ちょっとした、は余計かもしれない。要は、工夫が大事であって、それを人生に入れ込んでいくと、人生豊かなものになると思う。
今、俳句の投句をしているけれども、そのちょっとした工夫がないと、放送では、なかなか読まれない。ひねりというか、着眼点というか、なにか、ちょっとしたものがないと魅力がないのであろう。
それを見つけるのは、結構大変で、どうしてもありきたりの皮相な文言しかでてこない。それがどうした、の句になってしまう。
そこからの脱却がなかなか難しい。それができるようになれば、いっぱしの俳人となれるのだが。
まあ、目標ができて、良しとしなければならない。読まれない週は、反省の糧として、次へ次へと進むべきである。うまいことに、月曜がくれば、また新しい兼題のもと、発表がはじまる。
なげいていても、仕方がない。気分を切り替えればいいのである。そんな繰り返しのなかで、見る目が養われているとすれば、結構いいリズムの生活といえる。