近所の神社に大きなクスノキが数本ある。
そのうちの一本は、
高さが25m、
幹回り3m
の大木で
市の保護樹木になっている。
そんなに大きい木だから、
当然子どもの頃からそこにあった。
そのクスノキ
(わしらの間では、一部の者は“クッスン”という)は
狭い神社の境内でやった
三角ベースの野球、
神社の片隅でビー玉や
メンコ(わしらのところでは“ベッタン”という)、
ベーゴマ(同じく“バイ”)
に熱中していたわしらをずっと見てきた。
昔は木登り名人といわれたわしも、
さすがにその木は太すぎて、
高すぎて登れなかったな。
そのクスノキが見せた面白い生態がある。
植物も生き物なんだなあと実感した出来事があったのだ。
その神社は、
毎年秋にだんじり祭りの
宮入の舞台になるわけだが、
14年前の祭りでこんなことがあった。
わが町のだんじりが、
宮入のやりまわしのときに
クスノキに衝突したのだ。
ケヤキでできただんじりの大屋根は固く、
頑丈に作られているが、
かなりの勢いでぶつかったから、
屋根は中破してしまった。
そしてクスノキも
地面から2m50cmくらいの
高さにあるぶつけられた箇所が
直径10cmくらい樹皮がえぐれてしまったのだ。
その事件を契機に、
わが町のだんじりも
大きなだんじりに買い換えられ、
以後新しいだんじりがその場所を通るたびに、
クスノキの傷が屋根のずっと下にあるのをみて、
昔のだんじりの小ささを
なつかしく思い出したりしていた。
そうして一年に一度、
見上げていたクスノキの傷は徐々に癒え、
今はその部分がこぶのように盛り上がっている。
一年に一度の確認、
クスノキの傷は14コマの画像となって
わしの記憶に残っているのだ。
しかし驚くべき生態は
そんなクスノキの修復力だけではない。
クスノキはあまり根元のほうに枝をつけないものだ。
だから木登り名人でも登れないわけなのだが、
この傷ついたクスノキは違った。
こぶができた20cmくらい下から、
小さな枝が生え、
それが上に向かって伸びてゆき、
丁度傷のあったこぶのあたりの前方の空間に
葉を茂らせたのだ。
まるで、自分の醜い傷跡が恥ずかしくて、
それを隠すように。
葉に覆われて見えにくくなった傷跡は
あと30年もすれば、
人々の記憶もすっかり歳月に覆われて
クスノキを見上げる者もいなくなるだろう。
そして百年後、
クスノキを見上げて
その枝を不思議に思う人がいたときに、
実はこんな話があったんだと、
こぶと枝をみて
村のだんじり事件のことを語れる人が
ちゃんといるように、
わしは息子にこの話を
語り継いでおこうかなって思っているのじゃよ。
そのうちの一本は、
高さが25m、
幹回り3m
の大木で
市の保護樹木になっている。
そんなに大きい木だから、
当然子どもの頃からそこにあった。
そのクスノキ
(わしらの間では、一部の者は“クッスン”という)は
狭い神社の境内でやった
三角ベースの野球、
神社の片隅でビー玉や
メンコ(わしらのところでは“ベッタン”という)、
ベーゴマ(同じく“バイ”)
に熱中していたわしらをずっと見てきた。
昔は木登り名人といわれたわしも、
さすがにその木は太すぎて、
高すぎて登れなかったな。
そのクスノキが見せた面白い生態がある。
植物も生き物なんだなあと実感した出来事があったのだ。
その神社は、
毎年秋にだんじり祭りの
宮入の舞台になるわけだが、
14年前の祭りでこんなことがあった。
わが町のだんじりが、
宮入のやりまわしのときに
クスノキに衝突したのだ。
ケヤキでできただんじりの大屋根は固く、
頑丈に作られているが、
かなりの勢いでぶつかったから、
屋根は中破してしまった。
そしてクスノキも
地面から2m50cmくらいの
高さにあるぶつけられた箇所が
直径10cmくらい樹皮がえぐれてしまったのだ。
その事件を契機に、
わが町のだんじりも
大きなだんじりに買い換えられ、
以後新しいだんじりがその場所を通るたびに、
クスノキの傷が屋根のずっと下にあるのをみて、
昔のだんじりの小ささを
なつかしく思い出したりしていた。
そうして一年に一度、
見上げていたクスノキの傷は徐々に癒え、
今はその部分がこぶのように盛り上がっている。
一年に一度の確認、
クスノキの傷は14コマの画像となって
わしの記憶に残っているのだ。
しかし驚くべき生態は
そんなクスノキの修復力だけではない。
クスノキはあまり根元のほうに枝をつけないものだ。
だから木登り名人でも登れないわけなのだが、
この傷ついたクスノキは違った。
こぶができた20cmくらい下から、
小さな枝が生え、
それが上に向かって伸びてゆき、
丁度傷のあったこぶのあたりの前方の空間に
葉を茂らせたのだ。
まるで、自分の醜い傷跡が恥ずかしくて、
それを隠すように。
葉に覆われて見えにくくなった傷跡は
あと30年もすれば、
人々の記憶もすっかり歳月に覆われて
クスノキを見上げる者もいなくなるだろう。
そして百年後、
クスノキを見上げて
その枝を不思議に思う人がいたときに、
実はこんな話があったんだと、
こぶと枝をみて
村のだんじり事件のことを語れる人が
ちゃんといるように、
わしは息子にこの話を
語り継いでおこうかなって思っているのじゃよ。