ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

雪の高野を訪ねて5

2021年02月08日 21時17分55秒 | 

高野山の壇上伽藍をまわっています。

なあんて書くと修行しているみたいですねえ。
六角経蔵の次に行ったのは
「三鈷の松」です。



空海の主行事や生前の話は
いろんな形で伝わっています。
中にはいかにも人間らしい
苦悩の話や彼の厳しい修行の話
なんかもあります。
空海さんがここに井戸を作った
という話は、歩いていて
あちこちで目にしました。

そんな空海さんお話の中でも、
この三鈷の松にかかる話は、
これはもう作り話というほかはないやろう
という話です。

中国の明州で投げた三鈷が
ここの松に引っかかっていたというのです。
まあ様々な話で空海伝説は作られています。

ここの松は普通、葉が二本の松なのに
三本だといいます。

ひらって見ると確かに三本に分かれています。



う~ん何かもッといいことあるかなあ。

今この松は、doironのアトリエで
お水取りの焦げた杉と共に飾られています。



この後は根本大塔です。



この施設を起点として紀の川の近くの
慈尊院まで、一町ごとに180本の
町石が建てられており、
それが高野の参詣道である
「町石道」と言われています。

この道はレースで4回走りましたねえ。

doironのトレイルランの
原点かもしれません。

その道の起点となっているのが
この根本大塔です。

壇上伽藍は真言密教の根本道場で
ここはそのシンボルとして
建立されているので
「根本大塔」と言われています。

本尊は宇宙のすべてを知る
大日如来で金剛界の四物と
16大菩薩も描かれ、
道内そのものが立体の曼陀羅
と言われています。

なので、あの町石道マラソンも

「あなたを曼陀羅の宇宙へ導きます」
というサブタイトルが
付けられていましたねえ。

さてこれでまあ、
高野山の中心物はほぼ観光を
終わりました(外観だけ)。

時間も精進料理ランチの
予約時間が迫っています。

この壇上伽藍の裏側にある予約した
子院へ向かっていきましょう。

今日のランチは3000円の食券に
少しプラスし、さらにビール代も
含めての豪華精進料理です。

しかし材料になま物は使わない
ヘルシーな料理ですよ。
壇上伽藍を出て、
こんな雪の道を滑らないように
注意しつつ歩いてゆきます。



天候は晴れてはいるが、
さんさんと明るい感じはなく、
スギの木に積もった雪がばさと落ちたり、
遠くから聞こえる鐘の音なんかが
周辺に漂っています。

景色のずっと底の方に
静かに人々の祈りが
漂っているような感じである。

一歩ずつ雪の道を進んでいく。



あ、見えてきたのが目的地だ。
お寺って、お参りに行ったり
過去の遺物を見に行ったり、
あるいは墓参りでいったり
するところなんですが、
なんかランチをいただきに
お寺に入るって変な感じです。

入り口から入ってゆくと、
お寺の人が出てまいります。

予約したものですがというと、
ではそこで靴をお脱ぎください
と言われますが、ほかに客は
いないようです。

ではご案内しますと、
寺の中を複雑に移動してゆきます。

あ、帰りは道に迷ったらあかんぞ
と思いながら、注意して進んでゆきます。

広い部屋も無人です。

「ああ、今日の客は僕だけですか」
と聞くと
「ほかにもありますよ」とのこと。

ずっと奥の無人の狭い部屋に通されます。



そこは金屏風が張られていて、
後ろが床の間になっているところに
食事が置かれています。

ここでお待ちいただけますか、
揚げ物などが届きますので
と案内の僧は出てゆきます。

小さな庭に雪がつもり、
池や石なんかが置かれている
中庭の横の部屋です。



まあ、もうここで一日坐禅を
組んでくださいというような感じ。

続く

 


