最初はグー!」なんかも・・・。

他に、これはネタではないけれど、コントの最中、志村さんの背後にオバケとかが接近したときに、会場の子どもたちからかかる「志村後ろ~!」の声も忘れられないです。

 

 

本当に残念です。

加藤茶さんの追悼コメントにあった「コロナが憎い」という言葉に私も同感です。

コロナウィルスに打ち勝つことが、数々のネタで私達を楽しませてくれた志村さんへの、せめてもの御礼と考え、私もしっかりと予防に努めていきたいと思います。

本当に有難うございました。ご冥福を心からお祈り致します。

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線路を挟む参道

2020-03-29 19:37:10 | 釧路&釧根地方

 

白糠町中心部の国道38号沿いにある大きな鳥居。

この奥に神社があります。

 

 

港町には多くある「厳島神社」。

ここ白糠町にもありました。

 

 

ここの大きな特徴(と私が勝手に思っている)は、この参道。

何と、線路を跨いでいるのです。

 

 

滝川と釧路~根室を結ぶ、JR根室本線。

特急「おおぞら」も通る幹線です。

 

 

こちらが釧路方面。

せっかくなので、列車が通るタイミングを見て来ればよかったと、少々後悔。

 

 

線路を跨ぐと、また急な石段があります。

 

 

ようやく社殿に到達。

 

 

「白糠厳島神社」は、文化年間(1804年~1818年)に「安芸の宮島」で有名な厳島神社から分霊され、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」御祭神としている神社です。

 

 

社殿から下を見ると、いかに急な高い場所にあるかが分かります。

 

 

 

参道の入り口付近にある碑。

 

 

 

白糠町は、「八王子千人同心」という、武蔵国多摩郡八王子(現・東京都八王子市)に配置された譜代旗本及びその配下の譜代同心からなる江戸幕府の職制の人達が、その開拓に大きな貢献をしている町。

白糠は、江戸幕府から、太平洋と日本海側、オホーツク海側を結ぶ要衝の地として位置づけられていました。

現地の開拓は、厳しい自然環境もあってか困難を極め、八王子千人同心により開拓は約四年で幕を下したそうですが、白糠で開拓に当たった「原半左衛門(胤敦)」という人物は、その功績が認められて、箱館奉行所の調役に任ぜられました。

そんな原の功績を称える碑が、ここに建立されているということです。

 

 

最後に、戦前に鉄道事業を所管していた「工部省」の「工」が刻まれた境界標。

これまでも幾つかの場所で見つけてきましたが(例えばこことかここ)、職業柄、このような物を見つけると反応してしまいます。

 

(「白糠厳島神社」はこちら

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北海道初の炭田

2020-03-28 16:20:42 | 釧路&釧根地方

 

まずは昨日の記事で載せた写真を再び。

大体この辺りから撮ったのですが、ここの所在地が「北海道白糠郡白糠町石炭岬17」とあります。

「石炭岬」?なかなか聞かない感じの名前ですね。

 

 

バス停の名前にもなっています。

 

 

テトラポットなど、海岸保全のための施設がいっぱいでなかなか入っていけないので、航空写真をリンクしますが、「石炭岬」と言っても、例えば「納沙布岬」「襟裳岬」のように、観光名所として整備された場所ではなく、写真の海岸線一帯を指す名称となっています。

 

 

背後に聳える山は、安政4年(1857年)に、北海道初の炭田として開発された場所で、それから7年ほど石炭採掘が行われた場所です。

現在も炭田の痕跡として、岩石の露頭が見えるそうなんだけど、その辺に全く疎い私には何とも・・・。

タモリさんなら一発で判っちゃうところなんでしょうけどね。

 

 

ここから少し離れた丘の上に、何やら碑のような物があります。

 

 

こんな丘の上に!

日米和親条約に基づいて、箱館が、寄港する外国船への薪炭・食糧の補給港として開港されたのを受け、安政4年(1857年)、「シリエト岬」(現在の石炭岬)に白糠石炭堀場が開設され、採炭が開始されたことを記念する碑が建立されています。

これが、北海道石炭史上最古の採掘地としての所以なのですが、このような碑があることを知り、最初は「岬の森東山公園」の敷地内にあるのかと思っていましたが、園内の歩いて行ける場所には見当たらず、どこなんだろうと思ってブラブラしていたら、国道の脇に聳え立つ、とんでもない丘の上でした。

せっかくそんな歴史を伝える貴重なものなのですから、せめて遊歩道ぐらい整備してもと思いますが、どうなんでしょう?

 

 

これまで何度も何気なく通っていて、右側に高い丘があるな~ぐらいにしか思っていなかったけれど、このような歴史があったということは知りませんでした。

これは大きな発見だったと思います。

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岬の森東山公園

2020-03-27 18:38:54 | 釧路&釧根地方

 

先週末、白糠へドライブに行ってきました。

ここは、JR白糠駅から割と近いところにある「岬の森東山公園」。

車でも先へ進めるようなんだけど、せっかくなので、歩いて行きます。

 

 

坂を上っていくと、何やら碑が見えてきました。

 

 

これは、昭和54年(1979年)に建立された「アイヌ弔魂碑」。

白糠町は、アイヌ語の「シラリカ」(潮溢れるる所という意味)から名付けられた町で、先駆者としての町の発展に貢献されたアイヌ民族の偉業を偲ぶ目的で、この碑が建立されています。

 

 

碑の裏には、儀式を行う祭壇があります。

 

 

神への祈りを捧げる「カムイノミ」や、先祖の供養を行う「イチャルパ」という儀式が行われているようで、儀式に用いられる、木をリボン状に削った「イナウ」という祭具が置かれています。

見てみたいものですね。

 

 

 

初めて聞いた名前ですが、白糠町の功労者で、歌人・郷土史家であった「小助川濱雄」という人物の歌碑が建立されていました。

 

 

「なみおと乃 磯に育ちてあれくれの 胸のたぎりのたゆるときなし」という歌。

小助川氏は、アイヌ民族の地位向上のために奮闘し、アイヌ民族からも慕われていたということも、この公園に歌碑が建立されたきっかけになっているようです。

 

 

ここにまた大きな碑が。

 

 

「望洋の碑」といいます。

 

 

海を見下ろす高台に、魚を抱えた家族のブロンズ像が設置されています。

昭和44年(1969年)に建立されたもので、函館の「啄木小公園」釧路の「港文館」の石川啄木像や、幣舞橋の「冬」の像で知られる、本郷新氏の設計によるものです。

 

 

 

 

「望洋の碑」から見える下の海。

晴れていたこともあって、大変見晴らしがよく、気持ちを落ち着かせることができました。

ここまで登ってくるのは結構大変だけど、最後にこんな景色が見られると、疲れも吹き飛んでしまいます。

 

ところで、この公園の名前「岬の森東山公園」といいますが、その「岬」というのは・・・(次へ続きます)

 

(「岬の森東山公園」はこちら

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