toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

106-250316 1500年の時の重み

2013年03月16日 | 名所旧跡

P2264281_2 嬬恋村パルコールスキー場上部、前日の吹雪で「しらびそ」の樹が見事な樹氷と化した。   (3月5日)

 

新聞で渋川市金井遺跡から古代人の甲冑をまとった人骨が発掘されたとの報道があった。 紙面での写真ではどこが頭で、どこが足か判然としない。 先日群馬県埋蔵文化財保管センターで一般公開があったので見学し、数枚の写真を撮ってきた。 以下コメントをつけて説明します。

榛名山の大噴火の際に膨大な量の灼熱の火山灰が振りそそぎ、男は幼子を抱えて迫りくる黒雲を背後に見ながら懸命に逃げたのだろう。(雲仙普賢岳の噴火を思い出す) 利根川まで逃げ切れれば何とかなっただろうが、重い甲冑も災いして、行き着く前に熱い灰に追いつかれ、子供をかばう様な姿勢で埋もれてしまった。

50年も経たないうちにこんな姿になったのではないだろうか。 その後この土地は原野や水田に形を変え、何度かの利根川の氾濫も経験する。彼らの上を奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸そして現代へと1500年の時が流れていく。時には北条や真田、武田あるいは上杉、徳川の軍団が覇権を争っての戦場にもなったであろう。 華やかな参勤交代の大名行列が近くを通る三国街道を行き来したはずだ。

降灰から子を守るかのようにうずくまる男の姿が迫ってくる。

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挿入した文字は私の見方なので、間違いがあるかもしれません。 

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5世紀の榛名山の噴火は大規模なものだったようで、山麓一体は殆ど例外なく、 約150cm掘ると、明らかに色の変わった黄色の地層が10~20cm現れる。 その地層を丹念に除去すると、当時の姿が再現される。 私の勤務する会社の場所もその例外ではなかった。 水田の遺構であり、足跡が残って居るところから、噴火は田植え時だったのだろう。

地中に杭を打つような建築は、最初に埋蔵文化財保護法による調査をしなければならない。 こんな貴重な遺構等が見つかると、建築そのものが中止になってしまうことがあるという。 一般的に施主は何も出ないことを期待し、建築が予定通りに進むことを願う。 この土地はどうだったのだろうか?

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