地位、金、名誉・・・それだけが人生ではないといいたいが、地位がなければ、軽く扱われ、金がなければ、生きてはいけない、名誉があれば、人に誇れる。それぞれ、人間社会にとっては、「重要」なものなのだろう。
しかし、人々はおそらく気付き始めている。そんなところに、人生の本質はない。「道具」であることは、認めるにしても、自分に縁のない話であって、誰にでも得られるものではないし、そこには、相対的な誇りだけではなく、他人を貶め、軽んじる心持ちが入っている「汚さ」も同居している、ようにみえる。
生きていればいい。そこに、何らかのモノがある。生物としての喜び、悲しみがある。そこに生きている意味を見いだせたら、それで充分である。個人の一人の人間としては、そんなに多くを望む必要もない。なんとか、暮らせていけたら良しとして、鳥の鳴き声や、日差しや、風や、人情や、もろもろテジカニアルモノのなかに、いいものが沢山ある。
その上で、先達の仕事があって、小説であったり、エッセイであったり、芸術作品であったり、その他さまざまな「仕事」の成果を感謝して味わうならば、個人として、何かやれることが見えてくる。ささやかなことしかできないけれども、それなりに、励んでいくほかない。それでいいではないか、と思う。
できうれば、生涯かけて、「勉強」しながら、成長していければいいのではないだろうか。