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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

よき老人への修行の道。

2007年11月26日 08時26分40秒 | 思考試行
 自分は正しく、人は自分に合わせるべきだと考えるのが、自然なのだろうか。知り合いであるとか、親族であれば、自分の利益を損なっても、便宜を図るとういうようなことは、よく見受けられるし、自分も体験している。しかし、他人様であろうとも、そのように心がけている人もいるだろうし、いてほしいと思う。自分のことは、棚においているが、あまり、自己中の人との接触が続くと、人間社会の将来が悲観的にみえてくる。

 歳をとると、我儘になるというのは、本当だろう。とにかく、自分のことで精一杯という感じがでてくるのは否めないようだ。耳は遠くなるし、足腰は弱る。それでいて、神経は意外にしっかりしているから、傷つきやすい。常にフォローしておかないと、すぐに、捨てられた、とか、自分は一人ぽっちだとか言い出す。言えばまだ良いが、溜め込んで、思い込む。

 そうなると、周囲もやりにくくなるから、悪循環に陥ることになる。そうした時に、感謝を忘れない人というのは、有難いし、前向きに考える人というのは、周囲も励まされ、喜びに包まれることとなる。朋子の母は、その中間あたりにある雰囲気である。感謝の言葉をよく出す。ただし、朋子の気にしていることがある。

 具体的には、食べ物の好き嫌いによく表われる。あれこれ気を使って作った料理を、平気で、残されたりすると、作った側はガッカリする。作る人の、気持ちを慮ることができない。これは、躾だろう。人間性がモロに出てくる感じだ。なにがいいのかと、注文をきくと何でも良い、といいつつ、好き嫌いがあり、嫌いとなったら、猛然受けいれは拒否だから、その辺が、老人介護の難しさである。

 年齢的に、近い者として、自戒しなければと思うところだ。好き嫌いがあるのならば、その旨言っておかなくてはならないし、相手の気持ちが理解できる、したたかな老人になるべく、修行しなければと思う。

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