奥さんの細道は、
奥の細道の経路を離れて少し北へ。
能登半島の付け根、
富山湾沿いの氷見で
宿をとることになっていました。
氷見といえば
「寒ブリ」
魚のおいしいところです。
だから宿もネットで料理民宿で
しかも温泉付という条件で
検索し見つけたところでした。
富山湾沿いの道に面したところで、
立山連峰が富山湾越しに
一望できるともあり、
即決定し、申し込みました。
「わせの香や 分入右は 有磯海」
(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)
と芭蕉が詠んだ「有磯海」とは、
「荒磯海」からきており、
その荒磯海こそが、
今で言う富山湾なんです。
今も北陸自動車道には
「有磯海」というサービスエリアがあり、
名残を留めています。
ていうか、
奥の細道を意識した
ネーミングなのかもしれません。
今はそんな富山湾といえば思い浮かぶのが、
「しんきろう」
と
「ホタルイカ」
これがちょうど今が旬なんです。
富山湾の蜃気楼は
4月~6月に、
立山の冷たい雪解け水が
富山湾に大量に注がれることも
一因となって起こるもので、
空気の特殊な温度分布により
光が屈折して、
遠方の景色が水面より
浮き上がって見える現象です。
砂漠で、
水が飲みたい一心で歩いていると、
有るはずの無い
満々と水を湛えた湖が
見えてくるのとは違いますね。
それは幻覚というものです。
普通は氷見の対岸、
魚津あたりから見えるのが
有名なんですが、
ここ氷見でもたまに
見えることがあると、
旅館の女将が申しておりました。
またホタルイカは、
普通深海に生息するイカなんですが、
春先から初夏にかけて
産卵のため浮上してくるので、
今頃が漁の盛んな時期らしいです。
しかし、
一日降り続いた雨は
強い風を伴って夜になってもやまず、
しんきろうどころか
ホタルイカ漁もままならない状態でした。
そんな天気だったので
宿に入ってからは、
浴衣で下駄を履いて
カラコロと外出することもなく、
しっかりと温泉につかりました。
今日は、貸切でしたので
温泉でも恒例のタイマー撮影を敢行。
透明で塩辛い湯の温泉でした。
この宿は、部屋の名前も変わっていて、
わしらが泊まった部屋は
「えびちゃん」
ほかにも
「さざえちゃん」や「わかめちゃん」などもあって、
一番豪華な部屋はやはり氷見名物
「ぶりちゃん」
でした。
温泉の後は、
お待ちかねの食事です。
「きときと」なるものを味わいたくて
選んだ宿ですからね。
まずこれらは、
突き出しですね。
そしてお腹の張るビールは一杯だけにして、
あとはこのお酒にしました。
銘酒「立山」。
きときと魚と
氷見牛
新鮮野菜も食して
過酷な胃トレ、
肝トレとなりました。
奥の細道は、
ここからまだ日本海沿いを南下し、
敦賀から琵琶湖沿いを通って、
岐阜の大垣で大団円を迎えます。
しかし、
芭蕉と同行した曾良は
最後まで一緒にいたわけではありません。
越中から金沢に入るあたりから、
曾良は腹を病んで、
療養のため金沢の先で一足早く
三重の長島へと向かったのでした。
これは、めちゃめちゃ私見なのですが、
曾良は富山湾沿いで
おいしい魚を食べすぎたか、
もしくはひどい寄生虫がいるという
ホタルイカを生で食したのではないだろうか。
そのために起こした胃痛が、
同行二人を引き裂いたのではないだろうかと
わしは思うのじゃがどうだろうか。
ホタルイカの寄生虫の存在が
一般に知られるようになったのは、
もう少し後の世のことでした。
さてこちら
「奥さんのほそ道」は、
同行者(つまり、わし)も明らかに
飲みすぎ、食べすぎで
胃袋を弱らせたわけですが、
翌朝はちゃんと起きて
富山湾沿いを早朝ランしましたし、
次の目的地、
宇奈月まで
「奥の細道」を少しだけ逆行し、
芭蕉の歩いた
「くろべ四十八が瀬」を南下して
トロッコ電車に乗りに行きました。
その話はまた
「奥さんの細道3」へと続きます。
奥の細道の経路を離れて少し北へ。
