年齢と共に、いろんな現象が起きてくる。小生にとって、今日「危なかった」ことは、自然現象である。朝、出るときに、どうしょうかと思いながら、約束の午前中の訪問がせまってきたので、そのまま家を出た。
用件をすまして、車に乗るとしばらくして、「要求」のあることに気付いた。まあ、いけるだろうと思いながら、道中スーパーとか、喫茶店とか、いろいろ考えながら、運転していると、運転中はまだいいのだが、信号待ちとなると、急に要求の程度が激しくなってくる。
いっそ、道端でとか頭をかすめるが、そうもいかない。ひと目もあるし、適当な場所はない。運転を開始すると、嘘のように、その程度は軽減され、家が近づいてきた。
もう少しというところで、いよいよ限界が近づいていることがわかる。前の車が、めちゃくちゃ安全運転で大阪ガスグループとある。
滅多に追い越したりしないのだが、やむを得ない。後方確認してスイと前にでて、アクセルを吹かす。日頃あまりやらない運転で、かなり緊張しているのだろう、「要求」はなきが如くである。しかも、運転がスムースである。2ないし3台の車を、サッとかわしていく。こんなこともできる自分に少し驚く。
なんとか家について、ドタバタと、気を確かにしながら、駆け付ける。家内が留守で、鍵をあけるのに、少しもたつく。我慢。もうダメかと思われるところは、最後の最後まで続く。まだ、気は抜けない。
やっとたどり着いて、その時が来た。便秘などしたことがないというような調子で、一気に解放された。この快感は、また苦しみからの解放というだけではないもっと本質的なものがある。
反省とともに、切り抜けたヤッター感もある。しかし、いつの日か、「ブチマケル」日がくるかもしれず、生きることは、なかなか大変なことである。