生きていることは、確かに自分でわかるのだけれど、どうも自分の意志だけで、自分のすべてのふるまいが決まっているとはいえない。自分以外の人間の意志であるとか、まわりの状況のなかで、自分の立ち位置を決めてきている。
しかし、徐々に、自分自身の選択ができるポイントが増えてきて、いつの間にか、自分自身が決定的な立場にいることを知るときが増えてきている。それでも、自らと他者との関わりについては、人間が社会的な動物であるかぎり、無視はできないし、してはいけないと思うから、本当に自分の意志で決めているという感じはない。
そのなかで、自分を自分として認めて、それで平安な気持ちでおれるとすれば、自分になれてきているということではないだろうか。
若いころと比較して、今が格別進歩しているとも思えないが、それでも、諦めもあるのか、それなりに未然に混乱をさける知恵もついてきて、ことさらに意地をはるということも少なくなってきたし、立腹することも少なくなってきた。生の感情をそのまま出すことも少なくなってきた。
毒にも薬にもならない、しょうもない老人になってきたということなのかもしれない。
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