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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

空をみながら(43)

2007年11月14日 10時31分20秒 | 思考試行
 暗く、重いテーマで、読むのは大変ではないかと思っていたが、そんなことはなく、題材が異常であるだけに、もの珍しいのもあるが、それ以上に、現実生活のことを考え直す、ほんとうにいい題材となって、せまってくる。
 日常生活の平凡さに退屈しているとしたら、それに対する強烈な刺激となって、生の意味を問い直すことになって、新しい世界が広がるだろうと思われるし、何かしら、不満、不安があって、人生に倦んでいるとしたら、極限の世界を垣間見ることによって、それが、いかに、贅沢な悩みであることを思い知ることになる、泰吉は、「宣告」の小説の意味を、そのように捉えてきている。
 ドストエフスキーや、トルストイを、この作家は意識し、自分もかくありたいとして、それにふさわしいエネルギーと歳月をかけて、この作品を完成させたのである。
 それをわずか、4,5日で読み終えようとしている。もとより、書かれた内容をすべて、血肉としたとは言いがたいが、それでも、そのインパクトは、充分感じたし、明らかに、人生観に影響をあたえ、今後の生き方に、方向性ができてきたことは、この本のお陰であるといえる。読書という習慣を持っていて、良かったと泰吉は思った。

空をみながら(42)

2007年11月13日 13時23分31秒 | 思考試行
 仕事があるということは、幸せなことなのだが、追いまくられるとそれは苦痛となる。それに比べて、何にせよ、追うということは、自分の意思であるから、それは、楽しみである。紙一重であるのに、心理的には大きな開きが生ずる。
 泰吉は、級友達がボツボツと完全リタイヤにはいりかけてきて、どうしても、彼らの動向が気になる。幸せ感を連発されると、少し羨ましかったりする。
 しかし、泰吉の場合は、年金が少なく、朋子の分とあわせて、ようやく世間並みといった水準なので、やはり、働けるうちは、働いて、収入を確保しておくことが、必要な状況にあるので、自営業的な仕事でもあるし、前向きに、仕事を追いかける姿勢をとらなければと思っている。
 時代は、どんどん変わる。技術の進歩もすばらしい。その割りに、人間学というか人に関することというのは、どのぐらいの進歩があるのだろうか。歯止めがきかない状態で、モラルは変化している。定義が変わる。
 進化というよりも、退化と破滅への道を、走り始めたのではないか、それは、新しい発展のための、助走なのであろうか。環境破壊だけではなく、人心がどうにかなりかけているのではないだろうか。

空をみながら(41)

2007年11月12日 09時19分39秒 | 思考試行
 「宣告」は、死刑囚を題材として、物語が展開する。異常でありながら、普遍的な問題として読者にせまってくる。泰吉は、この本を入手したのは、もう10年以上も前である。書評か何かで、加賀さんのこの本のことを知っていたのだったが、偶然に、古書店で発見したときは、興奮した。
 上下2巻で、かなり分厚であり、けっこう高い本であるが、安く入手した。そして、少し読みかけたものの、時期があってなかったのか、たちまちのうちに、頓挫して以来そのままとなっていた。
 その後、自分自身の病気のことや、父の死去などがあって、また、朋子の母との新しい生活があって、読もうという気持ちが高まってきた。それは、池波さんの随筆をよみかけたことも影響している。分野が違うが、真面目に仕事をしている作家の共通項を感じたこととが大きいと感じた。
 泰吉は、大江さんの作品のような、実際生活から、遊離したような、別世界をみることもすきだが、やはり、現実を見据えたものの方がより、親しみを持つ。
 しかし、そればかりであると少し不満となる。そうすると、大江さんが恋しくなるという具合なのである。
 「宣告」は寝る前と、朝起きぬけに、寝床で読む。もう下巻の三分の一位まできた。重い、暗いテーマにみえて、なんだか不思議だが、軽さを感じる。古本だから、前の所有者が、作家を紹介しているふるい新聞記事を切り抜いたものを台紙に張ったものが、本に挟まれていた。それに読者の感想、明るい小説だ、という意見、作家がそれを嬉しいといっている、などの文言がみえる。
 本当にそのように泰吉も思った。紛れもなく、素晴らしい仕事であり、意味のある作品であり、力がある作品ではある。
 しかし、作家に完全には同意しないで、自分独自の世界を、自覚させてくれ、表現はできなくても、何かしら、自信を与えてくれるのである。人を圧倒しようとしていないのである。あったかい作品なのだろう。愛を感じる。

空をみながら(40)

