生きるためには、食物が、衣服が、雨露がしのげるところが、必要である。そして、それだけでは足りない。言葉や、つながりや、そして、継続できることも条件である。環境も、より快適なものでありたい。
相対的に、有利に立ちたいという欲は、全体としては、必要かどうかは不明であるが、現実には、とりわけ隠然と存在していて、権力や人間関係のなかでは、意味を持っている。見栄や誇りやモチベーションの基礎的な要素のようである。
全体として、そのバランスを考える状況には、まだ至っていないと思われるし、矛盾や格差やひどい差別も本格的な解消にむけての努力がされているとは思えない。
そういう動きを示している部分と、そうではない部分があり、また、時に応じて流動する部分もある。そのよってきたる根本の価値観についても多様であり、表面と実態が異なる場合もある。
混沌のなかにあって、それでも方向性は探られているようで、時代の変化を観察するなら破滅への道を歩むかどうかは、未だ確定的とはいえないが、それでも、永遠はないのであるから、それは、単に長短を言うだけの話とすれば、語る意味もない。
そこまで踏まえて、いまどう生きるかといえば、自ずと、「ネバならぬ」ではないことは、明確である。