雪の高野を訪ねて4

2021年02月07日 21時06分02秒 | 

金剛峯寺の建物の中にはいる拝観料も払わず、
あちこち外観だけ見て金剛峯寺は見終わりました。

空海さん、こんなお寺が山の中に
完成してうれしかったでしょうねえ。

時間を見ると、まだランチの
予約した時間までもう少しあります。
ではこのまま歩いて、
次の壇上伽藍の方に行ってみましょう。



あ、こんな雪だるまと言うか
雪人形が可愛かったですねえ。

外に出てさらに西向いて進んでいきます。

歩道のすみっこにも結構な雪です。
ここにある大師協会は般若心経の
写経をやったところですねえ。

これまでお寺での写経は4回やりました。
いろんな思いでを用紙に書き込みましたねえ。

あ、右手に池がありますよ。
見たら凍っています。



ウヒャー寒いんですねえ。

そしてやっと壇上伽藍のところに到着です。



壇上伽藍とは高野山の主な法会が
行われるところで、高野山全体を
金剛峯寺と考えると、ここはその中心核
と呼ばれるところで、様々な施設が
曼陀羅のように配置されています。

まず入り口は中門です。



高野山の門である大門に続いて、
ここは壇上伽藍の入り口となります。

この中門は江戸時代に何度も火災でなくなり、
そのままになっていたのですが
つい最近高野山開創1200年を
記念して再建されました。

ここには昔からの持国天・多聞天に加え、
現代の大仏師松本氏の手により
新造された広目天・増長天の
四天王が置かれています。

これがその広目天。



胸にセミが止まっていますねえ。
鳴き声は遠くまで響き渡り、
悪を退けるといわれています。
手に筆を持っているのは、
絵を描くときのdoironのようです、
へへ。

そしてこれが増長天。



胸にはトンボが止まっています。
これは前を向いてしか飛ばないという
意味をもたせており、
「断じて悪は通さない。後へは引かない」
という意味を持たせています。

そんな中門を過ぎると正面に金堂があります。
本尊である薬師如来は高村光雲作で
秘蔵とされています。

むかし小学校の頃に高野山に
林間学校で来ました。
涼しい部屋で眠った記憶もあるのですが、
この壇上伽藍で絵を描いたことを覚えています。

あの時に先生がdoiron描きかけの
絵を見て言った言葉は今でもはっきり覚えています。

doiron君。障子の絵を白だけで
書いてはいけないよ。
あの白い障子の世界の奥は
何色してるかな?
それを考えて描かないといけないよ」
と言われました。

中は茶色かなあと思い、
茶色を塗ってから、
白で塗りつぶしましたねえ。

あの時はきっと比透明水彩絵の具を
使っていたんでしょう。

でももっと深く言えば、
あの中にいる薬師如来を頭に
思い浮かべながら描きなさいという、
先生の熱い想いだったのかもしれませんと、
最近そんなことをちらっと考えたりもします。



金堂の次は、壇上伽藍の西の方にある
「六角経蔵」に向かいました。



ここは昭和元年に火災で消失しましたが、
昭和9年に再建されています。
紺色の紙に金でていねいに描かれた
お経が入っています。
その「紺紙金泥一切経」は文化財として
霊峰館の方に置かれていますが、
この経蔵の腰部分より下のところに
棒が出ており、



それを回すことができるようになっています。
一周すれば経を読んだことになるそうです。
では実際に回してみましょう。

「う~ん。重い」。

足元は雪で半分凍った状態のところも
あり力を入れにくいです。
でもまあ何とか動き始めると、
今度は惰力で軽く動き始めます。

そうしてお堂の下の棒が
グルリンと一周してdoironは
お経を読んだと同じ功徳を手に
入れましたとさ。南無阿弥陀仏

続く

 


雪の高野を訪ねて3

2021年02月06日 21時14分22秒 | 

極楽橋駅から高野山駅までの

ケーブルカーに乗っています。





あ、もちろんキャンペーンへの当選により、
このケーブルカーも高野線の
電車と同じく無料での乗車です。
いやあありがたいですねえ。
南海電車さん本当にありがとうございます。

かなりの旧傾斜をどんどん上がってゆきます。



もし自分がこの傾斜を登るんだとしたら、
どれだけのエネルギーがいるかって考えたら、
それはそれは恐ろしいです。
でもケーブルは平然と登ってゆきます。



ここで標高634mでスカイツリーと
同じ高さだそうです。
この時点でもうどんどん周りは
雪景色っぽくなっており、



高さに合わせてどんどん深くなってきます。



上の高野山駅近くだともうこんな感じです。



標高800mの高野山は
夏でも涼しいはずですね。



約5分くらいでケーブル乗車は終わります。
昔、戦争時には多くのケーブルカーが
運航停止にななったのですが、
この高野山ケーブルは観光だけでなく、
高野に住む人々の生活の足だったので、
とまらず営業し続けたそうです。

