ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼絵画展示会の準備4

2018年05月20日 21時00分18秒 | お絵かき

自分の絵画展示会の準備をしながら、
いろんなことを考えた。

絵の展示をするから、
もしよかったら来てね~
なんて声をかける友達は、
たいていマラソン時代の友達が多い。

趣味が全く違うので、
こんな絵を描くほど暇やねんなあ、
と変な関心をされるだけかなあ
なんて考えたりしてしまうよねえ。

でもまあ仕方ないんだよ。

今の自分の何分の一かは
こういう趣味にとらわれているんだから、
もし素人の絵かきでこんなに
描きためて自分で展示会やって
喜んでるおっさんもいるんやあ
なんてのが、高齢化してきている
友達への変な励ましに
少しでもなればいいのかもしれませんねえ。

自分で絵の展示会をするにあたって、
ここんとこジムの自転車をこぎながら、
昔の絵かきの話の本をだいぶ読んだ。

まあ、自分にしてみればこういう点では
運動と絵はつながっているんやけどね。

読んだのは、狩野永徳、長谷川等伯、
伊藤若冲、鈴木其一の四人で、
今は北斎の娘「葛飾応為」を読んでいる。

見ているのは絵の本ではなく
彼らの歴史小説だ。

今も残る彼らの作品が
どんな歴史、どんな環境の中で
どんな思いで描かれたのか
というのが主なテーマで、
彼らの中でも神品といわれる
作品の製作にひめられた物語は、
絵を描く自分としてどう感じるか
というのがテーマだった。

いずれの作品にも彼らの熱い想いと、
神が筆を走らせるという姿勢が描かれてあり、
読みごたえがあったなあ。

そんな彼らの熱い想いに比べて、
自分が描く絵はというと
もう恥ずかしいを通り越して
バカみたいなものなのだが、
自分なりに「よく描いたなあ」
と思う作品も実はあるのです。

四国詣での写真のなかでも、
出来上がってみたら

「おお~意外に自分の気持ちが
うまく表現できたやん」

と思われる作品もあった。

例えば60番の横峰寺の絵もその一つだ。

山の中の神社で立派な燈籠があり、
その燈籠とお寺本殿の遠近感が
鮮明にかけていたのが、
自分でも驚きだった。

そして3番の金泉寺のお寺では、
境内に置いてある石の質量感が
案外うまく表現できた
というのもある。

さらに2番の極楽寺の小さな地蔵さんも、
その細やかな慈悲感が
かけたような気がする。

そんな遠近感、重量感、慈悲感は
絵を描きながら知らず知らずのうちに
とらわれていた感覚だ。

自分の画力を超えて、
何かが筆を走らせてくれたような
気がするというのは
言い過ぎかもしれんけど、
結果として何かに導かれていたような
気がしてならない。

実はそこに並べてある絵手紙もそうだ。

サザエの絵は、義母さんと
描きあった絵で、
うまそうに書けたらいいなあ
なんて思いながら描いたから、
意外に出来がよかったなあ。

絵手紙は言葉も面白い。

トマトの絵の言葉やカエルの絵の言葉は
半分夢の中で出てきた言葉だ。
あれの絵の言葉はどうしよう
なんて考え続けていると、
パッと夢の中で出てくるから面白い。

まあそんな風に自分の絵も、
全く小説のような高尚なものではないが、
意外なところから筆が走ったり
言葉が浮かび出てきたりするのが、
面白くて仕方ないのだ。

今回のお絵かき展示会も
まだまだ準備としてやりたいな
と思っていることは色々とあるのだが、
またもう一方の頭の片隅で、
じゃあ次のお絵かき展は
何をテーマにしようかなと、
そしてそこで何に出会うかなと
すでに新たな自分の取り組みに
思いを馳せているという部分も、
実はもうあるのです。

もうすこし頑張ってみようかなあ。


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