北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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てくてく散歩

2014-08-31 21:08:50 | 函館
平日は片道30分(平均)の車通勤のため、運動不足解消を考えて、土日はなるべく車は使いたくないので、今日も、特に車を必要とする用事がなかったことから、昼から散歩に出かけた。





歩いていると、こんな表示板を見つけた。
と言うか、あることは知っていたのだけど、足を止めて見たことはなかった。





現在は中学校が建っているんだけど、ここにかつては野球場があり、しかも、かのベーブ・ルースもここでプレーしていたとは、野球ファンでなくても興味を掻き立てられる場所だと思います。

で、この後、どこへ向かうか全く決めていなかったので、気の向くままてくてくと歩いていくと、何と何と、函館空港まで歩いてしまいました。
アパートから1時間20分ほど。こんなに歩いたのは久しぶり。





空港の二階で、こんな展示がやっていたので、覘いてみました。
アイヌ民族にある展示で、表示板にあるとおり、「イランカラプテ」とは、アイヌの人々の挨拶で「こんにちは」という意味です。





これは、アメリカのオバマ大統領が来日して、アイヌの人々との交流が持たれた際、大統領に送られたという民族衣装。





「エカシ」という、アイヌの人々の長老の像。





アイヌの人々が鯨漁に使っていたという船を再現した物。
元々、うっすらとだけど興味を持っていたので、思いがけずこうして展示が見られて良かったです。





これは函館ではなく札幌駅なんだけど、札幌駅西口コンコースにもこのような像が設置されていて、徐々に待ち合わせ場所として浸透してきているようです。
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色々な発祥の地がある

2014-08-30 21:57:57 | 函館



散歩コースにある、アパートから一番近い神社である「鍛冶稲荷神社」。
いつも前を通るばかりだったけど、気になっていたので、中へ入ってみた。





函館地方は、開国によって蝦夷地開拓が進むようになるずっと前の1454年(室町時代)頃、 河野政通という人物が漁村に館を築き、この館が箱の形に似ているところから「箱館」と呼ばれることになったという、歴史の浅い北海道の中では古い歴史を持つ地域。
1582年に、現在のこの神社がある「鍛冶村」と呼ばれていた一帯に人々が移住してきたとあるが、かの松前藩が、当時箱舘の中心だった亀田という地域に奉行所(当時は「番所」と言った)を置いたのが1613年だそうなので、藩政が本格実施される以前から、人々の手で、現在に繋がる礎が築かれていたというあたりに、歴史の重みというものを感じさせられる。





中へ入ったので、参拝もしてきました。








こんな碑が建立されていました。
「函館(箱舘)水田発祥の地」とあります。





なるほど、津軽藩と南部藩からの移住者によって水田が開墾されたわけですか。
現在も「青函圏」として交流が深い函館と青森だけど、入植当時から、その繋がりは深かったということなんですね。
現在このあたりは、完全に住宅街となっていて、水田は全く見受けられないけれど、その住宅街を散歩していて、「かつてはここにも水田が・・・」なんて想像してみるのも面白そうです。

先日は「北海道警察発祥の地」を紹介したけれど、歴史ある函館には、色々な「発祥の地」がそこかしこにあるようです。
また見つけたら、紹介します。
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これぞ銭湯だ

2014-08-29 21:57:15 | 日々のもろもろ
金曜日の夜や週末には、市内の温泉に行くことが多いのだが、大きな温泉もいいけど、たまには昔ながらの銭湯もいいなと思っていたら、近所にある、「○○温泉」の名の付く施設が、実は中は銭湯そのものだということを知り、早速行ってきた。

入ってみると、番台があり、木札付の下足箱があり、浴室には、おなじみのケロリンの桶がありと、昔懐かしい雰囲気。
木札式のロッカーについては、帯広時代にこんなことがあり、そのことが一瞬頭を過ぎったが、今回はコイン式ではなかったので、トラブルもなくスンナリと通過できた。

浴室内は、普通の風呂とジャグジー、水風呂にサウナと至ってシンプルで、これで富士山の絵があったら完璧なのに・・・と思いつつも、奇をてらわず、昔ながらの雰囲気を保ち続けているということで、正に「シンプル・イズ・ベスト」と思える状態。
そして、風呂上りには、定番のあの飲み物を、腰に手を当てて・・・ということも一瞬思ったが、体の火照りを早く冷ましたかったのと、単に誘惑に負けたのとで、アイスに手が伸びてしまうことに。
ゆったりとした時間を過ごすことができたので、アパートから歩いて10分程と近いこともあり、これからも通っちゃおうかなあと思ったのでありました。

今日は、午前中、インターンの学生に、私が担当している業務(何故か、以前の部署で担当していた業務も)の説明を1時間ほどしたのだが、なるべく専門用語を使わず、平易な言葉でやったところ、思いのほか食いつきがよく、鋭い質問も飛び出して、緊張したけど何とか成功。
ひょっとすると、いずれ彼らが後輩として入ってくるかもしれないけれど、せっかくこうして研修生に選ばれているのだから、研修期間を終えて大学に戻っても、今の気持ちを忘れずに頑張ってほしい・・・なんて、生意気かもしれないけど、そんなことを思ってしまったのでありました。
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久々にライダーの話

