何をするにも、上手になりたいというのは、自然なことである。俳句をすれば、いい句を作りたいとなるし、また、努力すれば、時にいい句ができる可能性がある。
手業にしても、訓練とか慣れとか、努力すれば必ず成果はあがると思われる。学問の世界もそのように思いたい。だが、分野によっては、努力したとしても、思い通りにはいかない成果しかない場合もある。
逆に、そうたいして努力をしたわけではないのに、なんだか、うまく回って世間でいう成功者になる人もなかにはいるかもしれない。
人間世界は、そういう人がいるかもしれないと思えば、どうやら必ずいるような気がする。水は高きより低きに流れるわけだが、どんな小さな隙間であろうと、そこに物理的な制約がなければ、流れ込む、一切の隙間に、水は流れ込む。
これと同じに、人間世界も同じような現象があるのではないだろうか。こんなところにも、人がいるという感じである。
苦痛に満ちた暮らしのなかで、喜びを見つけられる人もいれば、そうでない人もいる。
願わくば政治家や官僚や、富裕層などの人々が、その力を有効に発揮して、多くの人々のために、何事かをなすような動きがうまれてこないものかと期待する。