五色の風

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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今まで出会ったことはない

2018-08-13 19:47:14 | 日々のもろもろ
「渋谷」は、しぶや? しぶたに? 首都圏とそれ以外の地域の差がくっきりと


正直に申し上げます。
先日、某人気グループから脱退を表明された方の苗字、ずっと「しぶや」さんだと思ってました。
記者会見のニュースで初めて「しぶたに」さんだと知りました。
ファンの皆さん、大変申し訳ありません。無知をこの場でお詫び申し上げます。

自分の無知を棚に上げるつもりはないのだけど、「渋谷(澁谷)」と表記する人は、小学校の頃から、同級生だったり先生だったり、あるいは同僚、関係先の方とかで何人も会ってきたけど、皆さん読み方は「しぶや」さんだったので、この表記は「しぶや」と読むものだということが、自分の中に自然とインプットされていたように思います。
しかし、リンク記事を見てビックリ。北海道は「しぶたに」さんの方が多かったんですね。そうか・・・、たまたま私がこれまで「しぶたに」さんには出会ったことがなかったというわけか・・・。
人様と接し、関わって行く仕事としては、これまで、例えば有名人と同じ表記だけど読み方が違うという方に出会ったなんてこともあったので、今回このようなニュースに接したことで、人様の名前に関しては思い込みや先入観は禁物という初心に帰ることを、今一度徹底したいと思います。

さいごに、「渋谷」という表記に関する面白い話。
三年前に放送された「ブラタモリ」鎌倉編で紹介された話なんだけど、鎌倉では「扇ガ谷」と書いて「おうぎがやつ」という地名があるように、「谷」という字は「やつ」と読むのが普通なのだそうで、その影響で、この回の案内人さんをはじめとする鎌倉通の方達は、東京に出てくると、思わず「渋谷」を「しぶがやつ」としまいそうになることがあるのだそうです。
「しぶがやつ」ねえ・・・、私も5月末に行ってきたし、これまでも何度も行っているけれど、次回から意識しちゃいそうで怖いなあ・・・。。
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寺町通を歩く~その1~

2018-08-12 20:14:01 | 釧路&釧根地方



橋南地区で見つけた「寺町通」というバス停。
函館でいえば、「高龍寺」や「称名寺」「実行寺」などが立ち並ぶ西部地区のあの辺りのようなエリアなのかな。
どんなお寺があるのだろう。早速回ってみるとしますか。








まず最初は、真言宗の「西端寺(さいたんじ)」。
高野山より布教のために来道した「西端良純和尚」が1892年(明治25年)に開設した布教所を母体で、1899年(明治32年)8月に寺号公称許可を受けました。
当時、道東地方に集団入植していた、弘法大師の信者たちを基盤として発展したとされています。











続いては、曹洞宗の「定光寺(じょうこうじ)」。
1884年(明治17年)6月、函館の高龍寺より釧路地方への巡教に派遣された「渡辺活定」によって開かれたお寺で、漁師を檀家の中心として発展してきました。











続いては、浄土宗の「大成寺(だいじょうじ)」
1882年(明治15年)、三河出身の「忍譽徴源(にんよちょうげん)」という僧侶が釧路に入り、松前にある「正行寺」の説教所を設けたのがはじまりとされています。





境内には、本堂の他にも幾つかの堂が設置されています。
まずこの建物は「金比羅堂」。
金比羅というと、こんぴらさんでも知られるとおり、お寺ではなく神社が思い起こされますが、1887年(明治20年)に、金刀比羅大神を祀っている釧路の厳島神社が現在地へ遷座される際、金比羅大権現が、一時期この大成寺に合祀されていたのだそうです。
これは、時の明治政府による「神仏分離」政策に反するものでしたが、釧路地方は元々その動きが弱かったこともあり、このことに関して特段の御咎めはなかったとのことでした。





「庚申(こうしん)塚」。
中国の道教に始まる「庚申信仰」が、後に仏教と結びついたもので、治病、大漁祈願等の御利益があるとされています。





ちらっと中を。
特に病気はしていないけれど、御利益がありますように。





「不動堂」。
お不動様を祀る堂で、釧路市内の信徒たちによって管理されています。








最後は、日蓮宗の「法華寺(ほっけじ)」。
1880年(明治13年)、秋田から渡ってきた「安田要善」によって開かれ、当初は「令闡寺(れいせんじ)」と呼ばれていました。
釧路市の東部、現在の釧路町に位置する昆布森村を中心に発展してきたとされています。





