東電のテレビ会議について、公開せよ、の話がある。都合の悪いことがあるのか、これが出てこない。今朝の朝日新聞をみると、事故調は、提出を「要求していない」と書いてある。その一方では、出すように要求する世論の高まりをあおるようなことを言っている。
自分で要求すれば、入手できるものであることを、要求しないところに、問題の本質がある。新聞の記事が正しいとすれば、こんな連中の報告は、はたして信用できるものなのだろうか。
事故調メンバー選定の過程も、自民党の意向があったり、管さんとはそりのあわない民主党の面々が関与しているという。こういうときには、必ずといっていいほど、意図的な動きがあるものだが、やはりそうか、と思わせられる。
大部の報告書であるが、意図的なものであるならば、本当に事故に対処するという、今後の参考にはならないし、思惑の交錯のなかで、作られた作文にすぎない。今後に生かせるかどうかという意味では、何の意味もない報告であるということだろう。
情報があがってこないなかで、官総理らは、どれほどの苦しみを強いられたことだろうか。それを、事故調は、参考人として、事情聴取を行い、挙句の果ては、官邸の動きをまるで邪魔者扱いとして、結論づけるという、自民党の意向をうけたパフォーマンスをしてみせた。
こういう連中の集まりこそが、事故原因の本当の原因である。公正な事故調査ができるかどうかが、原発再開のキモであるにも関わらず、この体たらくでは、原発は、もうやめないといけないということだ。