そして人々はこの駅からは、
バスで移動してゆきます。
今はもう大門の方へ回ってゆく
バスはないようですね。
女人道から千手院を経て大門方向へと
向かうバスと奥の院方向へと
向かうバスがあるようです。

doironがまず行こうと思っているのは、
金剛峯寺と壇上伽藍ですので、
大門方面行きのバスに乗ってゆきます。

バスの運賃はすべてただ。

乗車して降りるときに、
「高野の休日」バス券を運転手に
見せるだけです。

あ、ありがたや、ありがたや、
南無阿弥陀仏です。

バスは数名乗せて走り始めます。
高野山駅を出て女人道までは
人は通行禁止です。
なので道の端っこに雪の積もった道を、
ゆっくりと登ってゆきます。

深い谷を横に見ながら、
まるでケーブルカーのようにゆっくりです。
そしてやがて女人道のところに
差しかかると、右側に
「お竹地蔵」が現れますね。



「この地蔵尊は安政年間江戸の
大地震でなくなられた人々のため、
又自分の父母の菩提のために
自分の身を仏様に捧げて
30年の年期奉公し身を粉にして
蓄えたお金で建てられた。

というお地蔵様です。
建立された人は横山竹さんと
申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。

 女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、
今なお多くの参拝者で
線香の煙が絶えることがありません。」

と説明版には書かれています。

このあたりから一気に高野山の
神聖な空気が流れだします。

宿坊なんかが続き、高野山警察の前から
一気に高野の中心部に入ってゆきます。
ここの手錠は数珠の形だそうです。
ウソです。

千手院の交差点を右折して、
広い駐車場の前に出たら
そこが金剛峯寺前のバス停です。



では無料チケットを
「下がりおろう」みたいな感じで
見せつつ下りてゆきます。
あ、嘘ですよ。ありがとうございました、
と丁寧に降りてゆきます。

金剛峯寺は右手です。

以前、四国八十八ヵ所のお礼参りで来た時は、
ここの広い部屋で先達さんのお話を聞きました。

最近テレビを見ていて知ったのですが、
この寺には日本画の千住博氏の
「瀧図」と「断崖図」が昨秋に
奉納されたそうです。
ここへ来た時に、それがあることを
知っていたら、拝観料を払って
中に入ったのでしょうが、
まあこの時はお礼参りの時に
入ったので外観だけをチェックしておきました。



屋根の上にある樽は火事に対する
備えのようです。



また鐘楼も古くて和歌山県の
指定文化財です。



そしてその後ろにある檜皮葺の塀も
金剛峯寺のかご塀として、
同じく指定文化財です。



続く

 


雪の高野を訪ねて2

2021年02月05日 20時59分37秒 | 

では、抽選で当選した「高野の休日」に出発です。



と、ここでいきなり質問です。
高野山ってどういうところか
知っていますか。

高い山の上にお寺が一杯並んでいるところ、
というとまあほぼ正解です。
いまから1200年くらい前に
空海が修繕の道場として開いた
日本仏教聖地のひとつです。

金剛峯寺、檀上伽藍をはじめ
100以上の子院が軒を連ね、
今は空海が入定している
奥の院も含めた地域で、町石道等を含めて
ユネスコの世界遺産に登録されています。

doironはそんな高野に招待券を
もらって修行に行くわけです。
あ、ちがう?すみません。

まずは南海電車で出かけます。
もう運賃はいりません。
こんな切符で進んでいきます。



松ノ浜駅から電車に揺られ、
羽衣で急行に乗り換えて、
天下茶屋まで行きます。

ここから高野線に乗車です。

ちょうどいい電車がありました。
もうこの電車で極楽橋まで
行けますから余裕ですね。
めったに乗らない高野線なので
途中、北野田や大阪狭山、



河内長野の駅なんかを
しっかり眺めてゆきます。

河内長野を過ぎると山道に入ります。
山裾や田んぼ道を進んでゆき、
橋本に到着です。



ああ、大和街道歩きもここまで来てますねえ。
早く続きいかないとなあとか思いつつ、
電車はもう紀の川を越えてゆきます。

親戚のいる学文路を過ぎ、



九度山についたら、
ここから高野線はドンドンと
山道を登ってゆくことになります。



あ、「九度山」の語源はわかりますよね。

空海さんが母に会いに、
ひと月に9度高野山から
下りてきたというところからです。

母に会いにねえ。

理由はそれだけかなあ。
なんかいろいろと推測してしまいますねえ。
彼が高野と往復する道は
「町石道」と言われています。

下りはどれくらい時間がかかるのかなあ、
登りはどんなに早くても
2時間くらいはかかるでしょう。
いや3時間はかかるかなあ。
そこを月に9度も往復するって、
結構なトレーニングです。