境内にある日蓮聖人の像。
「立正安国」でおなじみです。


釧路の「寺町通」は、このように、異なる宗派のお寺が並んでいる地区ですが、各寺が開設された明治初期~中期頃は、各宗派の勢力拡大のために布教師がこぞってやってきていた時代で、漠然とした信仰形態を持っていた信徒たちが布教活動を受ける中で、各宗派それぞれにおさまり、発展していったとされています。
にしても、函館や松前をルーツとするお寺が釧路にもあったというのは、函館からやってきた私にしてみれば、何だか嬉しくなる話です。

(今回紹介したお寺の場所はこちら)。
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釧路最初のお寺

2018-08-11 16:28:28 | 釧路&釧根地方






釧路市弥生町(幣舞橋より南の「橋南地区」)にある、「聞名寺」というお寺。
同名のお寺として、富山県にあるお寺は観光名所として名高いけど、釧路にあるこちらも、釧路の歴史において大きな位置を占める場所となっています。





このお寺の開山は、1878年(明治11年)11月12日とされており、そのときは「聞名坊」という名前でしたが、これは、函館の本願寺別院境内にあった「聞名坊」を、開拓使函館支庁の許可を得て釧路に移す形で、寺としての資格を与えたものとされています。
そして1880年(同13年)9月4日に寺への改称願いが出され、「聞名寺」となって現在に至っていますが、ここは、釧路では初となる宗教的儀式を執行できる機関、つまり、釧路市内で最も早く開山したお寺なのです。
それまで釧路周辺の宗教的儀式は、厚岸にある「国泰寺」に依存していましたが、国泰寺を離れて釧路で独立して宗教的儀式を執行できるという点でも大きな意味のある場所とされています。





境内にある親鸞聖人像。
現在では釧路市内でも規模の大きなお寺の一つとなっていますが、実はこの境内にはもう一つ、釧路の歴史上大きな位置を占めるものが存在していました。

以前紹介した、釧路の歴史を語るうえで欠かせない人物である四代目佐野孫右衛門の足跡がここにもあります。
先程、函館にあった「聞名坊」を釧路に移したと書きましたが、実はこれより前の1875年(明治8年)、四代目孫右衛門が、函館の聞名坊の住職を招き、この地で説教所を開設していました。
そして、住職であった「永福法随」(のちに「藤法随」と改名)が、境内に寺子屋を設けて近所の子弟に学問を教えたのが、釧路における子弟教育のはじまりとされています。
この寺子屋は、それ以後、場所を変え、公立の「日進学校」という教育機関として発展していくことになります。

(「聞名寺」の場所はこちら




「聞名寺」からは少し離れているのだけど、このような名前のバス停を見つけました。
興味深いものを覚えたので、いざ散策。
その成果は、追ってまた紹介します。
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札幌の町歩きはこれで

2018-08-10 21:11:25 | 札幌



二週間ほど前に書いた、札幌の町歩きに活用したいと思った本。
夏休みで帰省する前に買っておきたいと思い、釧路市内の大型書店で取り寄せてもらいました。
これからじっくり読んでいくけれど、これまで数えきれないほど歩いてきた大通や札幌駅周辺に、大変興味深い歴史スポットがたくさんあったことがわかったので、そういう場所はぜひ行ってみたいです。
昨日は釧路周辺での町歩きに関して書いたけど、せっかく札幌と釧路とを往復する生活を送っているので、当面は札幌と釧路二つの町を中心に、そしてときには旅行でもしながら行った先でもという形で、町歩きを楽しんでいこうと思います。

明日から世間はお盆休みが本格化するけれど、私は今月下旬に夏休みを取る予定。
久しぶりに一週間と長く札幌に滞在するけれど、今回は車で帰るので、札幌市内ではなく手前で高速道路を下りて、しばらく行っていなかった周辺の町にも寄ってみようと考えているのが楽しみ。
天候だけが心配ですね・・・。来週は台風14号が北海道に接近の予報だけど、また次の台風がとか、台風じゃなくても前線の影響で大雨とかってことにはならないでほしいです。
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終業後は図書館へ