2007年11月09日 09時07分47秒 | 思考試行
 加賀乙彦「宣告」という小説のなかに、人間があらわれたのは、突然で、登場前に、他の動物や植物は、今のようにいるのだが、人間だけがいない状況があった。200万年ぐらい前ということが書かれている本を、死刑囚が読むくだりがある。
 作者は、宗教としてはクリスチャンといわれる。洗礼を受けていないので正式には、クリスチャンではないそうだが、考え方としては、相当の影響を受けているのだろう。
 科学的には、人間は今の状態で突然現れたのではなく、徐々に猿から人間に、その前には、鼠のような状態があったので、書かれているように、突然あらわれたとすれば、なにやらキリストさんの世界に近づくような気がする。
 ものの見方の仕方、感じ方が、おそらく、宗教に親しみを覚える人とそうでない人との、違いの一つではないかと思う。
 泰吉は、今、新しい感じで人生を味わう気分になり始めている。
 今、NHKのテレビで、中井貴一さんが、中国での撮影の苦労から、日本ではどこでも水が飲める幸せをかみしめ、それであるがゆえに、また、苦労する必要性を言っていた。大したものである。ユーモアがない人は、信用しないともいう。やはり、まっすぐ立ち向かうことこそが、その中にこそ、人生の醍醐味があるのではないかと思う。

空をみながら(39)

2007年11月07日 09時10分03秒 | 思考試行
 人は、まことに多様である。泰吉が高校生の頃は、まだ、真空管の時代で、国家試験(無線関係の資格)は、真空管の動作原理などが出題されていた。トランジスターが出掛かっていて、その後急速に変わっていく、そんな時代であった。
 したがって、コンピュータは、まだ一般的なものとしては、登場していない。今や、コンピュータを扱えないと、かなりのハンデを持つこととなった。急速な変化である。そして、インターネットを駆使すれば、かなりの情報は得る事ができるようになった。
 とんでもない種類の人々がいることがわかる。動物としての、「生理的」欲求に、強烈な欲求に苛まれている人々の存在や、考え得るあらゆる種類の人々がいて、1000人に一人の確率の人であっても、インターネット上では、ありふれた存在として、その息吹に触れることができる。
 それは、勿論、直接に接触しているわけではないから、自ずと違いはあるのだろうが、活用の仕方によれば、隣人と同様であり、声をかければ、接触可能なのである。このことは、どういう効果を齎すのだろうか。健全な人類の発展、成長につながるのだろうか。
 良くも悪くも、そういう道具を手に入れてしまうと、単に財産であるとか、名誉であるとか、権力であるとか、かつての価値あるものとされていたものが、変容を始めているのではないか。情報は、学者だけのものではなく、権力者だけのものでもなく、知ろうとするものすべての前に、さらされ、新しい状況が生まれつつあるのだ。泰吉は、そうしたなかで、何事か成したいと思いはじめている。

小沢氏は恥に思うな。世界平和のために頑張ってほしい。

2007年11月06日 22時07分16秒 | 思考試行
小沢代表が一転続投 「恥さらすが頑張る」(共同通信) - goo ニュース

 男がいったん辞めると言ったら、それは最後だと思う。が、小沢氏の場合は、進退伺いであったのだから、辞意の撤回はあり得る話しであり、民主党は、危機を脱したと言えるのかもしれない。ただ、単に国民のことだけでなく、世界全体のことも考えているのかどうか、これからは、国益を声高に叫んでればいいということではないのではないか。広い視野で、政治の方向性を選択すべきだと思う。自民党が権力の中心に長くいて、腐敗を始めているなかで、キチント批判勢力として、ライバルとして、存在する意義は大きいと思うし、アメリカ一辺倒ではなく、地球全体を考える政党となってもらいたいものだ。

空をみながら(38)

2007年11月06日 10時42分40秒 | 思考試行
 あれもこれもいい、と言うのは、安っぽくて値打ちがないが、泰吉は新しいことに遭遇すると、とりあえず感心する癖がある。朋子は、そのことをとっくに気付いているが、馬鹿にしているわけでもない。
 泰吉がいいといえば、一応後追いで、その本に挑戦したりする。しかし、泰吉は本を読むのは、朋子に比べると早いので、「読むべき本」が溜まってしまい、落ち着いて、読後感想を交し合うということはあまりない。
 泰吉は、関心の対象がすぐ変わってしまう傾向があるので、その点も朋子にとって、やりにくいわけだが、それほど、気にすることもない。自分の関心の対象は、はっきりしているし、それは、常に具体的である。泰吉のような、空想的要素を持たない。
 その点で、泰吉は今までの結婚生活において、朋子に相当の恩恵を被ってきていることは否めず、泰吉も自覚している。
 したがって、気が向けば、家事にもすすんで手伝うし、洗い物など、朋子のペースが遅いとみるや、どんどん片付けていく、朋子は片付けがどちらかといえば、苦手なのだと、泰吉は考えている。ただ、そのことは、口にだしては言わない。夫婦仲は悪いほうではないと泰吉は思っている。

空をみながら(37)