往復距離はフルマラソンほど
あるんですからね。

電車は九度山を過ぎると、
かなり低速度になります。



山の形に合わせてくねくねと
続いているから、キュイン、キュインと
タイヤのキシミ音をやまに響かせながら
ゆっくりと登ってゆきます。

普段はこんな電車もお客さんは多いのかなあ。

今はコロナなので、
なんと一両にdoironともう一人の女性が
乗っているだけでした。

どんどん上ってゆきますと、
駅で時間待ちのときに
扉のところに行くとかなり
気温も下がっているようです。

そして、天下茶屋をスタートして
約1時間半で電車は「極楽橋」に到着です。

駅から歩いて3分くらいのところに
かかっている橋の名前が駅名の由来です。



電車はここまでとなります。
そして、ここからはケーブルカーに乗り換えです。



全長は0.8kmと短いのですが、
その間に328mも上り下りします。
東京タワーくらいの高さの差があります。

乗車時間は約5分。

昔、このケーブルに乗った時は
こんなに座席が斜めなのに
驚いた記憶があったなあ。



さぞや製造もむつかしいんでしょうねえ。

昭和5年に開通し、今、使っている
ケーブルは4代目になるそうです。

動力は一本のワイヤーで
巻き上げるという方式。

両端に1台ずつ車両のつく、
つるべ式という形で運航されているそうです。

数人の客がこのケーブルに乗って出発。
遠くの景色もよく見えますねえ。
でも一番目を引いたのが、
雪の様子です。



ケーブルが上がっていくにつれ
周りの景色の雪がどんどん増えてゆきます。

まだまだ旅はここから続きます。

続く

 


雪の高野を訪ねて1

2021年02月04日 21時33分55秒 | 

新年をはさんで、
何かいろいろとついている。

麻雀では四暗刻を上がったよ。

終盤、どんどん進んでいって、
ラストの自摸の手前でてんぱった。
グルリンと自摸が一周回り、
doironが最後の自摸(つも)となる予定だあ。

「あ~これで上がったらすごいぞ。
役満だあ」と言って積もってくると、
おおなんと積もって来たではないか。

こんな感じ。



まあなんかああいうのを上がる時って
神づいている様な気がするなあ。
さあ役満だあなんて言葉は
ゲーム中にはあまり出ないんだけど、
あの時はなんかとてつもない予感があった。

我が村の麻雀大会では、
新年になってからとても盛り上がっている。

この一月にはdoironの四暗刻と
友達の国士無双が出現している。



まあ地元の楽しい麻雀なんだが、
こんな大技が出ると大いに楽しいし、
ビールがうまいんだよね。

年末には、応募した南海本線の
「高野の休日」という
キャンペーンに当選している。



抽選に当たると、高野山と地元駅の間の
交通費がすべて出るのと、
山でのバスが乗り放題、
お寺での精進料理のお食事券3000円分
とお土産券3000円分が出る
というキャンペーンだ。