能登半島の付け根、
富山湾沿いの氷見で
宿をとることになっていました。
氷見といえば
「寒ブリ」
魚のおいしいところです。
だから宿もネットで料理民宿で
しかも温泉付という条件で
検索し見つけたところでした。
富山湾沿いの道に面したところで、
立山連峰が富山湾越しに
一望できるともあり、
即決定し、申し込みました。
「わせの香や 分入右は 有磯海」
(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)
と芭蕉が詠んだ「有磯海」とは、
「荒磯海」からきており、
その荒磯海こそが、
今で言う富山湾なんです。
今も北陸自動車道には
「有磯海」というサービスエリアがあり、
名残を留めています。
ていうか、
奥の細道を意識した
ネーミングなのかもしれません。
今はそんな富山湾といえば思い浮かぶのが、
「しんきろう」
と
「ホタルイカ」
これがちょうど今が旬なんです。
富山湾の蜃気楼は
4月~6月に、
立山の冷たい雪解け水が
富山湾に大量に注がれることも
一因となって起こるもので、
空気の特殊な温度分布により
光が屈折して、
遠方の景色が水面より
浮き上がって見える現象です。
砂漠で、
水が飲みたい一心で歩いていると、
有るはずの無い
満々と水を湛えた湖が
見えてくるのとは違いますね。
それは幻覚というものです。
普通は氷見の対岸、
魚津あたりから見えるのが
有名なんですが、
ここ氷見でもたまに
見えることがあると、
旅館の女将が申しておりました。
またホタルイカは、
普通深海に生息するイカなんですが、
春先から初夏にかけて
産卵のため浮上してくるので、
今頃が漁の盛んな時期らしいです。
しかし、
一日降り続いた雨は
強い風を伴って夜になってもやまず、
しんきろうどころか
ホタルイカ漁もままならない状態でした。
そんな天気だったので
宿に入ってからは、
浴衣で下駄を履いて
カラコロと外出することもなく、
しっかりと温泉につかりました。
今日は、貸切でしたので
温泉でも恒例のタイマー撮影を敢行。
透明で塩辛い湯の温泉でした。
この宿は、部屋の名前も変わっていて、
わしらが泊まった部屋は
「えびちゃん」
ほかにも
「さざえちゃん」や「わかめちゃん」などもあって、
一番豪華な部屋はやはり氷見名物
「ぶりちゃん」
でした。
温泉の後は、
お待ちかねの食事です。
「きときと」なるものを味わいたくて
選んだ宿ですからね。
まずこれらは、
突き出しですね。
そしてお腹の張るビールは一杯だけにして、
あとはこのお酒にしました。
銘酒「立山」。
きときと魚と
氷見牛
新鮮野菜も食して
過酷な胃トレ、
肝トレとなりました。
奥の細道は、
ここからまだ日本海沿いを南下し、
敦賀から琵琶湖沿いを通って、
岐阜の大垣で大団円を迎えます。
しかし、
芭蕉と同行した曾良は
最後まで一緒にいたわけではありません。
越中から金沢に入るあたりから、
曾良は腹を病んで、
療養のため金沢の先で一足早く
三重の長島へと向かったのでした。
これは、めちゃめちゃ私見なのですが、
曾良は富山湾沿いで
おいしい魚を食べすぎたか、
もしくはひどい寄生虫がいるという
ホタルイカを生で食したのではないだろうか。
そのために起こした胃痛が、
同行二人を引き裂いたのではないだろうかと
わしは思うのじゃがどうだろうか。
ホタルイカの寄生虫の存在が
一般に知られるようになったのは、
もう少し後の世のことでした。
さてこちら
「奥さんのほそ道」は、
同行者(つまり、わし)も明らかに
飲みすぎ、食べすぎで
胃袋を弱らせたわけですが、
翌朝はちゃんと起きて
富山湾沿いを早朝ランしましたし、
次の目的地、
宇奈月まで
「奥の細道」を少しだけ逆行し、
芭蕉の歩いた
「くろべ四十八が瀬」を南下して
トロッコ電車に乗りに行きました。
その話はまた
「奥さんの細道3」へと続きます。
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