要領よく、とかうまく立ち回るとか、そんなことではなく、まともに、まじめに、行こうではないか。不安だらけの裕福な生活なんて、まさに砂上の楼閣である。崩れるのを心配しいしい暮らすのはごめんである。
原発の事故は、広範囲にさまざまな問題点を気づかせることとなった。儲け専一の連中と、まっとうに暮らそうとする真面目な市民と、矛盾が明らかとなり、ものの考え方の違いが顕在化してきている。
あたらしい方向性を、市民たちが選択できるかどうか、これを邪魔しようとする勢力が誰か、今こそはっきりと、視野にとらえなければならない。
参加型民主主義と言い出している学者がいた。本当に、人任せではなく、自分の意見を持ち、主張し、その実現を図ることである。
今までは、自分の力などと、考えたこともなく、選挙のときに投票することもない、といった人達も、今度ばかりは目覚めてしまったのではないか。いや、今こそ、目覚めるべきときだろう。
東電や保安院、原子力委員会、経産省、みんな一体で、規制もなにもなく、好き放題にしてきたツケがおそってきた。
にもかかわらず、独立して仕事にあたるという規制委員会の委員長候補者が、従来の人脈からということで、はやくも疑いの目で見る向きもある。
原発ゼロの方向しかない、と思える現状で、反攻態勢をととのえている勢力は動きを止めてはいない。この人事もその一環の可能性もある。きっちりと原発ゼロへと転換させなければならない。