先日、お寺を訪ねてきた。
近頃、煮詰まってくると無性にお寺に行きたくなる。
喧騒の中では得られない時間がある、そんなお寺ね。
今回行ったのは秋篠寺。
そうあの礼宮さまが
平成2年のご結婚後に陛下から賜った宮号
「秋篠宮」の秋篠寺です。
実はお寺に今みたく興味を持つようになってから、
この寺はとても気になっていました。
あの、堀辰雄が随筆「大和路」の中で、
この寺の天女の像のことを書いています。
それは
技芸天
文字どおり、技能、芸能をつかさどる天女ことで、
文筆業をなりわいとする堀辰雄が「わけても御慕わしい」と書いています。
つまり、文章を書くのもひとつの技能、芸能だということなんですね。
技芸天像は中国にはたくさんあるのですが
日本には、ここ秋篠寺にしかない
国内唯一の天女の像なのです。
そこを訪ねてみたくなった理由のひとつに
つい最近、とってもきれいな言葉を聞いたということがありました。
いろんな想いが積み重なって、
それらにろ過されて出てきた珠玉の言葉。
想いをいっぱい重ねて、
それにろ過された言葉って、
こんなにきれいなのかと思った言葉。
そんな言葉に触発されて、
思い出したのが、技芸天でした。
最近は言葉をなりわいとしている自分にとって、
言葉を口先だけのものにしてはいけないと、
自戒をこめて忘れてはいけないなあといつも思っています。
いろんな濁りが濾し取られて、
きれいに澄んだ一滴のような言葉を、
文章に籠めてみたい。
そんな文章作りをしたいという思いを、
例えば何かに祈ってみたいと思うときに、
その祈りの対象となるのが
堀辰雄に「わけても御慕わしい」と言わせた
あの技芸天なのです。
そんな事もあって、
秋篠寺に出かけてみようと考えたのです。
しかし、この時何かひっかかるものが自分の中にありました。
それは、もしかしたら、
30年以上前に
そのお寺に一度行ったことがあるのではないか
ということでした。
学生の頃、長期の休みで
下宿先から地元に帰ってきたときに、
高校の友達から免許を取って車を買ったので
ドライブにいこうと誘われて、
そのあたりのお寺に言った記憶がかすかにあり、
それがもしかしたら
秋篠寺だったかもしれないと思っていたのです。
若い時の自分の考えてたことがどんなだったか
時々分からなくなる時があるけど
このときもどんな気持ちで
お寺を訪ねてたのか
よくわからないんです。
きっと、なんにも深くは考えていなかったんでしょう
ある天気のよかった週末。
午前中の仕事を終えてからナビをセット、
いろんな想いを抱えてその寺に向かいました。
近づくにつれ、
昔来たというのは勘違いかもしれないと思い始めました。
というのも、
以前は車も少なく初心者でも運転しやすい
田園地帯の中のお寺だった記憶なのに、
近鉄西大寺駅周辺なんかは、
車であふれる都会。
記憶のなかにこんなイメージは全然ない。
30年以上前とは言えこんなに印象が変わることはないだろう
などと考えているうちに、
車は「秋篠寺駐車場」についた。
あとで分かったのですが、
この寺はあの秋篠宮の宮号が話題となった時に
観光客が殺到し、
風情が損なわれたことを反省して、
いまは子どもだけとか、
200人以上の団体とかは拝観を断っているとのことです。
だから、駐車場もけっこうひっそりしていました。
車をとめて、
山門から境内に足を一歩踏み入れた時のことです。
僕の記憶がじわーっとよみがえって来たのです。
底が苔に覆われた庭園の中の林、
優雅な傾斜曲線をもつ本堂の屋根。
いずれも僕の頭の中の深~い所の記憶が、
かさぶたがはがれるようにじわっと浮かびあがってきた。
「やっぱり来たことがあるかも」
そう思いながら、
本堂に足を一歩踏み入れ、
入口近いところに立たれている
高さ205cmの技芸天の本当に優しいお顔を見上げた時に、
驚くことが起こった。
まるで雷に打たれたように記憶がぶわーって蘇ってきたのです。
それは紅葉が散ってしまった
19歳の12月の曇った日、
そう、31年前の冬に僕は間違いなくここに立ち、
今と同じように技芸天を見上げていたことを
一気におもいだしたのでした。
そして記憶は
その時に僕が着ていた服まで思い出せるほど
本当に鮮やかに次々蘇ってきました。
それはほんとに驚愕の出来事で、
僕は震えるほど驚きました。
そしてやがてその後に、えもいわれぬ感動に僕は包まれ始めました。
そうこれはきっと、
技芸天が31年前の僕を覚えてらして、
「おひさしぶりね」と声をかけてきたからなんだということに思い至ったのです。
この31年間の出来事を言葉ではなく、
気持ちごと汲み上げられているような感じがして、
金縛りにあったように、
そこからしばらく動けずにいました。
洗われていくって感じかなあ
さすがに技芸天
今なら、少しはましな文章も書ける
そんな気がしていました。
そうして気の遠くなるようなくらくらする時間を過ごしたあと、
本堂の出口で
技芸天の写真を4枚買いました。
ネット上にこの技芸天の優しいお顔を掲載することは、
肖像権のこともあるけど、
なによりもったいなくてできません。
もし、ご希望の方がおられたらお見せしますよ。
でも、それより一度現物を拝みに行かれることをお勧めします。
きっと、あなたの心に奥の方に、
言葉にならない何かを残してくれると思います。
僕の琴線を大きく打ち震わせた天女に
合掌
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