2007年11月05日 09時28分51秒 | 思考試行
 自然の中にいると、そこだけで、今や完結することはなく、一時の避難という感じであって、明日からはまた、日常の環境に戻る。おそらく、そこで、生活を続けることは、泰吉には無理であることはわかっている。なんとも脆弱な実態。積み重ねられてきた、ガードのなかで、ヌクヌクと育ってきたことが解る。
 人間世界の異常さに、気付くことがなく、きたことを思い知らされる。宇宙の中で生きていることを知らされる星空。
 民主党の党首が、突然辞意を表明したという。人間がどういう生き物なのか、観察する機会がまたやってきた。
 国民のために、こうするのが一番、いやこうするのがいい、どれが良いのか、誰にもわからない。みんな、方向性があっているのだとすれば、解決できるいい塩梅の地点がありそうなものだが、過去の体験からもそれは、簡単ではない。
 池波正太郎の人ばかりではなく、死刑囚から、取材した加賀乙彦「宣告」という本のなかに、登場する人々もいる。
 人間世界は単純ではない、マスコミが描くような世界は、明らかに作り物であって、そこで埋没するのも、手ではあるが、そんなところに、真実はない、と言わざるを得ない。だが、知らない振りをするのも、生き方の一つでもある。泰吉は、嘆息する。

空をみながら(36)

2007年11月03日 08時16分04秒 | 思考試行
 先週、納骨を終えて、ようやく旅に出ようかという気分になり、早速実行したのであったが、こんなことは、従来なかったことで、計画から、いくまでの期間が短く、いわゆる行くまでの楽しみの時間が、十分でないから、泰吉は、気分的に、いささか盛り上がりに欠けていることを自覚していた。
 前日には、本当に行くんだという実感がなく、案の定、当日は、ほぼいつもと同じ起床時刻となった。朋子は、早く出かけるのだと息巻いていたが、泰吉はそうはならないだろうと思っており、事実そうなった。朋子は、低血圧気味で、朝はとにかく弱いのである。
 したがって初日は、行くだけとなり、終日かけて、現地へ到着したのである。泰吉は、それでいいと思っていたし、朋子も同じ感覚であったから、道中そのものを楽しむということで、それは、それで良かった。
 それにしても、大阪を脱出するのに、1時間もかかったのには、少しまいった。というのは、いつも利用する高速の入り口が工事中であったために閉鎖されており、そのため、入り口探しにてまどり、最終的には、なれない入り口を利用することとなったが、高速の環状線を無駄に一回りしなくてはならなくなったのである。
 せっかく時間をかけて、キタまできているのに、なんとミナミ方向へ走るのだから、徒労感がひどい。泰吉は先手をうって、さあ、これはご機嫌斜めになるぞ、サアサア、などと口走る。くすぶり始めていた朋子は、機先を制され、すこし納まった。出だしは、トラブッタけれども、名神にはいってからは順調で、天気は、これ以上ない快晴であり、道中を楽しむ環境はととのった。

空をみながら(35)

2007年11月03日 00時57分07秒 | 思考試行
 泰吉は、新しい体験を求めていこうと考え始めている。常に好奇心をもって、集中できるテーマがあるのであれば、それを貫徹すればいいのであるが、それは、結構難しい。今まで、それなりに探していたつもりではあったが、結局は日常生活に埋没して、ライフワークというべき、仕事を見つけられずにきてしまったという感じをもち続けてきたように思うのである。しかし、それはそれで、見つからないとしても致し方のないことであり、方向性は、正しいと思うから、それにそって、好奇心のおもむくところ、実践していけばいいのではないか、と。具体的にやらなければ、ならないことは着々とやり、それに加えて、前向きに、実行するという姿勢である。視野を広くとって、あまり、狭い範囲ではのめりこむことのないようにしていくこともいいのではないか。あれもこれもで、結局なんにもモノにできなかったとしても、それは、仕方のないことであり、テーマが見つかったならば、幸いとして、集中するが、そうでなければそれなりにということである。ただ、何かをやり続ける。方向性を、堅持して実践していくつもりなのである。

空をみながら(34)

2007年11月02日 10時37分32秒 | 思考試行
 外へ出るということは、いいことだと泰吉は思った。この3日間、いわゆる非日常の経験ができた。八ヶ岳周辺は、黄葉した木々で満たされ、たまに紅葉がはさまると、さらにその美しさが倍加する。美しの森、清里、美術館、そして、野辺山の大パラボラアンテナ、自然と宇宙観測の人間の営みが交錯して、スケールの大きい空間を構成している。泰吉夫婦は、久しぶりの旅であったが、今まで、振り返ってみても、おそらく、一番の旅ではなかったかと思う。八ヶ岳の山々には、雪があり、それが、この景観に相当ムードを高める効果となっている。コントラストがすばらしい。
 旅から帰って、昨日は大忙しであった。たまっていた仕事を片付ける。能率はさすがに上がる。生活の中に、アクセントをいれることの重要性を実感あする。人間仕事ばかりではいけないのだ。ネコ達も、思いのほか平然としており、格別の反応はなかった。この分では、また、すぐ出かけるようになるだろう。信州は広く、そして、見所が沢山ある。拠点を選んで、アプローチすれば、いくつもいいコースが選定できそうである。絵とか写真とか、何か挑戦したいという気分も生まれてきた。