ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

最近のカメラ事情

2006年03月23日 23時36分03秒 | 最近の出来事

Nikonが銀塩カメラ
(いわゆるフィルムを使うカメラ)
から大幅に手を引き、経営資源をデジカメに集中させる
と発表したのは今年1月11日。
そのニコンの方針転換はこれまでフィルムカメラに
こだわりを持っていた昔かたぎのカメラマンたちの気持ちを
踏みにじる行為のように見えた。
ところが、
最近発表したデジカメD200が
そんな彼らの不満の声を押さえ込んでしまった。
それほどそのカメラのスペックが、
昔かたぎのフィルムカメラファンをも
うならせるほど優れたものだった。
1020万画素という
CCDを持ち、
画質、操作性の良さも兼ね備えておきながら、
本体価格が20万円を切るという設定が決めてとなり、
多くのNikonユーザーがデジカメへの乗換えを決心したらしい。
それでも許せんというユーザーには
フィルムカメラの最上位機種「F6」と
入門機「FM10」の生産ラインは残しておくらしいから、
まあまあ今回の方針転換は
うまくいったのではないかというのが世間の評判だ。

しかあし
ことはそんなに単純ではない
そんなカメラ事情の変遷が
単に技術の進歩で救われたという単純なことではなく
写真撮影の楽しさを奪ったことになるということに
カメラマン達が気づく時がくると僕は思っている。
いや、もうとっくに来ているのかもしれない。

Nikonのそんな方針転換に連動してなのかどうかわからないけど、
同月19日にはコニカミノルタがカメラ、
フィルムから完全撤退すると発表した。
カメラでは世界初のオートフォーカスとして、
αシリーズを持ち、フィルムもかつてのサクラフィルムを引き継いで
事業を展開していたメーカーだ。
当時、フィルムはパッケージの箱の色のイメージそのままに
サクラは人の肌色、
FUJIは自然の緑、
kodakは黄色の発色が優れていて、
人物ならサクラ、
アウトドアフォトならFUJI、
風景全般はkodakと用途にあわせてフィルムを変えていた。
そんなふうに、
フィルム写真が主流だった頃は、
撮影はカメラまかせ、フィルムまかせの要素が多く
画質にこだわるリバーサルフィルム
(スライドフィルム)
での撮影なんかでは、
気に入ったフィルムの
ロットナンバーにまでこだわるのが、なかば常識だった。
そして撮影後は現像に出した写真が、
どんな形でできあがってくるか、
果たして想像通りの出来になっているかが楽しみで
ワクワクしながら待ったものだった。

それが、最近のようにデジカメが主流となると、
すぐその場で写真の出来が分かるし、
あとでいくらでも加工できるから、
出来上がりを待ってワクワクすることも
なくなるし
一瞬を切り取るために逃してはならないシャッターチャンスのために
渾身の力を注ぐなんてこともしないようになる。
それはそれで便利にはなるが、
写真撮影の楽しさは半減する。
ていうか、ほとんどの楽しみが奪われたといっても過言ではないだろう。

仕事で写真を撮りに行く時も、
取り直しがきかないようなシーンだったらフィルムだと、
失敗は出来ないぞというプレッシャーに押しつぶされそうになり
脂汗を流しながら写真をとったものだ。
あの頃がまるで遠い昔のようでなつかしい。
メーカーのフィルムカメラやフィルムそのものからの相次ぐ撤退で、
アマチュア写真家達の多くはそんな気持ちだろうと思う。

今年、僕がみんなに届けた年賀状も、
実は写真を加工したもので、
撮影した写真はそんなふうに絵のように加工も出来るし、
リバーサルフィルムのようなラティチュードの狭さを盛り込んだ写真や、
思いっきり絞りを開放にして被写界深度を浅くした写真なんか
パソコンで一発作成できてしまう。
そうすれば、写真コンテストなんか
ほんとに意味がなくなってしまうのではないだろうか

芸術だった写真撮影が、
加工の優劣を競う単なる技術になってしまわないかと
心配しているのはきっと僕だけではない筈だ。