何かの、誰かの、役に立ちたい、という気持ちがあると思っていた。だが、それはよくよく考えれば、嘘があって、結局は自分のことばかり考えてきたのではなかったか。
それが、人間として、もっとも程度の低い状態だと声高に言いながら、実は自身については、自分本位に生きてきている。
どこかで、人の役に立つという気分のときもあったように思うけれども、それは、かなり意識的な行動であって、自然にふるまえば、間違いなく自分本位と言って、過言ではない。
となれば、意識的に、そのようにありたいと思いつつ、行動を律して生きていくことが大事だろう。
時代によっては、あからさまに、国に殉じろと命令され、強制された時代もあった。その場合は、自分を捨てることは可能で、自分を黙らせることは可能だろう。
だが、そこで、その命令を覆し、逃げ出すか、戦うか、自分をそのように駆り立てることができないものか。そうありたいと思う。それには、確たる自分の命の使い方を、決めていなければならない。
生きる覚悟の方針を立てるべきで、必要である。