ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

皆生観戦!

2007年07月20日 22時55分45秒 | トライアスロン

皆生の応援に行ってきた。
選手ではなく皆生に行くのは2回目だ。
一回目は、
病気で参加できなかった
第17回大会の夏。
大会時には病欠の身だったので、
さすがに応援にも行けなかったが、
時期をずらせて家族で海水浴に行ったことがある。
泊まったのも、
あの皆生トライアスロンの碑の
目の前にある旅館やったなあ。
弓ヶ浜では博覧会もやっていて、
小学校6年生の息子も
一緒にキリギリス捕りもしたっけなあ。
そして2回目が今回。
そう思うともう
12年連続夏には皆生に行っていることになる。
今回は、
直前の故障による出場辞退で、
初めての皆生応援だった。
初めて選手という立場ではなく、
皆生大会を見てきたことになる。
今年は
悪天候でデュアスロンとなったため、
中途半端な観戦となったが、
長崎大島の大会など
各地で大会が中止となった中でも、
皆生は形を変えて大会を断行した。
この日のために
練習を積み重ねてきた選手のために
という大会側の配慮だとのことだが、
実際には交通規制や
これまでの準備のことも考えての
決断だったのだろうなあ。

大会前日泊はキャンセルして、
当日の早朝に大阪を出発。
途中、
デュアスロンになったことと
スタート時間が2時間半遅くなったことを知り
余裕で皆生に向かった。
レース会場に着くと
早速知り合いの選手を訪ね、
今年のリタイアを告げて回った。
それでも伝えきれずに、
レース中たくさんの選手に
「何で出てないの?」
と聞かれまくったなあ。

さてそのスタート前の光景は


余裕の二人

おニューのウェアでご機嫌の某さん

そしてレースは9時30分に始まった。

最初の応援は第一ラン。
雨の中、海辺の道で応援した。
最初の8キロは
たいしたことはない。
むしろ飛ばし過ぎないように
アドバイスしたくらいだ。


最初にやってきたのはS水


かいさんはごっきげん!の様子


ひたむきに走るT美ちゃん


ひげママもタノシそー


某さんも「行ってきま~す」

そして次はバイク。
大山道路の登りの中間点くらいで
応援した。


S水クン、速過ぎ!ブレました


ウェアとバイクがコーディネートされてるかいさん


バイクも楽しそ~な、ひげママ

今でも、
耳を澄ますと大山道路の坂道を登っていく
バイクのチェーン音が聞こえてくるような気がするよ。
そして目を閉じたら、
ぐいぐい上っていく
選手たちの必死の表情も浮かんでくる。

最後の種目第二ランは
弓ヶ浜沿いの空き地に陣取って応援した。
目の前を次々と過ぎていく様子は
あたかも聖者の行進のようだ。





次々に聖者達がやってくる

声をかけると、
疲れているだろうに
5人にひとりくらいは
「ありがとう」
と返してくれる。
それは感謝の気持ちと、
選ばれし者としての誇りに満ちた気持ちが
そうさせるのだろう。
実際自分もそうだった。
今回出場できなかった悔しさを
一番感じたのは、
歓喜のゴールシーンを見ていたときよりも、
辛そうに走っている選手たちを
見送っているこの時やったなあ。
皆生を全身で満喫していた彼らの、
あの高みにたどり着けなかった悔しさやな。

ゴールはいつもの皆生の温泉街ではなく、
今回は東山陸上競技場に移された。
一抹の寂しさを感じた人は多かったやろな。
特に、
雨が降っていたせいもあるのかもしれないけど、
人影もまばらで無機質に見えた。
いつものあの熱い皆生はどこ?
って感じでしたな。
来年僕が出るときには、
温泉ゴールにもどっていてくれんかなあ。


皆生は「皆、生きる」という意味。
その昔、
出雲から泡となって流れてきた魂が流れ着き、
身体と心が蘇って
生まれ変わった海岸が
「皆生」の由来だといわれている。
そういえば、
スイムが苦手な僕の場合も
海から上がれば
生まれ変わったような気分やったよ。

果たして
今は泡となって消えそうな身体と心だが、
来年、皆生は僕を生まれ変わらせてくれるだろうか。
雨に打たれて、
次々帰ってくる選手を眺めながら、
ぼんやりそんなことを考えていたのでした。

選手、そして応援のみなさん、
お疲れ様でした。
そして
ありがとうさんです。

すっごい刺激になりました!