2018-08-09 21:32:30 | 日々のもろもろ
4月に釧路に来たばかりのとき、中心部にある図書館について「物足りなさそう」とか「馴染めるまでに時間がかかりそう」などと書いてしまったが、四ヶ月経って、ようやく慣れたというか、自分なりの活用の仕方が分かってきたような気がする。

今日もそうだったのだけど、図書館は職場からも近く、最近は全く残業もしていないので、終業後に寄って、新聞を読んだり、週末の町歩きのためのネタ探しをすることが多くなった。
釧路は、函館に比べれば、観光地と呼べる場所や歴史の表舞台に出てくるような有名な場所は少ないけれど、そうだからこそ、町の歴史や地理に関する本を読むことで、自分なりに興味が湧くようなネタを発掘することが最近は楽しくなってきた気がする。
一昨日まで書いていた「雄別鉄道」に関するネタもその一つだけど、最近興味があるのが、市内の駅名や町名、バス停名などの由来調査や、寺社の歴史など。
函館のときは、書物を読んで興味を持った場所に出向いてみることが多かったけど、釧路に来てからは、先に町歩きをして、そこで興味を持った場所について調べるというパターンの方が多く、それもまた町歩きの楽しさの一つかなと思い始めている。
今も並行して調べていることが幾つかあるので、納得できる纏め方ができれば、ここで記事として紹介しようと思っています。

因みに、図書館でどんな本を読んでいるかというと、一番多いのは、釧路の歴史についてテーマごとに出版されている「釧路新書」「釧路叢書」というシリーズ
コンパクトで読みやすく、色々なテーマのが出版されていて、図書館だけでなく、市内の大型書店で購入できるものもあるので、釧路について調査、勉強するには打ってつけの本だと思います。

今週末は、土曜日は天候が今一つのようだけど、日曜日は晴れるようなので・・・どうしようかな。市内もいいけど、せっかくなので、車で少し遠出もいいかな・・・。
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「軽川」と呼ばれた駅

2018-08-08 18:57:59 | 札幌
釧路の散策記は一休みして、今日は札幌の話題。





区の名前にもなっているJR「手稲」駅。
先月帰省したとき久しぶりに利用したのだけど、そういや、「手稲」ってどういう由来があるのだろうと、ふと思った。

この「手稲」という地名も、例によってアイヌ語に由来するもので、「濡れているもの」を意味する「テイネィ」という言葉が由来なのだそうで、現在は市街地となっている「手稲山」という山の山麓地帯に広がっていた低湿地を指していたとする説が有力のようです。

元々は「手稲村」→「手稲町」という独立した町で、1967年(昭和42年)3月1日に札幌市に編入され、そのときは全域が西区でしたが、1989年(平成元年)に、一部のエリアを西区に残した状態で「手稲区」に分区され、現在に至っています。
西区に残ったエリアの中に、私の自宅からも近い「西町」という町があり、ここは、私が引っ越した当時は「手稲東」という町名だったのだけど、手稲区の分区に伴い「西町」と変わりました。





四年前に撮って紹介していたバス停。
高校へ通う最寄バス停として思い出深い場所で、今は停留所のとおりの町名だけど、手稲区の分区までは「西区手稲東北7丁目」で、バス停名も「手稲東」でした。懐かしいなあ・・・。
(現在の手稲区のエリアはこちら。そして、このバス停の場所はこちら





手稲駅に話を戻します。
こちらは、最初の写真の反対側にある「北口」。(最初の写真は「南口」)

1880年に、現在のJR南小樽駅とを結ぶ官営鉄道の駅(乗客があるときだけ、旗で合図して停車する駅)として開業しましたが、そのときは、現在も川の名前として残っている「軽川(がるがわ)」駅という名前でした。
この「軽川」という川は、この地に入植した和人達が、夏になると干上がる川の姿から「涸川(かるかわ)」と呼び、それが訛った「がるがわ」が現在の川の名前となったものですが、1942年(昭和17年)までは、手稲駅のある一帯が、川の名前を取って「軽川」という地名だったのだそうです。

因みにその「軽川」駅は、今でこそJR函館本線しか運行していませんが、1922年(大正11年)から1940年(昭和15年)までは、現在の石狩市花畔(ばんなぐろ)とを結ぶ「軽石軌道」という路線が走っていたそうです。
その痕跡も探してみると面白そうですね。
(手稲駅の場所はこちら