2014-08-28 22:08:26 | 特撮作品鑑賞
仮面ライダー史上初 主役は車の刑事 バイクに乗らず悪と対決(デイリースポーツ) - goo ニュース


8月1日発売予定とされていた「東映ヒーローMAX」の最新号が未だ店頭に並ばず、おかしいなと思って先日調べてみたら、9月5日に延期とのことだった。
色々とあるのかもしれないけど、理由の一つとして、10月からスタートするであろう、新しいライダーの情報解禁が遅くなっているのではないかということを思っていたが、そのとおりかどうかは別にして、とりあえず、新ライダーの情報は、リンク記事のとおり解禁となった様子。

へぇ~、今回は車ですか。
しかもバイクに乗らない刑事という設定とは。
今の鎧武は第2話で早々と脱落してしまったけど、今度のライダーも、一応最初のうちは観るつもり。
どんなキャラでどんな世界観なのか、楽しみにしていよう。

ところで、ライダーと言えば、最近ちょっと気になることがある。
CMとかバラエティとかで福士蒼汰氏を見る度に思うのだけど、今後また、(仮面ライダーフォーゼの)弦太朗役を演じることはあるのだろうか?
いや、別に弦太朗役じゃなくてもいいけど、何らかの形でライダー関連のイベントとか、インタビューとかで登場することはあるのだろうか?
佐藤健氏も然りだけど、ブレイクのきっかけがライダーである(福士氏は、「『あまちゃん』でブレイクした」と言われるが、これに関しての私の考えは、こちらのとおり)にも関わらず、ブレイクした後、ライダーであったという事実が、どこか遠くへ行ってしまっているような気がしてならないのだ。

同じことはライダーだけでなく戦隊でもある。
(侍戦隊)シンケンジャーのファンとしては、2年後の戦隊40周年の時、あるいは、12年後の50周年の時、何らかの形で、松坂桃李氏に、丈瑠として登場してほしいという気持ちが強いのだが、最近の松坂氏を見ていると、果たしてどうなのかなあと思って。
まあ、丈瑠が出てこなくても、50周年の時に、素敵な大人の女性になったすぅちゃん(森田涼花ちゃん)を見られれば、それはそれでいいんだけどさ。(結局そっちかよ)
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勉強以外の思い出が多い

2014-08-27 22:29:29 | 懐かしの思い出
大教室に前3列だけ…代ゼミ生「何とか今年で」(読売新聞) - goo ニュース


私は浪人経験はないけれど、中学3年生の時と高校3年生の時は、札幌にある代ゼミで講習を受けていた。

中3の時は、たまたま1学期から講習を受けていた同級生に誘われて夏期講習から受け始めたのだが、学校の授業とはまた違う雰囲気で、毎回バスで通うのは大変だったけど、なかなか楽しかった。
夏期講習の後、2学期が始まってからも、土曜日と日曜日に講習を受けていたのだが、土曜日の講習は3時からだったので、1時頃には家を出て、講習前に街をぶらつく(札幌の校舎は、札幌駅から目と鼻の先にある)のが楽しかったという、勉強とは関係ないことも思い出として残っている。
まあさすがに12月くらいになると、緊張感も自然と増してきて、街に寄らずに直行して、自習したりしてましたけどね。

そんな思い出の中で今でも鮮明に覚えているのが、食堂で、間違えて人の頼んだものを食べてしまったという事件。
同級生と一緒に、地下にある食堂に行って、私はカツ丼をオーダーしたのだが、あろうことか、間違えて他の人が頼んだ天丼を取ってしまい、口にするまでそれに気付かないという失態をやらかしてしまった。
結局、行きがかり上仕方がないと勝手に考え、最後まで食べてしまったのだが、その後、本来その天丼を食べるはずだった人がどうなったのか、そして、私が食べるはずだったカツ丼がどうなったのかは不明。
26年も前の話だけど、この場を借りてお詫びいたします。ご迷惑をおかけした方、あの時は申し訳ありませんでした。

高3の時は1学期から通っていたのだが、中学の時と違って、高校生に特化した講座というわけではなく、どれも浪人生と一緒だったので、大きな教室での授業には、かなりの緊迫感を覚えたものだった。
人気の高い講師の授業ともなると、少しでもいい席を取ろうと早くから並んでいる人も多く、その波に飲まれそうになって大変だったこともあったが、それでも、受験直前まで何とか通い続け、第一志望にも合格することができて、何よりといったところだった。

そういう思い出が色々とあるので、札幌の校舎は存続するとはいえ、こういうニュースが流れてしまうのは、ちょっとばかり残念。
記事にある、「大教室に前3列だけ」というのは、当時を知っている人からすると驚き以外の何物でもないと思うけど、これもまた時代の流れということなのかなあ・・・。
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