そしてさらにあの空中庭園への
入場券も当選している。



まだあるよ。
大阪狭山池の池底散策ツアーにも当選している。
念願だった竜神渕も覗けるし、
池の博物館にも無料で
立ち入りができることになった。

そしてまだあるね。

あのS経新聞への絵の掲載だ。



いやいやもう本当にありがたい。

あと願ったけどまだかなってないのは、
宝くじの高額当選だけやなあ。

まあそんな具合に願ったことが
うまく重なって当選が続いている。

今日はその中のひとつ、
あの抽選で当たった高野山へ
お参りに行ってきたので、
そのことを書きましょう。

まず一番最初にするのは、
精進料理の予約です。

高野の精進料理のランチは、
生臭物は一切使わず、
厳選された調理方法で作られた料理です。

以前四国巡礼のお礼参りで
高野山に行った時、
ツアーでお寺に入り、
いただいたのを忘れません。

食欲のあまりない首藤さんも
「おいしいなあ」と言って
食べておられました。

あんな食事がしたいなあという事で、
天気の様子を見て日にちを決め、
宿坊のようなところで
3000円程度で食事がしたい
という事で予約を取ることにしました。

実は初もうでを兼ねて、
正月の早い時期の予約を
希望していたのですが、
なかなか正月の営業というのは
少なかったですね。

まあコロナのときという事も
あったのでしょう。

なので日にちを一月後半にかえて、
再度宿坊協会の方に依頼をしたところ、
じゃ調べたうえでという事で
いったん切りましたが、
すぐに折り返し連絡をいただきました。

いくつか当たってここならという事で、
ひとつの宿坊を紹介いただき、
そこを予約することにしました。

地図で見ると高野山の壇上伽藍の
北側の宿坊です。
では日にちも決まり、
食事の予約もできましたので、
次は切符の手配です。

「高野の休日」当選券を持って
駅に行きます。
最寄りの駅は無人駅なので
泉大津の駅に行きました。

この日にちに宿坊のランチを
予約しましたので、切符を
お願いしますと申し込み、
いただいたのがその日と
次の日も使用できる切符類です。



たぶん、このキャンペーンに
あたったので、宿泊しよう
という人もいるからでしょう。

お土産券は何か所かで使えるように、
1000円券と2000円券に
分けて入っています。

高野を盛り上げようという
キャンペーン側の取り組みに
頭が下がりますねえ。

続く

 


立春から新しい年まわり始まる

2021年02月03日 21時02分03秒 | 生活

昨日は節分でした。

という事は今日は立春という事ですね。

124年ぶりに2月3日が
立春という事になります。

この立春というのは、
太陽の黄経が315度の瞬間のある日を
そう名付けています。

今年はなんと2月3日の23時59分に
315度になるのでこの日が
立春という事になります。

ウワー珍しいですねえ。

でもねえ、その123年間が
全部2月4日だったかと言いますと、
そんなことはないんです。
1984年や1980年などは
2月5日だったんです。

地球の動きと人々が決めた日にちとの間には
微妙なずれがありますねえ。
まあ当然なんですけどね。

で、節分は立春の前日という事で、
まあ今年は少し珍しい2月2日が
節分になったんですね。

でもねえ4年後の2025年も
2月2日になる予定です。

太陽の動きが変わらなければね。

そんな節分ですが、
この頃は海苔巻きを作って、
それをかぶるという風習があります。
お寿司屋さんが計画したんやろねえ。
でもまあどんなんでもいいんです。
そういう計略に乗っかって
日々を楽しみましょう。

なのでこの日はdoiron
巻きずしを作りました。

毎年節分には作っています。
先日S経新聞に載ったのは、
昨年の巻きずしの絵でした。



では今年も頑張りましょう。

巻きずしのネタと言えば、



かにかま、高野豆腐、卵、



キュウリ、三つ葉、かまぼこかな。



そして今年はdoiron分だけ、
明太子イカを加えました。



炊き立てのごはんには酢を入れて
冷やしてあります。



では握ってゆきましょう。



まずは海苔の上にご飯を置いてゆきます。



この時は手前側のごはんを多くします。

そして具を並べて、



そろったら巻いてゆきます。



できるだけ具が真ん中に来るように
意識して巻きますよ。



そうしてできたのが、
doiron巻きずしです。



ウワー、うまそう。

でも我慢しないといけませんよ。
ジムいって汗をかいてきた後で
豆まきをし、その後お寿司をかぶります。

あ、豆まきでのこった豆は
袋に入れて神社にお供えに行きます。
まあ神主はこれを処分するんでしょうが、
神社に住む野鳥の餌とかに
するんでしょうねえ。

そしていよいよ海苔巻きです。

今年は南南東の方を向いて食べます。
我が家からだとジム方向になりますかね。

一口かぶった後は、切ってゆきます。

断面はこんな感じ。



やわらかいのと切るのに手間取って、
部分的にクチャッとなりましたが
まあまあうまく巻けています。

今年くわえたイカ明太の味も
じんわりとしてていい感じです。

イカはやはりうまいですねえ。

まあこうして今年の節分も
無事終わりました。

え?いわしはとかいう声も
聞こえてきそうですが、
御心配なく。

昼ごはんのときにいただきましたからね。

占いをしていた義母さんに言わせたら、
この立春の日から運勢が変わるようです。

今年はどんな年まわりになるかなあ。
まあ今程度の幸せが続いてくれたら
いいんやけどなあなんて思いつつ
立春を迎えたdoironだったのでした。

 


