あの忌まわしい事件から
1年3か月。
医者には「普通にしてたらいいよ」と
言われ、「どこまでが普通なんだろう」と
思いつつ、トレッドミルで
長い時は10キロを走ったり
外を20キロくらい走ったりと
ま、自分なりに普通に過ごしていた。
そんな暮らしの中で
普通にまで戻っていなかったのが
レースへの参戦だった。
またあんなことになったら
あんなに幸運なことは考えられず
今度はまず神様も
あきれて助けてくれないだろう。
という不安はいつもdoironを
とらえていた。
クラピカの律する小指の鎖が
心臓に突き刺さっているというのが
一番近い表現になるだろうな。
(わかる人にはわかるが
わからん人にはさっぱりわからんだろう)
ま、とにかく何かが起きれば
今度は心臓ごとつぶされる
みたいなトラウマがあり、
レース参加ができないでいた。
しかし、いよいよ新しい春が
近づくにつれ
少しはこのトラウマから
自分を解放してやろうと
実は、堺シティあたりで
レース復帰をもくろんでいたのだが
今日、ひょんなことから
大阪城のリレーマラソンに
参加することになり
突然のレース復帰と
あいなったわけである。
リレーマラソンで課せられたノルマは
2キロを2回
合計4キロを走ることだった。
恵まれたお天気の下
まず1周目はおそるおそる
キロ6分程度で
なんなく完走。
そして2周目は
少しペースを上げて
キロ5分半程度で楽に走らせていただいた。
リレーなので、順位を落とすのは
申し訳ないという気持ちも働いたが
必死で自分を抑えた結果である。
くれぐれも無理は禁物と
走りながら自分に言い聞かせておりました。
おかげさまで
何事もなく
ごく普通にタスキをつなぐことができ
ひと安心すると、同時にまた一つ
階段を昇れたかなって気持ちで
とてもうれしかったです。
たった二キロでしたが
僕には果てしなく遠く
そして限りなく意味のある2キロでした。
走り終えた後、公園内を
今日の走りをかみしめながら
歩いていると
新しい春に向けて
まだまだ桜のつぼみは
かたかったけど
何となく自分の中では
つぼみも膨らみ
ポツポツ花が咲きだしたかなあと
しみじみと考えていたdoironでした。