それが、憲法9条の意味だ。自衛権だって、放棄している、と読めないことはない。攻めてきたらどうするのか。その場合は、殺されるしかない。そこまで、世界を信用しているのだ。
と書けば、今の中国や、韓国、北朝鮮の状況をみれば、信用できないから、有り得ないと思ってしまうのは、常識かもしれない。
であれば、どうするのか。自然権として、自衛権はある。やられたら、抵抗するのは当然できるんだ。そう考えれば、軍隊もいる。だから、自衛隊を作ったということになる。
中国が尖閣を占領しにきたとなれば、直ちに、自衛権を発動して、しまえばいいではないか、ぐらいに思えば、ことは簡単である。相手は、こちらの出方をうかがっている。こちらが、やる気ならば、そう簡単に手はだせない。実際に、実力行使をするとどうなるのか。まさに、相手が先にてをだせば、自衛権の発動となる。相手も、はっきりした手は出さないのである。
いま、安倍首相が、いう集団的自衛権なるものは、事実上、他国と手を携えて、自衛の名の元、どこでも戦争ができる国になることを主張していることだが、その説明に赤ん坊を抱いた母親をマンガ風に描いたパネルを用意するなど、ほんとうに呆れるぐらいの、シバイをしてみせた。戦争になれば、もっとも被害をうけるのが、この母親であり、赤ん坊なのである。
この状態で、選挙をしても彼が勝つのならば、これは、選挙民の責任だ。どうしても戦争したいということに同意したことになる。そして、人類を信用するのはやめて、戦争できる国になって、利権獲得のためには、紛争だって、意図的に起こすヤカラの餌食になるということだ。