耳寄りな話2

2021年02月02日 21時06分53秒 | 最近の出来事

耳を出して患部の診察もしてもらうために、
その女医さんがいろいろさわって
調べるのかなあと思ったら、
そんなことはしなかったですねえ。

瞬時に「あ、イボですね」と言われました。

え~組織検査とか、触った感触とか
MRIとかCTスキャンとか
ないのかなあと思ったのですが、
診断は瞬時でした。

「マスクとかして当たったりすると、
傷がついたりしますよねえ。
それに耳に変な力がかかったりしていると、
患部に負担がかかりますよねえ。
でもイボですから問題はないと思うのですが、
どうしますか。
しばらく様子見ますか」
みたいに言われたのですが、
「はいそうします」というのもなんか
違和感あるよなあ。

傷がついたりすると、イボが変異することは
あるのですか。
あるいはイボの変異種とかはないですか。
とも聞いてみました。

「ああ、それはないとも限りませんね」。

「じゃ、治療するとしたらその方法は?」
と聞くと「液体窒素で焼くだけです」とのこと。

と言いながらも、
もう看護師は後ろで液体窒素を
治療のための容器にそそぎ始めています。

ああそうかあイボ対象にやる治療ですね。

「でも直径5mmくらいで大きいですよ」
というと、
「これくらいだったら2か月以上かけて
4回くらいに分けて治療ですね」
とのことです。

もし治療するのにペンチで切り取りますよ、
とか全身麻酔で除去ですね、
とかだったら断っていたかも
しれませんが液体窒素なら
先日手のイボをとった時と同じです。

まあそれくらいならいいかな
と思いつつ、念のために

「痛いですか?」と聞いたら、

半日くらいは少し痛いでしょうねえ
とのこと。
そうかあ、でもそんな痛さだったら
耐えれるやろうから、

「わかりました。辛抱強い男ですから
治療してもらいます。」とお願いしました。

やっぱりねという顔で
看護師が笑っていました。

では耳をこっち向けてください。
行きますよ~、・・・・・

じゅわーと耳のところで塗布する音がします。

「ああ耳チャンかわいそう」
とか思いながら耐えてゆきます。
何回かじゅわじゅわ塗って、

「はい、では二週間後にまた見てみましょう」
と終わりました。

耳はというと、なんかじわじわ痛みます。
耳のそんな痛みをこらえつつ
また出会った村の人に
「心が痛い」とかいいつつ
帰宅しましたが・・・どうも痛いのです。

ますますひりひりしてきます。
そして時折強い痛みが
耳たぶに走るのです。
耳にイヤリングの穴をあけたときも
こんなかなあとか思いながら、
こらえるのですが、
ときおりう~んと声が上がります。

それにどうも昼寝も左耳を下にして眠れません。
いつもの昼寝が妨げられます。

これはたいへん。

「医者が半日痛いけどと言ってたけど、
その通り耳が痛いわあ」と
ミセスに言うと、
どう返してきたと思います?

「あんたはもっと耳の痛い話をきいてるはずや」
と叱咤されました。

まあうまいこと言いよんなあと
笑いそうになりますが、
笑っても耳が動いて痛みが増えます。

そんな状態が、医者のいう通り
半日くらい続きました。

ジムに行って自転車こいでる時も
いたかったです。
友達に耳焼いてんというと、

「男の人は痛みにたいそうや」
とあきれられてしまいましたわ。

運動を終えて風呂に入る時も、
ロングの髪の毛はひっそり洗いましたよ。

その後、患部はマラソンやって
足の豆がつぶれる直前のように、
ぼやんと水ぶくれぽくなって腫れています。
でも痛みはかなりましです。
寝ていても左を下にしていても
もう問題はありません。

次の治療は二週間後です。
同じことをするのでしょうねえ。

また痛むのかなあ、どうなのかなあ。

はてさてどうなることやらです。

doironの耳寄りな話でした。

 