最後に、手稲駅北口にあるバス乗り場。
ここは、過去に二度しか利用したことがないのだけど、私にとっては大変思い出深い場所。
その二度とは、1990年(平成2年)8月7日と、1991年(平成3年)6月30日。
この近くにある「前田森林公園」で開催された「第10回高校生クイズ(1990年)」と「第11回高校生クイズ(1991年)」北海道予選のための送迎バスが、ここから運行していたので、どちらも利用させてもらいました。
こういうことも含めて、「高校生クイズ」の思い出は尽きないのです。
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炭鉱鉄道跡地~その2~

2018-08-07 21:36:43 | 釧路&釧根地方



釧路市内を東西に走る「雄鉄線通」という道路。





片側2車線で、沿線には商業施設も多い幹線道路ですが、通りの名前の由来は、先日来紹介している「雄鉄」こと「雄別鉄道」。
100%ではないけれど、かつての路線跡が道路として整備されているのです。








でもってこの場所は、昨日紹介した「新釧路」駅の次の駅である「中園」駅の跡地。





遺構らしい遺構がなかなか残っていないですが、この場所は、写真右側にある「釧路労災病院」と、一つ上の写真に写っているお寺を目印にすればわかりやすいと思います。
(この場所はこちら





続いて、少し離れた住宅街へ。








ここも特に遺構はありませんが、「北園」駅という駅の跡地です。





「仁々志別(ににしべつ)川」という川。
川幅は狭いけれど、両側に緑が溢れる、自然を感じさせてくれる川です。





写真の道路は、これもまた釧路市内を東西に走る幹線道路。
にしては狭いと思うことでしょうが、それもそのはず、自転車道路として整備されています。
「北園」駅跡の目印はこのくらいかと思います。
(この場所はこちら

「その2」まで書いてみました。
ここから先は、特段目印などもない原野状の場所が多いけど、調べて辿り着いてみたいと思います。
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炭鉱鉄道跡地を求めて

2018-08-06 20:09:27 | 釧路&釧根地方



JR釧路駅の裏口というか北側。
(写真右側の、茶色で横長の建物が釧路駅)





今は、ロータリーになっていてタクシーの待合場が主たる使われ方ですが、実はかつてここに、釧路駅とは別のもう一つの駅がありました。
それが、昨日触れた「雄別鉄道」の釧路駅です。
「雄別鉄道」は、ここを拠点として、阿寒方面へと路線を延ばしていたのです。
(この場所はこちら





釧路の次の駅は「新釧路」駅ですが、この表示板が現存しているということは・・・、








こちらは、駅跡ではないのだけど、「新釧路」駅の跡地に程近い、「釧路製作所」さんという工場。





こちらで保存されているこの車両は、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されている「8722号」という車両。
元々は、1911年(明治44年)、イギリス・ドイツ・アメリカの三国から輸入された蒸気機関車の一形式で、北海道拓殖鉄道という鉄道会社を経て1957年(昭和32年)に雄別鉄道に譲渡され、廃線まで活躍し続けた後、関連会社であった「釧路製作所」さんに引き取られ、1980年(昭和55年)より現在地に保存されています。
昨日紹介した「C1165号」と並ぶ数少ない保存車両で、2007年(平成19年)に「近代化産業遺産」に認定されています。





その「釧路製作所」さんへ続く道路。
地図上では、この道路沿線に「新釧路」駅があったとされているのですが、残念ながら、遺構らしきものは現存しておりません。
(一般の住宅敷地のため、写真は掲載しません)











ただですね、その代わりと言ってはなんだけど、もしかしてこれが遺構なのではと思ってしまうような公園が近くに整備されていました。
それも「釧路製作所」さんの管理する場所で。
何となくこれを見ていると、舗装部分が線路跡で、ベンチのある側にホームが・・・なんて思ってしまいそうですが、残念ながら違うようです。

(「釧路製作所」さんとその周辺の位置関係はこちら
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炭鉱鉄道の歴史

2018-08-05 16:42:28 | 釧路&釧根地方



阿寒湖からの帰路、途中にある道の駅に寄ってみました。
道の駅自体は初めてじゃなく、前回住んでいたときにも来たことがある(このときもここ)けれど、写真の建物は、一昨年オープンした「クレインズテラス」という、インフォメーションセンターと物産店を兼ねた施設。