耳寄りな話1

2021年02月01日 20時54分37秒 | 最近の出来事

もう5年以上前から左側の耳たぶの
裏側上部におできのようなものができている。

痛くもかゆくもなんともないので、
脂肪の固まりかなあ程度で思っていたのだ。

それがねえ、最近ちょっと
何となく耳に違和感をもたらしている。

たぶん、マスクなんかしていると
変な力がかかったりするし、
寒いと毛糸の帽子なんかも
かぶったりしているので、
なんとなく刺激をしているからのようだ。

時折、あれっとさわってみたりもするのだが、
かといって大きく膨れたり
しているわけでもない。
あ、写真はきれいじゃないので
やめときますが、直径5mmくらいの
いびつな腫れなんです。

はてさて一体どうしたものかと
思っている時期に、たまたま何人かに

「一度医者に見てもらったら」

という指摘を受けたのです。
自分からは場所が場所だけに
ほとんど見えないのだが、
もう複数人からみても変なのかも
と思われたのだから、
これはやはり治療の考え時だろう。

それ以来、何となくマスクを
着脱するときや、帽子の着脱時に
doironの違和感がそれとなく
にじみ出ているのにちがいない。

で、ある雨の日、
外をウロウロすることもできない日に、
一度見てもらうかという気になったのだ。

あ、お金がもったいなくて、
患部が耳だけに耳っちい
なんてこともありませんよ。
なかなかコロナもおさまらない中で、
これからも、まだまだマスクを
するときも多いだろうし、
寒い日もあるからロン毛だけど
帽子も欠かせないしね。

一度見といてもらったら、
気持ち的にも安心だしね。
そんなことをつらつら考えていると、
心のどこかから医者へ行こうって
気持ちが湧いてきたんだよね。

となると今度は
小心者のdoironなので
最悪のことを考えてしまうんだ。

もしおできやと思っていても、
これは除去したほうがいい腫瘍や
とか言われたら、どうしよう。

幹部が耳だけに人の話を
ちゃんと効かなくなったりも
しないだろうか。
(それは今でもや)

あるいは削除して左の耳が
一部耳なし芳一になって
しまったらどうしよう。

まあそれでも音が聞こえるのなら
問題ないやん、ロン毛を伸ばして
隠してしまえばええやん
とか考えたりもしてしまうのだ。

「え~格闘技のやりすぎで
耳がこんなになりまして」
とか人に言っても、こんな姿かたちで
格闘技もなあ。

相撲にしても小柄すぎるしなあ。

そんなことを考え始めたら、
ふだんのマスクの着脱も
ますます不自然になってくるし、
毛糸の帽子も頭の上で変な形に
なってしまっていたりする。

これはもうダメですね。

もう早速まずは近所の皮膚科に
診断してもらいに行くことにしました。
ここでは、腕にできたデンボとか、
足の裏のタコの目とかの治療をしましたね。
あの医者にとりあえず行きましょう。

ある寒い金曜日に出かけてゆきました。
近所を歩いていると村の人に
「どこいくんやあ」と聞かれます。
うん、ちょっと病院へ。

「コロナかあ。それとも痛風再発?」とまあ
こちらの体の状況をよく知っておられますねえ。

「うん。心に出来物出来て」
なんて言いつつ笑って通り過ぎてゆきます。

混んでるかなあと思ったのですが、
とにかくまあコロナの時期なので
医者も比較的すいていますね。

待合が4人くらいで、
しばらく待っていました。

こんな時期なので新聞や
週刊誌なんかも置いていないのを見越して、
持って行った文庫本を読みながら
順番を待ちました。

でもなあこれがなかなか客が
はけてゆかないんだす。

なかにはいって30分くらいの
おっさん客もいたりして
何をしてたんかなあとか興味も沸きますが、
そんな心も抑え込んで
1時間ほど待ってやっと
名前が呼ばれました。

中に入っていくといつもの
女医がマスクをして座っています。

この少し前に、かかりつけの病院に
行った時も「マスク越しでお願いします」
と言われたので、ここでも
マスクはつけたままです。

「今日は耳ですかあ」
と初診表を見て聞かれたので状況を説明し、
患部を見せました。
なんと言われるかなあ。
とドキドキです。

これはねえ、という女医さんの言葉

重病なのか、軽傷なのか

はてさてと続く