ここは、近いうちにまた行ってみるとして、今回の本題は、同じ敷地内にある別な施設です。





お、何だこれは?
鉄道の駅のように見えますが・・・。





って、そのとおりっちゃそのとおりだけど・・・、





ここは、1923年(大正12年)に、旧阿寒町雄別地区にあった「雄別炭鉱」の石炭を釧路港に運ぶ目的で敷設され、旅客輸送もされていた「雄別鉄道」の歴史を実感することができる場所。
駅名表示にある「阿寒駅」は、1970年(昭和45年)の炭鉱閉山とともに廃止されましたが、1972年(同47年)3月、駅の跡地に、雄別炭鉱を記念する「阿寒町郷土資料館」が開館、1988年(同63年)6月、「炭鉱と鉄道館・雄鶴駅」として再オープンし、現在に至っています。








建物内には、鉄道ファンの血が騒ぐような物が多数保存されています。
私も、大人になってからはそうでもなくなったけど、少年時代はこういうのに夢中になっていました。








改札口。
今は、有人駅ですら自動改札機が主流になっているけれど(函館駅の隣の五稜郭駅などは未だ自動化されていませんが)、かつてはこのボックスの中に駅員さんがいて、改札も、今のようにスタンプを押すのではなく、ハサミで切り込むというものだったということを、今の若い人たち(20代以下ぐらい)は知っているのかなあ・・・。
懐かしい懐かしい。








車両もこうして保存されています。
「C1165」という型式の蒸気機関車で、1935年(昭和10年)3月に、旧国鉄川崎車輌工場で製造されたものを、1960年(同35年)に雄別鉄道が譲り受け、主力車両として活躍していたものです。

雄別鉄道の遺構や路線、駅舎の跡地については、現在も確認できる場所が沢山あるので、今後調べて回ってみようと思います。
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旅行サイト

2018-08-04 20:00:23 | 日々のもろもろ
これまで利用したことのなかった旅行サイトを二つ利用してみた。

まず、10月上旬の三連休のときに、あちこちに散らばっている仲間が旭川で一堂に会することになったので、宿泊先確保のため、CMも流れている「トリバゴ」にトライ。
さすが三連休ということで、まともに予約しようとすると、平均で7,000円~8,000と高くつくところ、ここで比較検討した結果、中心部にあるホテルを、1泊4,800円で押さえることができた。
移動手段は車なので、後はガソリン代が少しでも落ち着いてくれることを願いたい。
因みに、当日集まる予定の仲間、あちこちに散らばっていると書いたけど、具体的には、私の釧路の他、稚内、帯広、札幌、それに秋田。
秋田の人が旭川に帰省するタイミングで集まるのだけど、二年ぶりなので、これは楽しみだ。

そしてもう一つは、10月最終週に計画している「秋の遠足」。
昨年同時期に計画したのが、台風の影響でお流れになってしまったので、今年はそのようなことのないようにと願っている。
で、こちらの手配に利用したのが、同じくCMも流れている「トラベルコ」
こちらも、秋の旅行シーズンだからか、二泊三日だと平均で70,000円ぐらいであるように見えたが、色々と探してみて、蒲田にある全国チェーンのホテルを、50,000円をちょっと超えるくらいで押さえることができた。
釧路から羽田までは、JALとANA、それにAIR DOが飛んでいる(AIR DOはANAとの共同運航)のだけど、パック料金で見るとJAL利用の方が平均で2,000円くらい安く、そのせいか、飛行機の空席も、ANAとAIR DOはまだガラガラなのに対し、JALは、プランによっては既に空席が一桁になっているのもあったのだが、私が選んだプランはまだまだ余裕があったので、難なくゲット。
後は本当、当日天候に恵まれてくれることだけを祈りたいです。

今回利用した二つのサイト、どちらも、各種旅行サイトの料金を一括比較検討して最安値を選び出すというシステムだけど、遠足の方は、「じゃらん」のサイトが最安値だったのに対し、旭川の方はというと、「アゴダ」という、今まで聞いたこともなかったサイトが最安値になっていました。
トップページを見てみたところ、どうやら、海外旅行も広く手掛けるサイトのようです。ご参考までに。
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